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<<   作成日時 : 2007/05/05 01:55   >>

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■レスリー・チャン 張 國榮 (香港)


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1956年9月12日、香港に生まれる。
一時代を築いた香港出身でカナダ国籍の映画俳優・歌手。

映画
1978 「君に逢いたくて」
    「狗咬狗骨」
1981 「青春の光と影」
1982 「レスリー・チャン 嵐の青春」
1982 「レスリー・チャンの 青春白書」
    「楊過與小龍女」
1983 「愛しのドラマー」
    「レスリー・チャンの神鳥英雄伝」
1984 「君が好きだから」
    「メリー・クリスマス」
1985 「フォー・ユア・ハート・オンリー」
1986 「男たちの挽歌」
1987 「ルージュ」
    「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」
    「男たちの挽歌II」
1988 「殺之恋」
1989 「悪漢探偵5 最後のミッション」
1990 「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2」
    「欲望の翼」
1991 「狼たちの絆」
1992 「ハッピー・ブラザー」
1993 「恋はマジック」
    「大英雄」
    「さらば、わが愛/覇王別姫」
    「キラーウルフ 白髪魔女伝」
    「白髪魔女伝2」
1994 「幸せはイブの夜に」
    「楽園の瑕」
    「君さえいれば/金枝玉葉」
    「レスリー・チャンの 恋はあせらず」
1995 「金玉満堂/決戦!炎の料理人」
    「夜半歌聲 逢いたくて、逢えなくて」
1996 「ボクらはいつも恋してる! 金枝玉葉2」
    「恋する天使」
    「上海グランド」
    「花の影」
    「夢翔る人/色情男女」
1997 「ブエノスアイレス」
    「ラッキー・ファミリー」
1998 「歌って恋して」
    「アンナ・マデリーナ」
    「追憶の上海」
1999 「流星」
    「もういちど逢いたくて/星月童話」
2000 「恋戦。OKINAWA Rendez-vous」
    「ダブルタップ」
2002 「カルマ」


香港の裕福な家庭に生まれ、10人兄弟の10番目なので幼名は“十仔”(姉1人と兄2名は夭折しているため、実質は7人兄弟)。父はハリウッドスターなどを顧客に持つ有名テーラーで紡績工場の経営者。母は事業に忙しく、レスリーは祖母の家に預けられ、“六姐”と呼ばれる乳母に育てられる。
両親の仲はよくなかったという。

1969年、13歳になると数学で単位を落とし、英国東部のノーフォークに留学。その後リーズ大学に入学しテキスタイルを専攻するが、父が病に倒れ学業半ばで香港に帰国。中国語の学力を心配した母の勧めで中学5年クラスに編入。その後しばらく父のコネで入った弁護士事務所や、自分で見つけた販売員の職などを転々とし、家族とは離れて暮らす。
1976年、友人と共にテレビ局主催の歌謡コンテストに出場しAmerican Pieを歌い準優勝。翌1977年から歌手として芸能活動を開始するが、しばらくは下積み生活に甘んじる。また、このころ親しくしていた女性の裏切りにより生活は荒み、金銭的精神的に苦難の日々が続く。
1983年に『風継続吹』(山口百恵『さよならの向う側』のカバー)がヒット。1985年には『Monica』(吉川晃司『モニカ』のカバー)が大ヒット。レスリーは一躍トップアイドルに踊り出て、以前からトップアイドルだったアラン・タムとライバル関係に。ファン同士の仲の悪さも有名で、レスリーはアランのファンから執拗な嫌がらせを受けた。その影響もあり、1989年に歌手引退宣言。カナダへ移住する。しかし半年後に帰国、芸能界に俳優として復帰。

俳優としては、1982年に譚家明の『烈火青春』に出演し、後のウォン・カーウァイ(王家衛)らニューウェーブに影響を与える。その後はいわゆる「アイドル映画」に出演。そして、1986年に『男たちの挽歌/英雄本色』、1987年には『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー/倩女幽魂』など、数々の大ヒット作に出演。香港映画界の金字塔を打ち立てる。1990年、王家衛の『欲望の翼』で香港アカデミー賞主演男優賞受賞。1993年には中国の陳凱歌の『さらば、わが愛/覇王別姫』に出演、カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞。1997年の王家衛『ブエノスアイレス』は、日本の単館上映記録を塗り替える大ヒットとなる。
また、1994年陳可辛の『君さえいれば/金枝玉葉』出演を切っ掛けに楽壇復帰。2000年に開催されたコンサート『PASSION』は、衣装設計をジャン=ポール・ゴルチエに依頼。そのファッション性や斬新で圧倒的なパフォーマンスで大成功する。日本でも大宮・横浜・東京・大阪・名古屋・福岡で開催され、成功を収めた。この年の音楽賞レースでは若手アイドル歌手を蹴散らし6曲同時に新曲がノミネートされるなど、レスリーは歌手として第2の頂点を極める。
そして念願だった映画監督になるべく、多くのミュージッククリップやTVドラマ、短編フィルムなどを撮影している。監督デビューは1996年『夢翔る人/色情男女』での劇中ポルノ映画『色情男女』。

2003年4月1日、香港の最高級ホテル「マンダリン・オリエンタル香港」より飛び降り自殺、死去。46歳。

レスリー・チャンの命日に集うファン(2006年4月1日撮影)自殺の原因については、一年前後から鬱病を患っていたとされている。 自殺の現場になった「マンダリン・オリエンタル香港」の門前には、ファンによって無数の花束と死を悼むメッセージカードがささげられ、同ホテルの門前は黒山の人だかりになった。葬儀には香港の芸能関係者のほとんどとファンが参列、香港のみならず華人社会が悲嘆にくれたという。
さまざまなセクシュアリティをもつ役を演じたが、私生活では「バイセクシュアルと言ったほうがしっくりくるかな」と発言していた。
2007年12月に東京都立の公園に熱心なファン120人の賛同により「レスリー・チャンの思い出ベンチ」が設置された。ベンチのメッセージには、賛同者120人からのレスリー・チャンへ今も続く思いが込められている。

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●tomotyan712さん
いやあ、すごい勢いでごらんになってますね……。

ありがとうございました。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
先生、こんにちは
ビョンホンさんにレスリーチャンとの共通性を見るということで、早速、プロフィールを、チェックしてみました。すごい履歴の人でした。太く短く生きた人でしたね。
1995年 米国のTIME誌が選ぶ映画100  に「覇王別姫」が選ばれた。
1995年「ヘンダーソン・アートリーチ中国映画100年」で、映画、監督、男女優ベスト10を選ぶ人気投票で、俳優では、レスリー・チャンが首位を獲得。
同十大最愛電影で、「さらばわが愛・覇王別姫」、「欲望の翼」、「男たちの挽歌」、「ブエノスアイレス」、「ルージュ」が入選。
つづく・・・

tomotyan712
2009/01/17 17:00
私は、「さらばわが愛・覇王別姫」は、すでに見ていました。京劇に燃えつくしたくすしき運命に翻弄された主人公の生き様に圧倒されました。それは、強烈にわたしの脳裏に残りました。それもそのはずカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した作品だったのです。
「ブエノスアイレス」は、日本の単館上映記録を塗り替える大ヒットとなったそうです。この作品も見てみたいと思います。
「男たちの挽歌」の作品のタイトルもよく目にするので、関心が、あります。
「上海グランド」は、借りてきてみました。全魂を役に入れ込む、すさまじさに圧倒されました。レスリーチャンの雰囲気にビョンホンさんを感じました。レスリーチャンのように慕われる映画史に残る人物になるよう これからのビョンホンさんに期待しています。

tomotyan712
2009/01/17 17:04

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