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zoom RSS 冬の光 (1962) スウェーデン

<<   作成日時 : 2015/12/11 21:18   >>

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[1185]自然と核の脅威を前に沈黙する神を描いたベルイマンの名作

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「鏡の中にある如く」「沈黙」とともに
ベルイマンの「神の沈黙」三部作と言われている作品。
なのだが、ベルイマンの作品のほとんどは神の沈黙を
主題にしているんじゃないの、というのが私の単純な感想。

しかしコレはいいよ、凄いよ、映像が。
ベルイマン作品の中でも一番かも。痺れても知らないよ(^^♪

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冬の北欧スウェーデン、ある小さな町の日曜日の朝。
牧師トマス(グンナール・ビョルンストランド)が
礼拝を執り行なっている。

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立派な教会なのに参加している信者は数名に過ぎない。
この国は危ない!と一瞬にしておらは不安になる(笑)。

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トマスは神の名において彼らにパンとぶどう酒を与える。

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礼拝を終えると、漁師の妻カリン(グンネリ・リンドブロム)が
相談に現れる。夫のヨナス(マックス・フォン・シドー)が、
春に中国が核を開発するとのニュースを読んで以来、
核戦争の不安で塞ぎ込んでしまった、と。

トマスはヨナスに言う。
「気持ちはわかる。神はただ遠くで見ていられるだけ。
何に縋って生きていけば良いのか。だが生きねば」と。
ヨナスが返す、「何のために?」

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彼は妻を家へ送ったあとまた来る事になるが、
トマスの言葉は自分自身に言い聞かせている言葉でもある。
4年前に妻に先立たれて以来、
彼もまた失意のどん底に沈んでいたからだ。

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礼拝にも姿を見せていたマルタ (イングリット・チューリン)が、
一人暮らしの続くトマスに差し入れにやってくる。
彼女は地元の小学校教師である。

マルタが元気のないトマスにどうしたのかと尋ねる。
トマスは苦悩を告白する、
「神の沈黙だ。神など信じていないのにヨナスを
いい加減な言葉で慰めた」と。

彼女は慰める、
「神の沈黙だなんてバカバカしい。
もとから神なんていやしないのに」と。
そして叔母が来てるからと帰る。

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トマスはうっちゃっておいたマルタからの手紙を読み始める。

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そのトマスの音読に代わりすぐにマルタ自身が
カメラ目線でトマスに直接語りかける。
かつて「神の目線」としてタブーとされていた
「カメラ目線」で語るのは、彼女が先に語ったように
彼女の中で「神」などもともと存在しないと思っているからだ
という事になる。

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マルタは語る。

去年の夏、私の全身に醜い湿疹ができた時、
あなたは気味悪がって祈ってくれなかった。
私はあなたに愛されていない事がわかり、神に祈った。
生きる目的を教えてくださいと。
と、突然、秋に光が射した。
あなたを愛してる、あなたが生きる目的であり、
私の人生の意味だと分かった。
でもその愛の伝え方がわからない、と。

読み終えたトマスは嫌なものでも見たかのように
その手紙を慌てて仕舞う。

トマスはマルタの愛をうざい、
押しつけがましいと感じているのだ。
彼がまだ死んだ妻への愛から逃れられないからなのか。
それとも…。

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そこへ約束通りヨナスが訪ねてくる。
ヨナスの中に自殺願望がある事を知ったトマスは、
磔のキリストの前で自分の体験を語って聞かせる。

従軍司祭としてリスボンを訪れた時、
スペイン内乱の残酷さを知り、
私は神と自分だけの世界に閉じ籠った。
自分に都合のいい神だ、私は聖職失格者だ。

妻はそんな私を励ましてくれた。
その妻が死んだ時、絶望した。
生きる目的を失い、私も死のうと思ったが、
何かの役に立ちたくて死ななかった、と。

ヨナスは「帰ります」と席を立つ。
いかにもありそうな話だし、聞いていてもバカバカしいだけ
だからである(笑)。

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「待ちなさい」と言ってトマスはトドメを刺す。

神が存在しなくても、それが何だ。
人生に意味など必要か。
死は肉体と魂が滅びるだけの事だ。
人の蛮行、孤独、恐れ。
全ては明白だ。説明など必要ない。創造主はいない。
庇護者も、思考も、と。

ヨナスは部屋を出て立ち去る。
トマスは呟く、「神よ、なぜお見捨てに」と。

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と、次の瞬間、トマスの背後から
突然、真っ白な「光」が射しこんで来てトマスを包む。
何だか知らんけど、お〜!と私は感激する(^^♪

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トマスもその光に気づき呆然とする。

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礼拝堂に現れたマルタもその光を見る。
トマスは彼女に言う。「解き放たれた、やっと。
心のどこかで願っていた。気の迷いだ、夢だと」
マルタはそんなトマスを抱きしめる。

と、次の瞬間、町の婦人が礼拝堂に現れ、
ヨナスが川の傍で猟銃で頭を撃ち、自殺したと告げる。

ん?と私は思う。
いまの光はヨナスの死に至る光体験だったのかも、と(^^♪

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トマスは小雪の舞う中、車で現場へ駆けつける。

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ここで私は衝撃を受ける。
この画像では分からないので観てもらうしかないのだが、
いきなり北欧の冬の厳しさの中に放り出された感じに
襲われるからだ。

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トマスは追ってきたマルタを自宅へ送っていく。

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マルタは小さな小学校の二階に住んでいる。
そこへ10歳になる子供が忘れ物を取りにやってくる。
トマスが君は堅信式をやるかと聞くと少年はやらないと答える。
少年の兄はやっている事から、この町でも
信心者が次第にいなくなっている事がわかる。

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マルタは風邪を引いているトマスに薬を与えたあと
結婚してと懇願する。

トマスは躊躇なく断る。
町の人たちの噂になるのが嫌だ、それに君を愛していない、と。
そして更に続ける。君のお節介に愛想が尽きた、
忠告やローソクやテーブルクロスやその近眼、
不器用な手付きやオドオドした態度、あけすけな愛情、
いつも体調不良を訴える癖…、そのすべてに飽き飽きした、と。

マルタは悲しみと絶望の淵に突き落とされる。

トマスのマルタに対する高圧的な態度は例によって、
ベルイマンが嫌ったという父(牧師)を髣髴させる処があるが、
にしてもその態度はいささか常軌を逸している。
マルタ、君も君だ、何でこんな男に惚れるのよ。
この町にだって良い男はほかにいるだろ! と、コレは私(^^♪

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トマスは自殺したヨナスの家に向かう。
それもあんなに扱き下ろしたマルタに運転させて。
は? 一体どうなってんだ、この男?
変だと思わない君は変だよ(笑)。

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と笑いながらも私は首をひねる。
なんだろう、北欧のこの町の暗さと人気のなさは?
これではまるで終末でも来たみたじゃないか、と。

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トマスはカリンに会い、伝える。
ヨナスは猟銃で自殺した、話したが力になれなかった、と。
妻カリンは驚く。
トマスが祈ろうかと言うと彼女は「いいえ」と断る。
ミサに出席はしていたが、彼女の中にも
すでにどこにも信仰心などない事が知れる。

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マルタはトマスを乗せて教会へ向かう。
踏切に差し掛かり列車が通る。
全く、この列車に乗客が乗っているのかどうかも怪しいものだ。
機関士すら乗っていないかも知れないぞ。

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と、私は何気に「渚にて」(1959)を思い出す始末だ(^^♪

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教会に着いた。
お〜!と私は身震いする。
冬の光。この静寂。この美しさ!
これが「死」の光景でなくて一体何だろう
という気持ちに襲われる。

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教会から鐘の音が流れてくる。マルタとトマスの足が止まる。
この鐘の音は核戦争の恐怖の前に自殺した
ヨナスを弔っているのか。神の死を弔っているのか。
生きている気配を伝えるのはマルタとトマスの足音だけで、
自然すらすでに息が止まっているかのようだ。

凄い映像だなあと正直驚嘆せざるを得ない(^^♪

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教会の男が帰って来たトマスに聖書を読んだと言い、
イエスの受難について尋ねる。

本当は何を苦しまれたのでしょう。
磔の苦しみか。そんな筈はない。
ゲッセマネでペテロは裏切り、弟子たちも逃げ出した。
イエスの言葉は届いていなかった。孤独で、途方もない絶望だ。
そして十字架の上で叫ばれた、
「わが神よ、なぜ私をお見捨てになったのか」と。
死を前にして神に疑いを抱いた。
何よりも辛かったはずです、神の沈黙が―、と。

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酔ったオルガン弾きの男がやって来て
礼拝堂にいるマルタに声をかける。
今日のミサは中止だな、誰も来てない、
君は会衆の数に入らない、と。

私はまたも驚く。
え、もう翌朝なのか。北欧に夜はないのか。
いや、時間というものがないのか!
それともやっぱりここに流れているのは昼も夜もない
死の時間なのか、と(^^♪

もとより信心など何一つ持ち合わせていない男は続ける。
あんな牧師に熱を上げるのは止せ。
他所に行った方が身のためだ。ここにいるのは死神と貧乏神だけ。
あいつが駄目になったのは女房のせいだ。
トマスは女房にのぼせ上って説教したものだ。
「神は愛なり。愛は神なり。愛は神の存在のあかし。
実在する真なるものである」と。
だが彼は裏切られた。女房は大した浮気女だったぜ―、と。

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オルガン弾きは部屋へ入り咳き込んでるトマスに言う。
「具合が悪そうだな、くたばるなよ。ミサは休むか」と。
トマスが「気分が悪いのか」と尋ねると、
「大丈夫だ。ナイチンゲールが待ってるぞ。
合図をくれ、オルガンの前にいる」と礼拝堂へ去る。

マルタを唆し、憎まれ口を叩くこのオルガン男は、
おそらくトマスに一蓮托生の心なんだろう
と私は勘ぐる。

教会の男も鐘の時間だと言い、去る。

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鐘が鳴った。

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マルタは思わず膝まづき祈る。
「勇気が欲しい。優しさを示す勇気が。
真実を信じたい。信じたい」と。

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マルタはオルガン弾き男に
トマスとその妻の話を聞かされて祈ったのだ。
トマスのために。
この時、マルタの愛は初めて無償に昇華した。

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トマスは小さい息をひとつつき、椅子から立ち上がる。

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それを見て爺さんは私の説教が効いたかなと笑む。
彼が語ったイエスの受難はトマスに降りかかる受難でも
あったのだ。
爺さんもトマスと一連托生の気持ちなのただろう。

この国のこの町の人々の信仰が消え失せたのではない。
牧師であるあなたの信仰が消え失せたのだ。
だから町の人々の信仰が消え失せ、この町の自然も
死んでしまったのだ、と。

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トマスは礼拝堂へ入り、壇上に立つ。

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マルタはまっすぐにトマスに目をやる。

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トマスはたった一人の会衆であるマルタに向かい
口を開き始める。
「聖なるかな、全能にして主なる神。
その栄光は地に満ちる」と。

マルタのトマスに対する愛は、
トマスにとって再びの「神への橋」となるのか。
神の沈黙の前でなお彼は神を信じる事ができるようになるのか。
この町の冬に光が射し、人々は町へ戻り、
この礼拝堂へ戻って来るようになるのか―。

トマスの死んだ妻に対する愛憎は
そのままマルタに対して、そして神に対して投影され、
その愛憎の中でトマスは自らの信仰に苦しんでいる。

マルタ、オルガン弾きの男、鐘突き爺さんの三人だけは
その苦しむマルタの傍に最後まで残り、
自分をマルタに賭けようとする。
マルタを見捨てて逃げる事は結局、自分が自分を見捨てる事、
自分が自分を裏切る事だと知ってからなんだろうね。

そうやって見るとこの四人はまるで、
ゲッセマネにおけるイエスの受難を繰り返すまいと
してるかのように見えてくる。(^^♪

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ゲッセマネ…、パレスチナ地方の古都エルサレム東部の
オリーブ山西麓の園。
イエスが処刑前夜の最後の晩餐の後に祈りを捧げ、
ユダの裏切りによって捕らえられたとされる場所。

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ほら、北欧スウェーデンのゲッセマネって感じするよな。
しない? その眼鏡拭いた方がいいかもよ(笑)。

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しかしこのシーンは何度観ても戦慄する。
人類は誕生以来、常に自然の猛威に見舞われてきた。
到底人間の力など及ばない自然に畏怖し、そこに神を見た。
私の言い方で言えば、全知全能の神を創造し、
自分たち人間を補償してほしいと願ってきた。

そして現代、人類は自然と、
自分たち人間が作り出してしまった核という二重の脅威に
晒されている。

このシーンは、過酷とも言える北欧の自然と、
中国の核開発ニュースの下に自殺した男を映し出す事で、
その二重の脅威を見事に表現しているように思えるからだろう。

実際、チェルノブイリ、フクシマと原発の脅威を通過してきた現在、
この映画は製作された1962年当時より遥かに
リアルにその恐怖を私の前に迫って来る。

ああ、真に恐るべし、我らがイングマール・ベルイマン!
と思わないカニ(^^♪


■86分 スウェーデン ドラマ
監督: イングマール・ベルイマン
脚本: イングマール・ベルイマン
撮影: スヴェン・ニクヴィスト
音楽: ヨハン・セバスチャン・バッハ
出演
グンナール・ビョルンストランド
マックス・フォン・シドー
イングリッド・チューリン
グンネル・リンドブロム
アラン・エドワール

名だたる映画人から敬愛されるスウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンが、1963年に発表した作品。61年の「鏡の中にある如く」、62年の「沈黙」にとあわせ、「神の不在」をテーマに描いた3部作の1作とされる。
スウェーデンの漁村で牧師をしているトマスは、最愛の妻に先立たれてから失意の底にいた。新しい恋人のマルタとの関係もうまくいかずに疲れ果て、牧師としての自信も失っている。そんなある日、深い悩みを抱えた夫を助けてほしいという信者の女性の相談を受けるが、ありきたりな言葉しかかけてやることができない。やがて女性の夫は自殺してしまい…。

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