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zoom RSS しいのみ学園 (1955) 日本

<<   作成日時 : 2016/01/10 02:15   >>

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[1191]ガキ大将、問題児として生涯を生き抜いた清水宏監督は菩薩である(^^♪

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YouTubeおすすめ傑作選(^^♪

子供の頃に観た私の邦画ベスト3は何を隠そう
「二十四の瞳」「黄色いカラス」、そしてこの
「しいのみ学園」である(^^♪

「しいのみ学園」を創った教授・山本三郎のベストセラーを
男一匹ガキ大将を通した我らが清水宏が、
昭和20年に撮った傑作。

いまの子供が観たらどんな感じなんだろうな。
私らの頃は皆してボロボロ泣いたもんだけどさ(^^♪

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心理学の教授、山本先生(宇野重吉)と
妻文子(花井蘭子)には二人の男の子があった。
有道くんと照彦くんである。
有道くんは小さい頃、不幸にも脊髄性小児マヒを患い、
右足が不自由になった。

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病院に見放された両親は、麻痺を
治してあげたい一心であちこちに縋り歩いた。
が、効果はなく、有道くんは結局、松葉杖姿に。

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学校に通うようになったが、他の子供たちは
有道くんを遊びに入れてくれなかった。

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どころかいつも、足の不自由な有道くんの
歩く真似をしてからかった。

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有道くんが恰もクラスの子の定期入れを盗んだ
かのように仕組んでいじめる子までいた。
さすがの山本先生も学校に怒鳴り込もうと思ったが、
その事で子供たちのいじめが高じるかも知れない
と母文子は止めた。

映画では描かれないが、有道くんは中学2年生の時、
2階から階段を突き落とされて歯を8本折る事件もあった。
両親はついに就学を断念、家に引き取っている。

その有村くんを演じているのは河原崎健三。
面影満杯だよねえ(^^♪

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そこへまた山本家を不幸が襲った。
今度は弟の照彦くんが脳性小児マヒに侵されたのだ。
両親は心が折れそうになった。

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ある夜、妻文子は山本先生に言った。
有道が、大きくなったら自分と同じように体の
不自由な子たちを集めて学校を作りたいと言っていました。
ねえ、そんな学校を私たちで作りましょうよ。
持っているもの全てを売り払って、と。

自分もそうしたいと思っていた山本先生は
妻の決心を喜んだ。

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二人は金になるものは全て売り払い、
足りない分は銀行からお金を借りて学園を建てた。
学園は「しいのみ学園」と名付けた。

山本さん本人によると、
「山の中に捨てられた小さなしいのみも、これに
温かい水と太陽の光を与えるならば,必ず芽を出してくる」
という親心の下に名付けたのだそうだ(^^♪

また映画では特定していないが、舞台は福岡である。
実際は筑紫平野の菜の花畑の真ん中に建てられたのだが、
映画ではごらんのように山の中になっている。
清水宏監督は山が大好きだったので変えたのかな(^^♪

映画の中でも少し語られているが、
その際、奥さんの実家の造り酒屋と海の回漕業、
その他全ての財産を売り払ったのだそうだ。
養護学校などまただ一つもない昭和29年のことである。

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山本先生の教え子、渥美かよ子も手伝いたいと申し出た。
実は彼女の妹も小児マヒを患っていた。
先生は嬉しくて大感激だった。
かよこ先生を演じているのは私の香川京子。
綺麗だろう。子供心にも参ったよねえ(^^♪

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体の障害を抱えた子たちが大勢集まった。
ちなみにスタート時の申込者は12名だったという。

なお解説に伴う障害、苦労などは、山本さん自身が
お書きになったものが下記のブログで紹介されているので
是非読んでほしい(^^♪
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00594/contents/00004.htm
(日本財団図書館)

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学園の教室は運動場で、運動場はむしろ休息室だった。
体の治療と訓練にチカラを入れたからである。

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子供が倒れても手を貸す事をしなかった。
自力で立ち上がれるよう訓練に変えた。
子供たちも傍で互いにそれを励まし合い、応援した。

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ズックを一人で履けるようになる訓練をし、
手の不自由な子のために紐を結んだり、
ボタンを嵌めたり、針金にビーズを通す訓練などもした。

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子供たちは皆、絵を描く事や歌う事が大好きだった(^^♪
ある継母に育てられた子は初め
一つ目小僧みたいな女の顔しか描かなかったが、
日が経つにつれ暖かい、二つ目の女を描くようになった(^^♪

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はい、音楽の時間は「しいの実のうた」。
学園の歌💛

♬ぼくらは しいのみ まあるい しいのみ
お池に 落ちて 泳ごうよ
お手てに 落ちて 逃げようよ
お窓に 落ちて たたこうよ たたこうよ

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♬ぼくらは しいのみ 小さな しいのみ
小鳥に 落ちて 飛びたいな
お舟に 落ちて 乗りたいな
こぶたに 落ちて 跳ねたいな 跳ねたいな

学園の精神そのものを表した良い歌だよねえ。
作詞は西葉子さん、作曲は齋藤一郎さん。

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はい、3番。皆で歌って。
おいこら、読んでねえで歌わんかい(笑)。

♬みんなは しいのみ 元気な しいのみ
お風に 揺れて 歌おうよ
お庭で ころころ 遊ぼうよ
みんな 仲良く 遊ぼうよ 遊ぼうよ

しかしどうよ、皆、もう滅茶苦茶可愛いだろう。
なんだと? 子供の頃の私みたいだとお!?(笑)

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共同意識を育むために遊びを兼ねて汽車ごっこをやらせた。
お母さんの傍を離れられなかった女の子が、
ある日その輪に入って皆と一緒に走り始めた。
お母さんは、先生、あの子が産まれて初めて走りました!
と追いかけながら堪らず嬉し泣きをした(^^♪

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ある日、岡山から鉄夫くんという子が現れた。

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両親が新聞を見た両親が預けに来たのだ。
母親は産みの親ではなかった。
話をしていて山本先生は、世間体や見栄のために
体の不自由な子を厄介払いするつもりだと断ったが、
鉄夫くんが可哀想になり、結局預かる事にした。

鉄夫くんは寂しさのあまり、夜、一人でよく泣いた。
皆と一緒に歌もうたおうとしなかった。

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ある日、子供たちは親と一緒にピクニックに出かけた。
お弁当時間になると鉄夫くんは皆から一人離れた。
両親が来なかったからだ。

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かよ子先生は果物を手に鉄夫くんの傍へ行き、
一緒に食べた。
先生は「しいの実のうた」を歌った。
鉄夫くんも一緒に歌って欲しかったからだ。
鉄夫くんは初め歌おうとしなかったが、
子供たちが遠くで先生と一緒に歌い始めると、
やがて口を開けて自分も一緒に歌い始めた(^^♪

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先生が子供たちに「鉄夫くんが歌ったわよ!」と喜ぶと、
子供たちは不自由な体を引きずりながらやって来て、
嬉しさの余り鉄夫くんと一緒に皆して歌った(^^♪

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翌日、鉄夫くんは歌がうたえるようになったと
岡山の両親に手紙を書いた。
字は仲良しの有道くんに書いて貰い、
かよ子先生に送ってと頼んだ。

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かよ子先生は感動し、
皆もお父さんお母さんに手紙を書いてみましょう
と子供たちに手紙を書かせ、両親へ送った。

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両親からすぐに返事の手紙が届き、皆大喜びした。
が、中にはまだ返事の来ない子供たちもいた。
鉄夫くんもそうだったが、ある男の子は羨ましくて
手紙が来た隣席の子のその手紙を取って読もうとした。

かよ子先生が何度も注意したが、
その子は止めず、とうとう隣席の子の手紙を破こうとした。
かよ子先生は思わずその子を叩いてしまった。

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先生はすぐに後悔した。自分に自信を失くし、
先生の奥さんの文子に先生を辞めたいと申し出た。
文子はあなた疲れてるのよ、毎日が大変なんだもの、
今日はもうお家に帰って休んでなさいと労わった。

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妹を連れて早退しようとしたかよ子先生は、
雨の中、一人山を下りて行く鉄夫くんを発見した。

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鉄夫くんは手紙が来ないものだから、
郵便局へ手紙が来ていないかどうか
聞きに行こうとしていたのだった。
かよ子先生は、鉄夫くんのお家は岡山で遠いから遅れてるのよ、
きっと明日には来るわ、と慰めた。

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かよ子先生の叩いてしまった子が追いかけて来て、
先生、僕が悪かったんですと謝った。
ううん、先生の方こそ悪かったのよ、ごめんなさいね
とかよ子先生も謝った。
「せんせ〜い」と他の子たちも遠くに追いかけて来た。

先生は子供たちの愛情に元気づけられ、
さあ、帰って皆でテルテル坊主をつ作りましょうと
鉄夫くんたちと一緒に坂の上の学園に戻っていった(^^♪

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翌日、鉄夫くんが倒れた。ひどい熱だった。

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医師がすぐに駆けつけてくれた。
彼女は院長先生に診て貰いましょうと言った。
もともと体の弱い子で、危ないようだった。
山本先生はすぐに岡山の両親へ電報を打った。

鉄夫くんは譫言のようにかよ子先生に聞いた。
「先生、お父さんから手紙来た?」

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かよ子先生は堪らず鉄夫くんに手紙を書き、
郵便局へ走った。
局員は事情を察し、すぐに配達しましょうと言った。

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院長先生は言った。
急性肺炎です、もともとこの子は心臓を患っているので、と。

子供たちが鉄夫くんに手紙が来たと知らせてくれた。
かよ子先生は「来たわよ、鉄夫くん」と言い、
枕元でその手紙を鉄夫くんに読んで聞かせてあげた。

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「鉄夫お手紙ありがとう。お父さんは嬉しく読んだよ。
何度も何度も繰り返して読んだよ。
毎日元気でなにより結構です。
歌がうたえるようになったんだってね。
お父さんも一度鉄夫の歌を聞きに行くよ。
それまでにもっともっと上手に歌えるようになっていて下さい。
じゃ、さようなら。お父さんより鉄夫さんへ」

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先生は鉄夫くんの耳元で聞いた。
「鉄夫ちゃん、わかった?」
鉄夫くんは嬉しそうに「うん」と頷いてそのまま息絶えた。

かよ子先生がお父さんになって書いた手紙だった。

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先生を初め皆泣いた。
心配そうに廊下で見守っていた子供たちも泣いた。

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初七日の日、先生と子供たちは鉄夫くんに手紙を書いた。

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そうして皆で郵便局へ出しに行った。
「しいの実のうた」を歌いながら……。

観終わると改めて思うよね、おい、コレ、ちょっとやばくないかって。
何がって…、素晴らしすぎて(^^♪
世界のクロサワだ、小津だなんて騒いでる人が
ちょっと阿保に見えてしまうかも知れないよ。
ん? ああ、言うよ私は、命知らずだから(笑)

何よりもまず子供たちの演技がとんでもなく素晴らしい。
子供たちの映画を作る事に命を張った清水作品はまあ、
「みかへりの塔」「蜂の巣の子供たち」を初め
いつもそうだって言えばそうなんだけど、
こら、子供たち、お前たちは一体何だ、天才の集まりか!
って山に向かって叫びたくなっちゃうよな💛

昔、ある人が不思議に思って
「どうやって子供たちを演出するんですか」って聞いたら、
監督、「何、ガキ大将みたいになって一緒に遊んでやるのさ」
と答えたらしいんだけどさ(^^♪(爆)

子供の頃からガキ大将、問題児童一筋で生きて来た人だから、
子供のウラの心を知り抜いていたとも言えるし、
子供たちを集めていつもただガキ大将に戻って遊んでいた。
それがやりたくて映画監督をやっていた、
と言っても良いかも知れない訳だけどさ(笑)。

監督は小手先芝居に走る大人の俳優を嫌って、
「役者なんかものをいう小道具」なんていう名言を発した人だから、
登場する私の香川京子や宇野重吉、花井蘭子ら
大人の俳優陣もほんとうに素晴らしい。
小細工、小手先芝居は一切なし。
子供たちに倣ってただまっすぐ。
ただ「もの言う小道具」に徹してるんだよねえ。お見事(^^♪

清水宏もまた見事に自分の発言に責任を取って、
脚本、演出、カメラも一切、小細工・小手先なし。
子供たちの描く絵みたいにただまっすぐに撮って、
後光が射すかのように美しい映像を造形している。

観てる私は思わず親鸞の言葉を思い出したほど。
「善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや」
もしかしたらかの悪人正機説は来るべきガキ大将、
清水宏のために言ったのかも知れんぞなんて思っちゃったよ(爆)。

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実際、見て、監督のこの写真。
お前、マフィアか!って感じだもんねえ(爆)。

あ、知らない人のために言っておくけど、
このマフィア清水監督、戦後、戦災孤児たちを引き取って
熱海の下多賀の農場で一緒に暮らしていたんだよ。
マフィアの癖に誰よりも菩薩に近いと思わないカニ?(^^♪

YouTubeの画像も海外版だからいつもと違って綺麗だよ。
英語字幕だから英会話の勉強にもなるし(^^♪
観る時は傍にハンカチをお忘れなく。
あ、ハンカチじゃなくてタオルの方がいいかもな。

個人的な事を少し。
私の一番上の兄は初めて生まれた子を「鉄生」と名付けたが、
私はこの「しいのみ学園」の鉄夫くんからその名を
借りたのではないかと疑っている(^^♪
ちなみにその兄は生涯、小学校の教師として生きた。

「二十四の瞳」「黄色いカラス」、そしてこの「しいのみ学園」と、
子供心に刷り込まれた作品を観てくると、
何だ、私がやって来た事は結局、
これらの作品を受け継いでやってきた事ではないかと、
我ながら気づかされて呆然とし、笑ってしまうしかない。

私としてはひじょうに嬉しい事なのだが(^^♪


■100分 日本 ドラマ
監督: 清水宏
製作: 永島一朗
原作: 山本三郎
脚本: 清水宏
撮影: 鈴木博
美術: 鳥居塚誠一
編集: 後藤敏男
音楽: 斎藤一郎
助監督: 石井輝男
出演
香川京子 渥美かよ子
島崎雪子 田中先生
宇野重吉 山本先生
花井蘭子 山本文子
河原崎健三 山本有道
岩下亮 山本照彦
竜崎一郎 村田三吉
毛利充宏 村田鉄夫

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