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zoom RSS ミツバチのささやき_3 (1973) スペイン

<<   作成日時 : 2016/03/14 04:07   >>

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[1205]映画の鑑。愛情の籠った美しい映像と少女の物語に涙が溢れるよ♪

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アナがタイプを打っていると突然、部屋の向こうで
物が倒れ、姉イサベルの悲鳴が上がった。
アナは廊下に出て「イサベル」と呼ぶが返事がない。

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廊下の端にある部屋を覗いてみると、
仰向けになってイサベルが倒れていた。
窓が半開きになり、傍の植木鉢が割れている。

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アナはイサベルと名を呼んで身体を揺するのだが、
イサベルはピクリとも動かない。

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アナは映画を思い出す。
窓から妖精=フランケンシュタインを呼んで遊んでいるうちに
まさか殺されたのでは?(^^♪
アナは開いている窓を閉じる。
そしてまた「何があったのか話して」とイサベルに声をかけ
動かしてみるのだが、やはり死んだように動かない。

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心配になってお手伝いおばさんミラグロスを呼びに
裏庭へ走るのだが、姿が見えない。
家に絡まる蔦が気になり、妖精の気配がないか窺う(^^♪

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急いで部屋へ戻ってみると、
横たわっていた筈のイサベルの姿が消えている。

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締めた筈の窓もまた開いている。
立ち上がって窓を閉める。と、背後に何かいるのに気づく。

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その瞬間、怪物らしきものに背後から目を覆われた!
あ、と振り切って窓の方へ逃げて振り返ると、

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目の前にパパの防護服(?)を纏って怪物に化けた
イサベルが立っていた。
イサベルは驚いた様子のアナを見て嬉しそうに笑う。ニャロメ(^^♪

指から滴る血を口紅代わりに自分の唇に塗った時に
思いついた一計とは、村外れの小屋に妖精がいると
言った「うそ」を信じ込んでいるアナをこうやって
揶揄って遊ぶ事だったのだ。

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夕方、イサベルは焚火の周りで近所の子たちと遊ぶ。

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アナは広場へ降りて、
焚火の周りで遊んでいるイサベルたちを眺めた。

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やがてイサベルたちは代わる代わるに
焚火の炎を飛び越え始める。

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見ているうちにアナには、村の子たちと一緒に炎を超えていく
イサベルがまるで自分の知らない人間のように思えてきた。
譬えて言えば、妖精とは違った怪物?(笑)

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アナの直観は当たっていた。
姉イサベルはいつの間にかアナの知らない世界に
住み始めていたのだった。

この世に「うそ」などと言うものがある事を知らないアナに、
フランケンシュタイは妖精だとうそを付いた。
村外れの小屋に妖精がいると言うのもうそだった。
妖精に襲われて死んだフリをしたのもうそ(お芝居)。

何故アナにうそを付くのか。答えは単純だ。
大人(人間)がうそを付く事を知り、
自分もうそを付きたくなったからだ。
子供から大人への道を歩みたくなったからだ。

飼い猫の首を絞めたのもそうだ。大人は
悪い事をする事を知り、自分も悪さをしてみたくなったのだ。
アナに殺されたフリをしたのもその悪さの一つだ。
むろん指の血を口紅代わりに唇に塗ったのも
早く大人になりたいという気持ちの表れである。

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子供はそうした小さなうそや悪さを積み重ねる事で
次第に大人になっていくしかない。
大人になるとは自分のうそや悪さに対して、ちゃんと
自分で責任を取れるようになると言う事なのだから。
人間のケガレを引き受ける事なのだから(^^♪

私たちの言葉で言えばそれは、
イノセンス(無垢)を解体する事で大人へと成長していく
と言う事である。

ちなみに写真(上)のように
アナにイサベルが一瞬真っ黒な影に見えてしまうのは、
イサベルが自分のケガレを引き受けた事を表していると
見る事ができる。

この作品がいかに子供の発達史に沿って
綿密に創られているか良く分かる。
若干33、4歳にしてこれかと私が驚嘆するのも全く無理ないのだ。
え〜と、今の日本人で33、4歳と言うと。。。(笑)

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これも余談だが、80年代以降、家庭内暴力・校内暴力・
思春期やせ症候群(拒食症・過食症)等が子供たちの間に現象化
するようになったのは、家族・学校・社会が子供たちの小さな暴力、
悪さを徹底的に封じ、自立する事を阻んだ事も大きな要因である。
むろん「いじめ」が遍在化した要因も。

フーコーやイヴァン・イリイチらが危惧した管理社会化、
社会の学校化等はまさにこの日本において
もっとも先鋭的に進行した事になる。
そうした社会を私は「システム化社会」と呼んでいるが。

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皆が帰ったあとアナは一人、
尽きそうな焚火の前にしゃがみ込み、動けない。
姉イサベルが遠い処へ行き、
一人ぽっちになったような大きなショックを受けたのだ。
そこへお手伝いのミラグロスが心配して現れ、
「一緒に帰りましょう」と家へ連れて帰る。

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その夜、アナはベッドを抜け出して庭へ出ると、
目を閉じて山々と夜空に夜明けまで祈り続けた。

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「私はアナです。。。私はアナです。。。」

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友達はもう妖精しかいないから。

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その男は夜明けとともに列車に乗って現れた。

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そしてオユエロス村に近づくと列車を飛び降り、

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村外れのあの小屋の中へ入って行った。
片足を引き摺りながら。

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朝、ベッドに戻って来たアナにイサベルが尋ねる。
「どこ行ったの?」 だがアナは答えない。
「アナ、どこへ行ってたの」 アナはイサベルに背を向け沈黙した。

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その男は疲れて果て小屋で眠っていた。

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人の気配に気づいて飛び起き、

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咄嗟に手元の銃を取って構えた。

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まだ幼い子供だった。

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アナは壁を離れてその男に近づいた。

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そしてバッグから林檎を取り出すと、
「あげる」と言って男に差し出した。
あの少女メアリーがフランケンシュタインに
「あんた、誰? 私はメアリーよ。一緒に遊ぶ?」と
花を差し出した時のように。

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男は空腹だったらしく林檎を手にすると齧り、
それからアナをじっと見つめる。

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アナは男のその眼差しに妖精=フランケンシュタインを見た。
自分の願いが叶ったのだと思った。

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アナはすぐに家に引き返し、
父のコートと食べ物を手に小屋へ急いで戻った。

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寒さに震えていた男は少女の差し出すコートの袖に
腕を通すと、負傷した足に手を伸ばした。
アナが差し出す食べ物はパンとワインである。
その事からも彼女が男を精霊だと認めている事が分かる。

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アナは男に代わって負傷した足の靴紐を結んでやった。

こうやって自分の意志で行動するのは
アナにとって初めての事である。
姉イサベルと離れて一人ぽっちになったからだが、
その行動はアナの中に自分の言葉が生まれ始めた事を
意味すると言っても良い。

ソシュールが言うように言葉が「意味するもの」だとすれば、
アナはその「意味されるもの」を自分で発見したのだ。
あるいは創造した。

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妖精という言葉。意味するもの。
この男=フランケンシュタイン。意味されるもの。

人々は非現実的で、
それは彼女の空想だと言うかもしれない。
まだ子供なので虚構と現実の区別がつかないのだと。

だがそれは間違いだ。何故なら虚構も、あるいは妄想も
人間はみな等しく自分の現実として生きているのだから。

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むしろ意味されるものが非規範的、
あるいは空想的、妄想的である事によって
人間はこの襲い掛かる現実から自由になれるのだ。
そしてそれが正しく言葉の力なのだ。
この世界を再構築して生きて行くための言葉の力。

その事は父フェルナンドと母テレサが、現実から逃れられず
窒息しそうになっている事からも容易に分かる。
ビクトル・エリセ監はだからこそ少女アナを
二人への反措定として描いてみせたのだと言っても良い。

この作品は既に言ったように
フランコ軍事政権を批判したものだと良く言われるが、
私からするとそれよりもっともっと大きな作品なのである。

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男はコートのポケットにあった懐中時計に気づく。
手にして蓋を開けるとオルゴールが流れる。
その曲に突かれたかのように男の視線は遠くを見やる。

この曲が何の曲なのか実は私は知らない。分かれば
この男の想いの先を窺う事が出来るのかも知れないのだが。
ちと残念(^^♪

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男は懐中時計を蓋を閉じると、アナの前で消してみせた。

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アナはこの人はやはり妖精なのだと思う(^^♪
この後彼が消えてしまう事も知らずに。

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アナは男の靴紐をしっかりと結んだ。
この時アナはこの足と脚の傷跡で、この男が
妖精である事を無意識に確認しているのだとも言える。
アナが妖精がいる事を確信したのは
小屋の外で発見した時だったし、映画で見た
フランケンシュタインの身体は傷跡だらけだったのだから。

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アナは何度も小屋を振り返りながら家路に着いた。


※「ミツバチのささやき_1」
※「ミツバチのささやき_2」
※「ミツバチのささやき_3」
※「ミツバチのささやき_4」
※「ミツバチのささやき_5」


■99分 スペイン ドラマ
監督 ビクトル・エリセ
脚本 アンヘル・フェルナンデス・サントス 、 ビクトル・エリセ
原案 ビクトル・エリセ
製作 エリアス・ケレヘタ
撮影 ルイス・カドラード
美術 アドルフ・コンフィーノ
音楽 ルイス・デ・パブロ
出演
アナ・トレント
イサベル・テリェリア
フェルナンド・フェルナン・ゴメス
テレサ・ジンペラ
クエエティ・デ・ラ・カマラ

スペイン内戦がフランコの勝利に終結した直後、1940年の中部カスティーリャ高地の小さな村を舞台に6歳の少女アナと彼女の家族たちの日常を描く。製作はエリアス・ケレヘタ、監督・原案は「エル・スール」のビクトル・エリセでエリセのデビュー作にあたる。脚色・脚本はアンヘル・フェルナンデス・サントスとビクトル・エリセ、撮影はルイス・カドラード、音楽はルイス・デ・パブロ、編集はパブロ・G・デル・アモが担当。出演はアナ・トレント、イサベル・テリェリアなど。
一人の少女を主人公に、彼女が体験する現実と空想の交錯した世界を繊細に描き出した作品。スペインのとある小さな村に「フランケンシュタイン」の巡回映画がやってくる。6歳の少女アナは姉から怪物は村外れの一軒家に隠れていると聞き、それを信じ込む。そんなある日、彼女がその家を訪れた時、そこで一人のスペイン内戦で傷ついた負傷兵と出合い……。

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