流れる (1956)

[047] 日本版「春夏秋冬そして…」?

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キム・ギドク監督の「春夏秋冬そして春」を観たあと、
じつはなんとなくこの成瀬巳喜男の映画のことを思い出して、
久しぶりに取り出して観た。

「春夏秋冬そして春」と同じように、
舞台はほとんど「芸者置屋つたの家」のワン・セットで、
つたの家とそこの芸者たちの「春夏秋冬」を、
人生や時代の「流れる」様を淡々と描いていたことを
思い出したからだ……。

で……、たしかにそういうところは似てたんだけど、
やっぱりずいぶん違うよなあ、というのが印象。
観たら誰もそう思うだろうけど……。

一言でいえば、
幸田文の小説もそうだったけど、
この映画の底には徹底した「無常観」が流れていること……。
その無常観が受容されていること……。

キム・ギドクの「春夏秋冬そして春」は、
そういう意味では、まだ輪廻の無常を
超えようとする人間の厳しい意志とエネルギーに満ちてて、
そのあたりが全然違う……。

親鸞と日蓮の違いみたいなかんじ……?

それはまあいいとして、
こういう映画観てると、日本はもうすっかり変わったな、
と痛切に思っちゃうよねえ。

そうした宗教観なんてもうないし……、
衣食住は生きるうえでの第一の主題ではなくなってしまってるし……。

ということは、世界観、人生の主題が
各自てんでんバラバラになってしまったってことなんだけど……。

この映画を観て誰しもが驚くのが、
昔の女優さんたちの演技力の凄さなんだろうけど、
こういう演技ができたのも、言いかえると、
みんな、衣食住がとりあえず第一の主題だったし、
この世も人間も移ろい行くみたいな視線を共有できていたから。
だから俳優さんたちもお互いがわかりあえたし、
わかりあえるから切磋琢磨し、火花を散らすことができたんだとおもう……。

でも、もういまは無理……。

世界観も人生の主題もバラバラで、
他人がなに考えてるかお互いほとんど了解不能だし……、
こうした演技はとてもとても……。
(と落ち込んでしまった)

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●てっせんさん
こういうところへ来ていただいてとても嬉しいです。
ほんと、すごいキャスティングですよねえ。
世の中が前へガムシャラに進んで行こうとしてる時代は、
優れた才能がドンドン花開くんじゃないでしょうか。
日本はいま長らくどん底で停滞しちゃってますからねえ……(笑)。
たけしとギドクの違い、私もそう思っています……。

ありがとうございました。

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117分  東宝  ドラマ

監督: 成瀬巳喜男
製作: 藤本真澄
原作: 幸田文
脚色: 田中澄江 井手俊郎
撮影: 玉井正夫
美術: 中古智
編集: 大井英史
音楽: 斎藤一郎

出演
田中絹代 梨花(女中)
山田五十鈴 つた奴(芸妓)
高峰秀子 勝代(つた奴の娘)
中北千枝子 米子(つた奴の妹)
松山なつ子 不二子(米子の娘)
杉村春子 染香(芸妓)
岡田茉莉子 なゝ子(芸妓)
泉千代 なみ江(芸妓)
賀原夏子 おとよ(つた奴の姉)
宮口精二 鋸山(なみ江の伯父)
仲谷昇 佐伯(お浜の甥)
加東大介 高木(米子の前夫)
竜岡晋 村松
栗島すみ子 お浜(水野の女将)

幸田文の同名小説を「めし」「浮雲」の成瀬巳喜男監督が映画化。傾きかけた芸者置屋を舞台に、時代の流れの中で変わりゆく花柳界に生きる女性たちの姿を豪華な女優陣の競演で描いた作品。女性のありのままの姿を一貫して描いてきた成瀬映画のいわば集大成にして成瀬演出のひとつの到達点を示した日本映画を代表する傑作。
大川にほど近い花街にある芸者置屋、つたの家。ここに職業安定所の紹介でやってきた女中・梨花は女将つた奴に面会、呼びにくいからといきなり名を“お春”に変えられてしまったものの無事採用が決まり、さっそく住み込みで働くことになるのだった……。
日本映画を代表する女優たちが与えられた役どころの中でみごとな演技合戦を展開。それでもやはり圧巻は、これが久々のスクリーン復帰だったという往年の大スター栗島すみ子。その指先の動き、語尾の言い回し、どれをとってもこれぞ“芸”とでもいうべき珠玉の演技を披露してくれる。

この記事へのコメント

てっせん
2009年01月16日 23:58
今晩は
今宵はなんとなく、こちらあたりを徘徊したくなっちゃいまして・・・(笑)。

この映画は観ていないんですが、キャストがなんとも凄いものですねえ。なんという豪華、なんという贅沢、夢のような出演陣。かつては、これくらいのキャスティングは別に珍しくもない、そういう時代が確かにあったんですよねえ・・・。
今にして思えば、市川雷蔵が逝ってしまう頃までの日本は、あらゆる分野にわたって優れた才能が花開き、豊穣にして絢爛たる季節だったんですね。
そのまっただかにあっては、それが当たり前だという感じでなかなか気がつかないのですが、時を経てみると、実に贅沢な時代だったですね。
それにくらべ今の風景は、なんとも・・・。

追伸・・・
キム・ギドクについてのご指摘・・・人間の厳しい意志とエネルギーに満ちている・・ということ、まったく同感です。そして、そこのところが、底に無常観が流れる北野武監督との相違じゃないかと、かねがね思っていました。あるいは韓国映画と日本映画の相違?
失礼しました。

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