リアル・フィクション (2000)

映画における虚実の皮膜……?

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「悪い女」のあとに公開された映画のようだ……。

わざわざ公開と書いたのは、どうやらこの作品を撮る前に
「魚と寝る女」という作品を撮っていたみたいだから……。

その「魚と寝る女」はじつはまだ見ていない。
タイトルだけでゾクッとして、もう一刻もはやく観たいんだけど、
まわったビデオ屋さんはどこも置いてないんだよねえ。
悔しい……!

主人公は公園で似顔絵を描いている青年(チュ・ジンモ) ……。

いや、キム・ギドク、ほんとに絵が好きなんだとおもう。
処女作「鰐」にも「悪い女」にも絵描いてるシーン出てくるもんね。
映像は前にも書いたけど、絵画的というか、油絵みたいだし……。

かれ、たしか、牧師になろうとしてフランスへ留学して、
で、帰ってきたら映画撮りはじめたみたいだけど、
本場フランスで美術に相当カルチャーショックを受けたのかも……?
かれのことは映画観てるだけで全然知らないんだけど。

で、自分も絵を描きたいって思ったんだけど、
絵の才能はないと諦めて、じゃあ映画で絵を描こう……、
と思って映画を撮りはじめた?
なんて、勝手につまらない妄想までしちゃう自分がいる。

ああ、すっかりキム・ギドクに嵌ってるよねえ……。

物語は、
その青年の中の「もうひとりの自分」が目覚めて、
かつて自分にひどい仕打ちをした連中を次々に殺害していくというもの。

その「もうひとりの自分」が目覚めるきっかけは、
公園でなぜかひたすらかれを
ビデオカメラで撮っている女に導かれて入った小劇場……。

舞台にひとりの男がいて……、
その男は俳優で、青年の中の「もうひとりの自分」でもあるんだけど、
その男に、
「おまえには過去こういうことがあったろ。
そいつらを殺したいと思ってんだろ」みたいに挑発されて、
それで「もうひとりの自分」が前面に浮上してきちゃうの。

ここで面白いのは……、
そこでも女がビデオをまわしてるんだけど、
男にまず「この女を抱きたいんだろ、この女とやりたいんだろ」って
その女の前でズボン脱がされて、女に恥部を見られちゃうとこ。

そこから
抑圧してきた「もうひとりの自分」が目覚めはじめちゃうんだよね。

そう。
フロイトだよね、フロイトやってんの。
「無意識」の解放。その解放は「性」の解放からやってくる、みたいな……。
ひらたく言うと、この女にオチンチン見られちゃったんだから……、
いちばん大事なもの、
いちばん奥に仕舞ってたもの見られちゃったんだから、
もう何も怖くないぞお……、みたいな……?

もうひとつ……。
男が青年に小道具のピストル渡して、
過去に青年にひどい仕打ちをした男たちをやってみせて、
「さあ、俺をそのピストルで殺せ。引き金ひけ」って挑発するわけ。
と、青年が、男に向かって引き金を引きはじめる。

で、最初の何発かは空砲だったんだけど、
最後の1発は実弾で、男が倒れて死んでしまうわけ……。

そのあと絵描きの青年は復讐するかのように、
かつて自分にひどい仕打ちをした
実際の女や男たちを殺しに劇場を出ていく……。

若い女はその青年を追って
カメラでかれを撮りつづけるっていう話なんだけどね。

いや、それだけじゃなくてさ、
女が撮っている映像が時々、
ほんらいの映像に挟まれながら出てくるんだよね。
いかにも手持ちカメラで撮ってる、
素人っぽい(?)映像だからすぐにわかるようになってるんだけね……。

で、たぶん、
タイトルの「リアル・フィクション」というのは、
女が撮っている絵描き青年の映像と、
その女と絵描き青年をひいて撮っている映像のこと……。

女が撮っている映像が「リアル」(現実)で、
女と絵描き青年をひいて撮っている映像が「フィクション」(虚構)。

いや、その反対でもいいの。
女が撮っている映像が「フィクション」(虚構)で、
女と絵描き青年を撮っている映像が「リアル」(現実)。

ということは結局、
なにが現実で、なにが虚構なのか、
どこまでが現実で、どこからが虚構なのか、よくわからない……、
みたいなことを撮っている映画と言えばいいのかな……?

絵描き青年のことで言うと、
どっちがほんとの自分? とかじゃなくて、
なにをされても怒ることのできない自分も、
浮上してきた「もうひとりの自分」も自分っていうのかな……?

そういうふうに読み取れるのは、
最初の公園のシーンと、最後の公園のシーン……?

どっちも絵描き青年はそこで似顔絵を描いてて、
そのまわりをいろんな人たちが
かれを興味深げに取り囲んで見てたり、通り過ぎたり、
あるいは全然関係なくあたりをタムロしてたりするんだけど、

どうみたってそのひとたち、エキストラじゃなくて、
この映画の撮影を興味深げに見ている一般のひとたちなのね。

俳優はせいぜい絵描き青年と、
絵描き青年に絵を描いてくれというひと、
ショバ代払えと迫る町の悪い兄さんたち、
絵描き青年の後ろにある公衆電話で、誰かに電話している連中たちくらいで……。

(すいません。夕べは眠くてここで中断しちゃいました)

まあ、早い話、
公園で俳優たちが芝居はじめて、
たまたまそこにいるひとたちが「なにやってんだろう?」って眺めてて、
それをカメラが撮ってるの……。

そして、もろネタばらしなんだけど、
最後に「はい、カット(終わり)」という声が聞こえてきて、
画面の外からこの映画を撮ってたスタッフや俳優さんたちが
ぞろぞろ公園の中央に集まってくるんだよね……。

というと、わかりやすい感じがするんだけど、
キム・ギドクはじつはそんな単純な監督じゃなくて、

絵描き青年やってたチュ・ジンモはそのとき、
この映画を作ってたそのスタッフや俳優とは遠く離れて、
ロケを眺めていた一般のひとたちに紛れて、
一緒になってロケ隊を眺めてんのよねえ……。

とするとさ、ふと怖くなるんだよね。
ほんとは、これ、どこまでが現実か、
どこからが虚構かみたいな単純な問題じゃないよな。
だって映画(虚構)撮り終わったはずなのに、なんでまだ撮ってるの……?

一般のひとたちとロケ隊が同居している
この公園を撮ってるカメラはなに……?
だれ……?
映画のカメラ・アイってなに……?
みたいなことを考えさせられてさ……。

私なりに結論だけ言うと、
これ、リアルかフィクションかみたいなタイトルになってるけど、
ほんとはそういうことじゃなくて、
リアルとフィクションの「間」、現実と虚構の「間」……、
近松門左衛門のことばで言うと、
「虚実の皮膜」の領域のことを問題にしているんじゃないかっておもう。

現実も虚構も同時に見渡せる場所……。

じつはそういう場所があって、
映画ってのはそういう場所に立って撮るものなんだ、
おれはそういう場所から撮りたい……、
ってキム・ギドクはメッセージ送ってるんじゃないかなあ、
なんて思っちゃった。

処女作「鰐」で言うと、陸と海(水)の「間」、
つまり「橋の下」ってことになるんだろうけど……。

いやあ、キム・ギドク、ほんと面白い監督だよねえ……。

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●アマポーラさん
すいませんでした、途中なのに読んでいただいて。
11人が撮ったのを編集した、統括したっていうことらしいんですけど、
最初と最後の公園のシーンは、
キム・ギドク自身が監督してるんじゃないかなあ、と思います。
その間のシーンとはちょっと出来が違うので……。
「小学校卒。独学で映画を学んだ」……、そうなんですか。
いやあ、完璧に天才の条件クリアしてますよねえ……(笑)。
余談ですけど麻原彰晃がそうでした。あんなことやっちゃいましたけど、
書いたもの読むと、かれも「独学の天才」ですね。
やっぱりプレイボーイですかあ。予想通りですね。
キム・ギドクの頭の中はもう女性のことでいっぱいなんじゃないでしょうか。
愛情に飢えたオオカミ……?
女性のおっぱいがもう好きで好きでしょうがないんだと思います(笑)。
アマポーラさんのお好みにもよるんでしょうけど、
入りやすいのは「春夏秋冬そして春」「うつせみ」……?
映画大好きでしたら最高傑作の「受取人不明」……?
外れたらごめんなさい……。
チュ・ジンモ 、「うつせみ」もよかったんですが、
こっちのほうがもう断然いいと思いました。
映画の質の違いも影響しているんでしょうけどね……。

●チェブさん
「ただこの頃韓国映画界に苛立ちを感じていたようなのですが」
そうですか。それできっとこういう訳のわからない映画を?
撮ったんじゃないでしょうか……(笑)。
「いつものように主人公の悲しさや苦しみが心に届かない…何故?」
映画の方法意識(カメラ・アイの問題)について撮った映画だからだ
と思います。
物語をリアルにすると、そっちのテーマが弱くなってしまうので
そうしたんじゃないでしようかね……。

ありがとうございました。

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[088] 84分 韓国 ドラマ

監督: キム・ギドク
脚本: キム・ギドク

出演
チュ・ジンモ
キム・ジナ
イ・ジェラク

撮影時間3時間20分、上映時間84分、35mmカメラ8台とデジタル・カメラ10台を使用し、11人の監督がそれぞれのシークエンスを撮影するという実験的な映画。
青年(チュ・ジンモ)は、近所の公衆電話を盗聴しながら公園で似顔絵を描いている。彼は絵に文句を付ける客やショバ代を要求するやくざに対しても感情を表さない。そんな彼を若い女(キム・ジナ)がビデオカメラで撮影している。そして、彼女に誘われてついて行った先は「もう1人の私」というチラシが貼られた小さな劇場。ステージ上には残虐な男(ソン・ミンソク)がいた。男は青年に酒を勧め、「臆病者!」となじり、恥ずかしい思いをさせる。そして青年が心の奥にしまっていた怒りや憎しみを露にし、自分をひどい目にあわせたやつらに復讐するよう拳銃を渡す……。


この記事へのコメント

アマポーラ
2008年04月27日 10:28
おはようございます。^^
この映画は撮影時間3時間20分、上映時間84分11人の監督で撮った、と書いてありますね。
キム・ギドク監督もその中の一人だったんですね。

キム・ギドク氏については雑誌の資料しか読んだことがないんですが、それによると学歴は小学校卒。独学で映画を学んだこと。プレーボーイ。
って書いてありました(笑)
まだ作品をみてないので何から観ようかと^^

青年役のチュ・ジンモくんはいかがでしたか?
チェブ
2008年06月16日 23:01
山崎さん こんばんわ
あぁ…今までにみたキム・ギドク作品では一番??だった気がします。いつものように主人公の悲しさや苦しみが心に届かない…何故?
リアル・フィクションだから?フィクションという世界で主人公が生きているんですよーと思わせる設定だから?(すみません?だらけで。だってわからないんだもの)
リアルな世界では感情を表に出せず、フィクションの世界で次々と復讐をしていく
でもそのフィクションの世界でも昔の恋人を殺すことができない。ここだけは殺害シーンもないですね。そしてまたフィクションの世界へ…
監督何をいいたかったのでしょう?ただこの頃韓国映画界に苛立ちを感じていたようなのですが…

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