絶対の愛 (2006)

[113]美容整形ブームと恋愛の心はシンクロしない……?

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「春夏秋冬そして春」からあと、
水辺の住人キム・ギドクは水辺を去り、陸(都市)へとあがった。

映像詩人(美術家)であり、
物語作家でもあるかれに何が起きたのか、
まだ付き合いの浅い私にはよくわからない……。

この作品もその都市の物語。

セヒは、恋人のジウが
自分に飽きて他の女のもとに走ってしまうのではないかと、
脅迫的な思いにかられ、ジウの前から姿を消す。

じつは整形手術をするためなのだが……。

手術は成功し、6月後、
セヒは「スェヒ」というまったく別の女としてジウの前に表れ、
みごとにジウの心をまた掴む。

だがスェヒ(セヒ)は、自分の予想に反して率直に喜べない。

自分はセヒなのか、あるいはスェヒなのか。
セヒとして愛されてるのか、スェヒとして愛されているのか、
セヒとして愛されたいのか、スェヒとして愛されたいのか、
セヒとして愛しているのか、スェヒとして愛しているのか、
混乱して、自分でも訳がわからなくなってしまうからだ……。

結局、ある日、
スェヒはセヒの顔写真を被ってジウの前に出る。

ジウは激しく戸惑う。
整形手術をしたセヒの心がわからないから……。
セヒの顔写真をつけているスェヒの心がわからないから……。

その果てにジウがとった行動は、
スエがしたように、自分もスェヒの前から姿を消し、
整形手術を受け、まったく別の男として、
まったく新しい人間としてスェヒの前に立つことだった……。

このあたり男と女の複雑な心の描き方、
物語の展開のしかたはもうみごとで、
ギドク・ファンの私としてはスタンディングオペレーション気分だ……。

海辺の彫刻公園の映像もさすがギドク……!

と思うんだけれども、
初期作品のようにはやはりどうしても心に突き刺さってこない……。
ものすごく面白いんだけど、もうひとつ感動しないんだよねえ。

なんでなんだろう? と、例によって悩んじゃった……。

理由のひとつはたぶん
美容整形にたいする考え方の問題。

韓国もすでに美容整形が市民権を得ている。
この物語は、その社会現象を背景に
美容整形による自己同一性(アイデンティティ)の崩壊の
可能性を描いたものと言っていい。

まあ、そう言ってよければ、キム・ギドクは
自国の美容整形ブームにたいして警鐘を発しているんだけど、
あ、そこはちょっと違うんじゃないかなあ……、
と思っちゃうんだよね。

この映画観てるだけですぐわかるんだけど、
韓国の若い世代のファッションはもう日本と変わらない。
みんな、すごくセンスがいい。

ファッションというのは自分の身体の延長で、
そのセンスのよさは、かれらが自分の身体を、
自分そのものを自分の主題にする段階に入ったことを表している。

と、とうぜん次に来るのは、日本もそうなんだけど、
自分のからだそのものを自分が気にいるようにいじること、
つまり「美容整形」ってことになる……。

で、このことは何を表してるかというと、
整形の問題と、恋愛の問題はシンクロしていないってこと。
みんな恋愛するために整形するわけじゃないってこと。
恋愛と整形はあくまで別次元の問題だってこと……。

セヒのように恋愛のために整形するひとがいたとしても、
まあ実際いるかもしれないとはおもうけど、
そういうひとの問題は、
ブームとしての整形問題の中心には入ってこれないんだよね。
副次的な問題にしかなれないの……。

キム・ギドクはそこいらを
ちょっと勘違いしてるかなあって気がする。

勘違いするのはかれが
「個人」よりも「性(家族・恋愛)」を優位に生きている監督だから
だと思うんだけどね。

そこがまた私がギドクを偏愛する理由でもあるんだけど……。

ひらたく言えば、スエが永遠の愛を、
「絶対の愛」を手に入れたくて整形するんだけど、
結果、自己同一性が危うくなった……、というだけにしといて、
自国の美容整形の問題と結びつけるべきじゃなかったってこと。

整形するひとたちの主題は恋愛なんじゃなくて、
あくまで「自分」なのだから……。

そうすればこの映画、相当傑作になったんじゃないかなあ。
観る側の心にも
とても深く入ってきたんじゃないかなあっておもう……。

あ、いや、どうなんだろう……、と、どうしても躊躇しちゃうなあ。

たしかに海辺の彫刻公園の映像いいんだけど、
キム・ギドクの心の内側から描かれてる絵じゃないんだよねえ。

すでにギドクが勝ち取った
映画の方法としての「絵」なだけであって……。

う~ん、ギドク、どうしちゃったんだろう……?
もともと陸に住めるひとじゃないとおもうんだけど、
なんで陸(都市)にあがっちゃったのかなあ……?
と、どうしても出発点に戻っちゃうなあ。

いっそのこと整形して「お魚」になる話にしてほしかった……?

かつてギドクは水の中へと退行する物語ばかり創ってた。
その「退行」は、心の中の心への退行で……、
心ってなにかという問題を明らかにしてみせてたんだけど、

そういう退行をやめて、都市へと進化?しはじめちゃったなあ
って気がして……。

こういう進化ってあんまし意味ないんじゃないかなあ。
以前の退行するギドク作品のほうが、
じつは都市の現在を照射してみせてるのになあ……。

でもでも、ほんといい映画であること間違いないよ。
混乱や錯覚をひっくるめて、ギドクがすごい作家だってことはね……。

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●ちょごりさん
先日はご参加ありがとうございました。
最新作は「ブレス (2007)」のようですね。
この作品はその「ブレス」の前の作品です。
はい、ブログ拝見します。そのあとまたここに追記しますね……。

●チェブさん
「ギドク監督、春夏秋冬で業を無くそうとしてたはずなのに、
弓、絶対の愛、ブレスとものすごい執念の愛に
取り付かれてしまったように思います(笑)」
いやあ、まったくですねえ。
しかしそこがギドク観るのを止められない理由です(笑)。
「女性から見ると、少しはわかる気もするのです」
いえいえ、男から見てもわかります。
男だって女にいつ捨てられるかとビクビクしながら生きてる
イキモノなわけですから……(笑)。
いろいろと注文はつけていますが、ギドクはやっぱり最高です。

ありがとうございました。

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98分 韓国/日本 ドラマ/ロマンス

監督: キム・ギドク
製作: キム・ギドク
製作総指揮: 鈴木径男
脚本: キム・ギドク
撮影: ソン・ジョンム

出演
ソン・ヒョナ スェヒ
ハ・ジョンウ ジウ
パク・チヨン セヒ
杉野希妃 ウェイトレス1

美容整形が一定の市民権を得て一般の人の間にも広く浸透していると言われる韓国の社会事情を背景に、鬼才キム・ギドク監督が放つ戦慄のラブ・ストーリー。恋人が自分に飽きてしまうこと恐れるあまり、自ら顔と名前を変え、別人として再び男の前に現れ、男の愛を永遠につなぎ止めようとするヒロインの壮絶な運命の行方をスリリングに描き出す。
互いに深く愛する恋人たち、セヒとジウ。付き合い始めて2年を過ぎ、時の移ろいと共にセヒは次第に不安を募らせる。ジウが自分に飽きて他の女のもとに走ってしまうのではないかと。そんなある日、セヒは突然姿を消してしまう。セヒの行方を懸命に捜すジウだったが、彼女を見つけだすことは出来なかった。6ヵ月後、未だにセヒのことが忘れられないジウの前に、セヒとよく似た名前の女性スェヒが現れる。実は、彼女は整形手術を施したセヒ本人だった。そうとは知らないジウは、セヒへの想いを残しつつも、次第にスェヒに惹かれていくのだったが…。


この記事へのコメント

ちょごり
2008年07月06日 12:25
先日は、お世話になりました。
この映画は、ギドク監督の最新作でしょうか、何かで、ちょっこと(芸能ニュースか?)みましたが、日本では、公開されてない?のかな・・・

先日の、事を、書かせて頂きたくて、でも、上手くかけませんでしたが、今日6日の私のブログに、書いてみました。
もし、お時間がありましたら、見て頂ければ、嬉しいのですが・・・
チェブ
2008年07月06日 15:37
山崎さん こんにちは

さてさてギドク監督、春夏秋冬で業を無くそうとしてたはずなのに、弓、絶対の愛、ブレスとものすごい執念の愛に取り付かれてしまったように思います(笑)

一歩まちがえば整形は自己を見失うことにもなりかねないという警鐘、皮肉かもしれませんがそこまでの〈愛〉にこちら側が同調できないから?でしょうか
でも女性から見ると、少しはわかる気もするのです。いつ恋人に捨てられるかという不安…たぶん容姿のことと愛をリンクさせてしまうのは女性的な考えなのだと思うのですが
女性は恋愛に対しての理想が高いのかもしれないです…こうあるべき姿ですか?(笑)

でも顔を変えてまでって・・ジウじゃなくても、その愛に得体の知れない恐怖を感じるかもしれません

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