アン・ソンギ__俳優

アン・ソンギ(韓国)

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1952年1月1日、ソウル生まれ。175cm、65kg。
外国語大学ベトナム語科。
1957年、映画「黄昏列車」子役でデビュー。

映画
「黄昏列車」
「10代の反抗」 
「下女」
「母様安心してください」
「豚の夢」
「母子抄」
「ヤルケ伝」
「白い烏(からす)」
「兵士と娘たち」
「第3工作」
「雨曜日」
「夜市」
「風吹く良き日」
「暗闇の子供たち」
「曼陀羅」
「小さなボール」
「低きところに臨みたまえ」
「他人の巣」
「鉄人たち」
「堕落した子供たち」
「霧の村」
「コバン村の人々」
「草の葉っぱのように横になる」
「赤道の花」
「膝と膝の間」
「深くて深いそこに」
「ディープ・ブルー・ナイト」
「その年の冬は暖かかった」
「鯨とり コレサニャン」
「哀恋妃」
「鯨とり2」
「ファンジニ(黄真伊)」
「恐怖の外人球団」
「月の光 猟師」
「内侍」
「冬の旅人」
「神様こんにちは」
「聖リ・スイル伝」
「わが青春の甘き日々」
「チルスとマンス」
「成功時代」
「ギャグマン」
「イ・ジャンホ(李長鎬)の外人球団2」
「南部軍」
「夢」
「天国の階段」
「19の絶望の末に歌う一つの愛の歌」
「ベルリンリポート」
「誰が竜の爪先を見たのか」
「ホワイトバッジ」
「君の中のブルー」
「トゥ・カップス」
「あの島へ行きたい」
「太白(テベク)山脈」
「ヘア・ドレッサー」
「天才宣言」
「スキャンダル」
「ママの星と磯巾着」
「男はつらい」
「祝祭」
「パク・ボンゴン家出事件」
「異邦人」
「生寡婦慰謝料請求訴訟」
「美しい季節」
「ソウル・ガーディアンズ 退魔録」
「美術館の隣の動物園」
「NOWHERE 情け容赦無し」
「真実ゲーム」
「穴」
「キリマンジャロ」
「MUSA-武士-」
「黒水仙」
「醉画仙」
「ピアノを弾く大統領」
「ミスター レディー」
「シルミド」
「ARAHAN アラハン」
「チンピラ口調」
「デュエリスト」
「韓半島」
「ラジオ・スター」
「光州5・18」
「マイ・ニュー・パートナー」

受賞
1960 第4回米国サンフランシスコ国際映画祭ゴールデン特別賞
1980 第19回 大鐘賞映画祭新人賞(風吹く良き日)
1982 第18回 百想芸術大賞男子最優秀演技賞(曼陀羅)
1982 第21回 大鐘賞映画祭男優主演賞(鉄人たち)
1983 第22回 大鐘賞映画祭男優主演賞(霧の村)
1983 第19回 百想芸術大賞男子最優秀演技賞(霧の村)
1984 第20回 百想芸術大賞男子最優秀演技賞(赤道の花)
1985 第24回 大鐘賞映画祭男優主演賞(ディープ・ブルー・ナイト)
1985 第21回 百想芸術大賞男子最優秀演技賞(ディープ・ブルー・ナイト)
1989 第25回 百想芸術大賞男子最優秀演技賞(成功時代)
1990 第11回 青龍映画賞男子最優秀主演賞(南部軍)
1990 第11回 青龍映画賞人気スター賞
1990 第14回 黄金撮影賞授賞式最優秀人気男優賞
1990 第1回 春史大賞映画祭今年の男優主演賞(南部軍)
1991 第29回 大鐘賞映画祭男子人気賞
1991 第27回 百想芸術大賞男子最優秀演技賞(誰が竜の爪先を見たのか)
1992 第13回 青龍映画賞人気スター賞
1993 第31回 大鐘賞映画祭男子人気賞
1994 第32回 大鐘賞映画祭男優主演賞(トゥ・カップス)
1994 第32回 大鐘賞映画祭男子人気賞
1994 第30回 百想芸術大賞大賞(太白(テベク)山脈)
1994 第30回 百想芸術大賞男子最優秀演技賞(トゥ・カップス)
2001 第22回 青龍映画賞助演男優賞(MUSA -武士-)
2006 第43回 大鐘賞映画祭50年の美・特別賞
2006 第27回 青龍賞男優主演賞(ラジオ・スター)
2006 第26回 韓国映画評論家協会賞男子演技賞(ラジオ・スター)
2007 第44回 大鐘賞映画祭男優主演賞(ラジオ・スター)
大鐘賞 男優主演賞5回
百想芸術大賞 男優主演賞7回
評論家協会映評賞 男優主演賞4回
アジア太平洋映画祭 主演男優賞2回
ほか多数受賞



彼は韓国映画のど真ん中に松のように立っている、だが寛容なイメージで自分の映画道を歩んできた。変身の鬼才と呼ばれる映画の中で純粋な若さと卑劣な人間性、そして コミカルさまでも、息もつかない演技の変身をしてきた。もちろん過度に形式的な演技をするという批判もあったが、彼は常に映画の中心に立っていて、映画と言う本然の根を胸中に抱いて生きてきた。何のためにそうするのだろうか?私たちの良い映画と自分のより良い映画人生のために…。

俳優のアン・ソンギは、映画の企画と製作に従事した父の影響で、字を習う前に映画に出演した。57年キム・ギヨン監督の<黄昏列車>が彼のデビュー作だ。この映画を筆頭に彼はありとあらゆる映画に子役で出演した。この中で1959年に<十代の反抗>に出演して大鐘賞の前身の文教部映画賞の文教部長官賞と、サンフランシスコの映画賞ゴールデン特別賞(子役)を受けた。しかし学校生活のために<ヤルゲ伝>(59)を最後に子役俳優としては銀幕を引退する。以後外国語大ベトナム語学科(1971年)に進学し、卒業後ベトナムに進出するつもりだった彼はROTCを支援、砲兵将校で軍生活を終えて、除隊後は中央大演劇映画科大学院を支援したりした。
俳優としての再出発は1978年キム・ギヨン監督の<兵士と娘たち>に出演。しかし観客の反応はかんばしくなく、その後も<第三工作>、<夜市>、<雨曜日>などに助演で出演したが適応するのが容易ではなく、反応もまた期待以下であった。
しかし彼の本当の再出発宣言は、大麻草解禁事件で帰ってきたイ・ジャンホ監督の再起作<風吹く良き日>(80)でなされた。この映画で彼は、他の誰もついて行けない最高の演技を見せる。特に韓国映画ではまれな計算された演技と徹底した事前準備、そして天賦の才能と尽きない変身への努力は、数多くの映画祭の受賞と共に韓国頂点の座に彼を押しあげた。
イム・グォンテク監督の<曼陀羅>(81)、<霧村>(81)を撮った後、同世代のペ・チャンホ監督と手を組み80年代の韓国映画の全盛期を起こし、すこし誇張して言うと、その当時の韓国映画はアン・ソンギが出た映画と出てない映画に区分される程だった。
興行と作品成も皆、成功的だった。特に<赤道の花>(83)、<鯨狩り>(84)、<ディープ・ブルー・ナイト>(85)、<冬旅人>(85)で絶頂を迎える。しかし<黄真伊(ファン・ジニ)>(86)の興行惨敗と共に<神様こんにちは>(87)とイ・ソッキ監督の<聖リ・スイル伝>(87)では形式的すぎる演技と言う批判もあった。
だが以後チャン・ソンウ監督の<成功時代>(88)で新しく変身し、その後パク・グァンス監督の<チルスとマンス>(88)、チョン・ジヨン監督の<南部軍>(90)、<ホワイト・バッジ>(92)に出演して再び全盛期を迎える。<トゥ・カップス>(93)のコミカルな演技、<情け容赦なし>(99)での抑えられた姿など彼に与えられたあらゆる役を消化する本物の俳優になったのである。
国民俳優と呼ばれることに対して、一方では負担だが、責任感を忘れないという俳優のアン・ソンギ。TVミニドラマ「刑事」で犯人役で出演したこともあり、「0時のプラットホーム」というラジオプログラムで6ケ月間DJのようにレギュラー出演したこともあるが、何より気が散る感じがするので映画だけに固執している。これらすべてが、たぶん俳優アン・ソンギの人生観ともぶつかっているのではないだろうか。あらゆる事を肯定的にとらえ、物事や現実を良く見ようという…、歪まずまっすぐ見ようという考えの持ち主だ。

その最新作「武士」は撮影だけで5ケ月の間、中国に留まった作品だ。夏から冬まで、摂氏60℃に肉迫する砂漠から海の迫る地域まで6,000マイルを行軍して、武士「ジンロブ」として暮らした。アン・ソンギは自分の撮影の有る無しに関係なく暑くとも寒くとも現場を訪れ、監督や共演しているチャン・ツィイーは『変らない姿に「国民俳優」と呼ばれる理由が分かった』と語ったくらいだ。
最近では若い監督と撮影作業をしながらも、変わらないその純粋さと真摯な姿で永遠の韓国映画の宝の位置を占めている。アン・ソンギくらい様々な配役で登場し、人生を歌った韓国俳優もいない。

●台湾人さん
韓国の俳優さんたちに信頼感、親近感がもてるのは、
かれらの後ろにこの俳優…、アン・ソンギがいるからじゃないかと!
と、わたしは思ってるのですが…(笑)。

ありがとうございました。

この記事へのコメント

2010年05月02日 13:31
アン・ソンギの「ピアノを弾く大統領」を見たことがあります。

この方は立っているだけで独特で不思議なオーラを放つので、まさに貫禄そのものを感じました。

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