リュ・スンワン__監督.俳優

リュ・スンワン(韓国)

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1973年12月15日、忠清南道温陽生まれ。
重いテーマを軽やかに描く手腕を持ち、
韓国のタランティーノとも評されるインディーズ界の有望監督。

作品
1998 「仲間割れ」
2000 「タチマワ Lee」
2000 「ダイ・バッド ~死ぬか,もしくは悪(ワル)になるか~」
2001 「血も涙もない」
2004 「ARAHAN アラハン」
2005 「クライング・フィスト」
2005 「五つの視線-男だからお分かりでしょう?」
2006 「シティ・オブ・バイオレンス-相棒-」


幼い頃から香港アクション映画に心酔しており、ジャッキー・チェンとジョン・ウーを崇拝、またサム・ペーキンパー、バスター・キートン、北野武らも好み。温陽中学校時代から中古の8mmカメラで映画を撮り始める。高校卒業後、工事現場、ホテルの清掃、農水産物市場の野菜運搬などの職を転々としながら、フィルム・ワークショップなどで映画を学び、2,000本を越える映画を見る。
1996年に短編『変質ヘッド』を製作。パク・チャヌク監督の『3人組』の他、『女校怪談』、『ドクターK』などの演出部で現場スタッフとして働く。
1998年に短編の『ケンカ』で第4回釜山短編映画祭優秀作品賞を受賞し、同じく短編『現代人』では第25回韓国独立短編映画祭最優秀作品賞・観客賞を受賞する。
2000年に、『ケンカ』、『現代人』を含む短編四本で一本の長編とするリレー形式の映画『ダイ・バッド ~死ぬか、もしくは悪(ワル)になるか~』で長編監督デビュー。この作品は完全な低予算インディペンデント映画だったが、第1回(2000)全州国際映画祭で上映されたおり、大変な好評を博したため一般公開された。加えて、一般公開時も大変な人気で急遽拡大公開され、監督も一躍時の人となった。
『ダイ・バッド ~死ぬか、もしくは悪(ワル)になるか~』はその製作過程も特異の一言。映画が企画されたのが1993年。当初から四部構成を考えていたが、お金がないので短編映画の形で自主製作することを思いつく。そして、映画広報の仕事をしていた妻カン・ヘジョンの助けによって、最初の短編『ケンカ』の撮影に入ったのが1997年。俳優・スタッフの多くは監督の友人で、全員ノー・ギャラ。監督自身、一作撮り終える毎に肉体労働をしたり、『女校怪談』など他の映画のスタッフとして働いたり、友人から借金をしたり、妻の保険金をとり崩したりと、ありとあらゆる手段で資金を調達して、再び撮影に入るといった作業を繰り返し、大変な苦労を重ねて映画を完成させた。
『ダイ・バッド ~死ぬか、もしくは悪(ワル)になるか~』では監督と主演を兼ねているが、これは元々俳優志望だったのが、誰も起用してくれないので、それなら自分で映画を作ってそれに主演しようと思ったからだったと言う。
また同じく2000年には、キム・ジウン、チャン・ジンと三人で各々30分程度のデジタル短編映画を撮る「デジタル短編プロジェクト」に参加し、『たちまわLee』(35分)を発表。この作品は、文語的な堅い台詞まわし、オーバー・アクションなどに代表される1960年代~1970年代の韓国アクション映画の文法を踏襲したパロディ映画で、正義の味方「たちまわLee」が、ソウルに上京してきたものの愚連隊にもてあそばれる「蟲女」と「火女」を助け、彼に一方的にやられた愚連隊の親分「東方の無敵者」が「たちまわLee」と一大決戦を繰り広げるという内容。『ダイ・バッド ~死ぬか、もしくは悪(ワル)になるか~』製作チームが参加しており、「たちまわLee」役はイム・ウォニが、また「火女」は『クワイエット・ファミリー』で長女を演じていたイ・ユンソンが演じている。『たちまわLee』は、http://www.cine4m.comで2000年12月12日からネット公開され、176万件以上のアクセスがあった(2001年3月現在)。なお、題名の「たちまわり」は、1970年代に韓国映画界で「アクション映画」の代名詞として使われていた言葉で、日本語がそのまま韓国語に俗語化したもの。ちなみに、『ダイ・バッド ~死ぬか、もしくは悪(ワル)になるか~』のアクションにはジャッキー・チェンの影響が見られたが、『たちまわLee』ではブルース・リー風のアクションが登場する。ネットで大好評を受けた『たちまわLee』は、第2回(2001)全州国際映画祭「韓国映画回顧展」部門でも上映された。
2002年には、コミカル・アクション『血も涙もなく』を発表したほか、『復讐者に憐れみを』、『オアシス』に出演している。また、男性グループ「ドラゴン・フライ」の第1集のタイトル・ソング『写真』で、ミュージック・ビデオの撮影にも初挑戦した。

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