カン・ウソク__監督

カン・ウソク(韓国)


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1960年、慶尚北道キョンジュ(慶州)市で事業をする父と映画狂の母の
3男2女中末っ子として生まれる。
母の影響で映画館街に出入りし,高校2年頃から映画監督になろうと考えていた。
両親の勧めで成均館大学英文学科に進学したが,映画に対する渇望から中退する。
チョン・ジヌ,チョン・イニョプ監督の下で演出授業を受けながら映画界に入門する。


1989 「甘い新婦たち」 デビュー作
1989 「幸福は成績順じゃない」 映評賞/新人監督賞
1990 「俺は毎日立ち上がる」
1991 「20歳までだけでも生きたい」
1991 「竜の爪先を見たのか」
1991 「19の絶望の末に歌う一つの愛の歌」
1992 「ミスター・マンマ」
1993 「トゥ・カップス」 百想芸術大賞/作品賞、監督賞
1994 「女房殺し」
1996 「トゥ・カップス2」
1996 「ビールが恋人よりいい7つの理由」
1998 「生寡婦慰謝料請求訴訟」
2001 「公共の敵」
2003 「シルミド/SILMIDO」
2005 「公共の敵2」
2006 「韓半島」
2008 「カン・チョルジュン 公共の敵 1-1 」


1990年代中盤はヒット作を作る興行監督として、それ以降は韓国映画界を支える製作投資・配給会社シネマ・サービスの代表(2003年現在は会長)として有名な人物。
「おもしろくなければ映画じゃない」が信条で、1990年代中盤には「韓国のスピルバーグ」とも評された。1960年、慶州生まれ。成均館大学英文科修了。大学一年生の時に見たイ・ジャンホ監督の『風吹く良き日』が最も印象に残る映画の一つとか。1988年、農村の嫁不足問題を明るいタッチで描いた『甘い新婦』で監督デビュー。第ニ作『幸せは成績順じゃないでしょう』では受験戦争に苦悩する高校生を描き、第10回(1990)映画評論家協会賞新人監督賞を受賞。この作品はベルリン国際映画祭にも出品され、彼の出世作となった。以後、1991年までは主に若者の苦悩を描くことにより社会的なテーマに迫った。
初期作品の一つである政治映画『誰が竜の爪を見たのか』が興行的に惨敗した時は、「誰も理解できない映画を自分だけ面白いと錯覚して作ってしまった」と自責の念にさいなまされたという。それからは、より大衆的な娯楽性を追求し、コメディを通じた風刺とユーモアを持ち味とする作風が明確となる。そして『ミスター・マンマ』、『 トゥー・カップス 』、『女房殺し』、『トゥー・カップス2』が次々と大ヒットした。
「映画で儲けた金は映画に返す」がポリシーの彼は、『ミスター・マンマ』の成功の後、1993年に康祐碩プロダクションを設立。『トゥー・カップス』、『女房殺し』、『ママに恋人ができたよ』を製作する。そして、1995年には「スクリーン・クォーター制度がなくても韓国映画を上映することができる劇場配給網の確保」を目標として、康祐碩プロダクションを、韓国映画専門製作・配給会社シネマ・サービスに改組。投資・製作・配給会社として新たなるスタートをきり、1996年には『トゥー・カップス2』を製作・配給し、『ビールが恋人よりいい7つの理由』を配給する。また、1997年には『ホリデー・イン・ソウル』、『ナンバー・スリー』、『オルガミ~罠~』や第18回(1997)青龍賞最優秀作品賞を獲得した『グリーンフィッシュ』などの製作支援・配給をした。
現在では、監督業の他に、外国映画の配給、国内映画への資本出資・製作・配給など多彩な活動を繰り広げている。また、1997年末からの韓国経済危機と、それを原因の一つとする大企業の映画産業への投資萎縮という危機的状況の中で、韓国映画の製作・配給を支えたのも彼の会社シネマ・サービス。カン・ウソクの韓国映画界への影響力の大きさは、毎年『シネ21』が評論家・製作者・監督など映画人からの投票で選定している「韓国映画産業を率いるパワー50人」で1997年から2003年まで七年連続で第一位に選ばれていることからも窺い知ることができる。また、才能ある後進への支援にも積極的でキム・ソンホン、キム・サンジン、ナ・ホンギュン等が彼の下から輩出している。
1997年にアン・ソンギ夫妻の紹介で梨花女子大の才媛とめでたく結婚。1999年には一児(男の子)のパパとなる(2000年には次男が、2001年には長女が誕生)。1998年の『生寡婦慰謝料請求訴訟』で「女性の性権利」という問題提起をしているのは結婚して女性の見方が変わったからとの評も。
1998年には『トゥー・カップス3』、『失楽園』、『女校怪談』、『情事』などを配給したシネマ・サービスは、1998年秋に改組され韓国映画専門配給会社に。『愛のゴースト』を製作する他、『恋風恋歌』、『カル』、『SPY リー・チョルジン 北朝鮮から来た男』の製作費全額支援、『カ』、『美術館の隣の動物園』、『虹鱒』、『イ・ジェスの乱』、『マヨネーズ』、『アタック・ザ・ガス・ステーション!』、『NOWHERE 情け容赦無し』など10本余りの映画製作を支援する巨大配給会社になった。
また、1999年冬には、『少女たちの遺言』、『学校伝説』、『チュ・ノミョンのベーカリー』、『反則王』、『Interview』、『ほえる犬は噛まない』、『アウトライブ -飛天舞-』、『新羅の月夜』、『純愛譜-じゅんあいふ-』、『海辺へ行く』、『火山高』、『秘密』への製作投資を発表。ソウル劇場のクァク・チョンファン会長と手を握り、圧倒的な配給力を持つシネマ・サービスの力は2000年も衰えそうもない。
シネマ・サービスは2000年に、アメリカのベンチャー投資会社Warburg Pincusから2,000万ドルの投資を受け資金力を強化。2000年7月には、前20世紀フォックス・コリア社長のキム・ジョンサンを新社長に招聘し、カン・ウソクは映画製作・監督に専念すると宣言。2000年末までにシネマ・サービスは『不朽の名作』、『エンジェル・スノー』、『ラスト・プレゼント』、『新羅の月夜』、『ガン&トークス』などに投資した。
2001年、シネマ・サービスはコスダック登録企業であるローカスホールディングス(Locus Holdings)と資本提携し、150億ウォン規模の投資支援を確保。一方、サイダスの経営権も持っているローカスホールディングスは、シネマ・サービスの株式の62.7%を確保し、同社の最大株主となった。この結果、資金(ローカスホールディングス)、製作(サイダス)、配給(シネマ・サービス)が有機的に結合し、安定して多様な韓国映画を市場に供給できるシステムが構築された。特に、金融資本が映画産業の一部として本格的に機能を始め、韓国最大の製作社サイダスと韓国最強の配給社シネマ・サービスが手を結んだ意義はとてつもなく大きい。

シネマ・サービスは、2001年公開作では、『私にも妻がいたらいいのに』、『覗き』、『猟奇的な彼女』、『セイ・イエス』、『春の日は過ぎゆく』、『黒水仙』などの投資・配給を担当している。
シネマ・サービスは、2002年1月に、投資会社のKMカルチャー、ショーボックス、アイエム・ピクチャーズと業務提携を発表。また同年には、トップ・スターが所属するマネジメント会社「マネジメント・サービス」を発足させた。2002年9月には、映画専門担当者を養成するためのカン・ウソク映画アカデミーを設立。そして、同じく2002年9月には別会社を通じてシネコンの経営にも参画。将来的にはスタジオの建設も視野に入れており、カン・ウソクは、映画製作、配給、スタジオ、映画アカデミー、映画館チェーンを統括する映画界の一大勢力となる。
2002年には、四年ぶりに『公共の敵』を監督し、『血も涙もなく』、『おもしろい映画』などの企画も担当した。
2004年には『彼女を信じないでください』、『風の伝説』、『ARAHAN アラハン』の企画を担当。

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