成瀬巳喜男__監督

■成瀬巳喜男(日本)


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1905年8月20日 - 1969年7月2日。
東京都四谷出身。

製作
1955 くちづけ  東宝
1960 夜の流れ  東宝
1960 秋立ちぬ  東宝
1962 放浪記  宝塚映画
1964 乱れる  東宝

監督
1930 チャンバラ夫婦  
1930 純情  
1930 不景気時代  
1930 愛は力だ  
1930 押切新婚記  
1931 ねえ興奮しちゃいやよ  
1931 二階の悲鳴  
1931 腰弁頑張れ  
1931 浮気は汽車に乗って
1931 髭の力  
1931 隣の屋根の下  
1932 女は袂を御用心  
1932 青空に泣く  
1932 偉くなれ  
1932 蝕める春  
1932 チョコレートガール  
1932 生さぬ仲  
1932 菓子のある東京風景  
1933 君と別れて  
1933 夜ごとの夢  
1933 僕の丸髷  
1933 双眸  
1933 謹賀新年  
1934 限りなき舗道  
1935 乙女ごころ三人娘  
1935 女優と詩人
1935 妻よ薔薇のやうに  
1935 サーカス五人組  
1935 噂の娘  
1936 桃中軒雲右衛門  
1936 君と行く路  
1936 朝の並木路  .
1937 女人哀愁  
1937 雪崩  
1937 禍福 前篇  
1937 禍福 後篇  
1938 鶴八鶴次郎  
1939 はたらく一家  
1939 まごころ  
1940 旅役者
1941 なつかしの顔  
1941 上海の月  
1941 秀子の車掌さん
1942 母は死なず
1943 歌行燈  
1944 楽しき哉り人生  
1944 芝居道  
1945 勝利の日まで  
1945 三十三間堂通し矢物語  
1946 浦島太郎の後裔  
1946 俺もお前も  
1947 四つの恋の物語 第二話 別れも愉し  
1947 春のめざめ  
1949 不良少女  
1950 石中先生行状記  
1950 怒りの街  
1950 白い野獣  
1950 薔薇合戦  
1951 銀座化粧  
1951 舞姫  
1951 めし  
1952 お国と五平  
1952 おかあさん  
1952 稲妻
1953 夫婦  
1953 妻  
1953 あにいもうと  
1954 山の音  
1954 晩菊  
1955 浮雲  
1955 くちづけ  
1956 驟雨  
1956 妻の心  
1956 流れる  
1957 あらくれ  
1958 杏っ子  
1958 鰯雲  
1959 コタンの口笛  
1960 女が階段を上る時  
1960 娘・妻・母  
1960 夜の流れ  
1960 秋立ちぬ  
1961 妻として女として
1962 女の座
1962 放浪記  
1963 女の歴史  
1964 乱れる  
1966 女の中にいる他人  
1966 ひき逃げ
1967 乱れ雲  

脚本
1931 二階の悲鳴
1931 腰弁頑張れ  
1931 浮気は汽車に乗って  
1931 髭の力  松竹蒲田
1932 女は袂を御用心  
1932 偉くなれ  
1933 君と別れて
1935. 乙女ごころ三人娘
1935 妻よ薔薇のやうに  
1935 噂の娘  P.C.L.
1936 桃中軒雲右衛門
1936 君と行く路  
1936 朝の並木路  
1937 女人哀愁
1937 雪崩
1938 鶴八鶴次郎  
1939 はたらく一家  
1939 まごころ  
1940 そよ風父と共に
1940 旅役者
1941 なつかしの顔  
1941 秀子の車掌さん  
1943 秘めたる覚悟  
1944 楽しき哉り人生
1946 俺もお前も  
1947 春のめざめ  
1949 不良少女  
1950 怒りの街
1950 白い野獣  
1958 杏っ子  
1969 恋にめざめる頃

原作
1930 不景気時代
1933 君と別れて  
1933 夜ごとの夢  
1937 女人哀愁  
1940 化粧雪  


経歴
1920年に松竹蒲田撮影所に入社。小道具係、助監督を経て1930年に『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。最初はドタバタ喜劇を手がけていたが、1931年の『腰弁頑張れ』で注目を集める。『君と別れて』『夜ごとの夢』といった作品で頭角を現すようになる。
しかし監督に昇格しても個室も与えられず、他の助監督たちとの大部屋暮らしが続いた。しかも他の監督たちが拒んだ脚本で映画を撮らされ、「これを撮ったら、次は好きなのを撮らしてやる」という約束も何度も反故にされた。これにはさすがの成瀬も堪忍袋の緒が切れ、移籍を決心。それを知った小津安二郎は、「それも良し」と日記に書いている。またこの時期、後の東宝で彼の映画を多数製作することになる藤本真澄とも知りあうことになる。
1934年、助監督の山本薩夫とともに、東宝の前身であるPCLに移籍して、初トーキー映画『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)を監督する。次いで、中野実の戯曲『女優と詩人』と『妻よ薔薇のやうに』(1935年)を監督。後者は批評家から高い評価を受けて『キネマ旬報』ベスト1に選ばれる。この作品は『Kimiko』という英題で1937年にニューヨークで封切られ、アメリカで興行上映された初の日本映画となった。
この頃主演女優の千葉早智子と1937年に結婚するが数年後離婚する。
大佛次郎原作の『雪崩』(1937年)では黒澤明が助監督をつとめる。黒澤の自伝には、「成瀬さん的には不本意な写真だが、大変勉強になった」の記載がある。戦時下では『鶴八鶴次郎』『歌行燈』『芝居道』など「芸道もの」というジャンルで冴えを見せる。

戦争直後は民主主義路線映画『浦島太郎の後裔』『俺もお前も』『春の目ざめ』といった映画の監督を余儀なくされる。同時期に東宝争議によって東宝撮影所の機能がマヒしたため、成瀬は山本嘉次郎、黒澤、谷口千吉らと共に東宝を離れ映画芸術協会を設立。フリーの立場で東宝、新東宝、松竹、大映などで監督することになる。
1951年、林芙美子原作、原節子と上原謙主演の『めし』が高い評価を受ける。東宝復帰後の1955年に監督した『浮雲』は一般に成瀬の最高傑作とされている。
林原作の『稲妻』『妻』『晩菊』『浮雲』『放浪記』をはじめとして、川端康成原作の『舞姫』『山の音』、室生犀星原作の『あにいもうと』『杏っ子』といった純文学作品から、石坂洋次郎原作の『まごころ』『石中先生行状記』『くちづけ』といった大衆作品まで幅広いジャンルにわたる文芸映画を中心に、人間の細やかな情感を何気ないやりとりで描ききった。
遺作は1967年、司葉子、加山雄三主演の『乱れ雲』。1969年に直腸癌のため死去。なお闘病中、見舞いに訪れた高峰秀子に「白一色の幕を背にして高峰秀子が一人芝居をする」という奇抜な作品の構想を語ったが、実現しなかった。
2005年は成瀬の生誕100周年にあたり、DVDボックスのリリースや関連書籍の出版、各地の名画座での特集上映などが行われた。

作風
女性映画の名手として知られており、とくに高峰秀子とのコンビによって多数の作品を手がける。また小津映画によって神話化された原節子を『めし』『驟雨』で起用し、市井に生きる飾らない妻の姿を生き生きと演じさせた。
また幸田文原作の『流れる』では高峰を始め、田中絹代、杉村春子、山田五十鈴、岡田茉莉子、中北千枝子、そしてサイレント映画女優の大女優栗島すみ子が共演を果たしている。
他に戦前では水久保澄子・忍節子・入江たか子・岡田嘉子、戦後では若山セツ子・杉葉子・久我美子・木暮実千代・香川京子・新珠三千代・草笛光子・有馬稲子といった女優が彼の映画で輝きを放っている。
スター男優の意外な起用にも長けており、三船敏郎は『石中先生行状記』『妻の心』で黒澤映画で見せる男性的魅力とは異なる側面を見せ、三國連太郎は『夫婦』『妻』で奇妙な味わいを残した。戦前の松竹のスター上原は『めし』以降の諸作で、山村聰とともに飾らない中年男性の姿を手堅く演じつづけた。晩年の『乱れる』と『乱れ雲』では、『若大将』シリーズで人気絶頂だったスター加山から繊細な演技を引き出したことも特筆に値する。
また小林桂樹に殺人犯として主役を務めさせたり(『女の中にいる他人』)、その風貌から篤実、凡庸な性格の役回りが多い加東大介に結婚詐欺師(『女が階段を上る時』)や若い女と駆け落ちを繰り返す亭主(『女の座』)を演じさせるなど、名脇役として知られる俳優についても意外な一面を引き出している。

数は少ないが子供を主人公とした情感豊かな佳作も手がけており『まごころ』『秀子の車掌さん』『なつかしの顔』『秋立ちぬ』などは隠れた名作である。特に『秋立ちぬ』は、主人公に成瀬本人の幼少時代が重ねられているという意味でも、貴重な作品である。
彼の映画を支えていたのは東宝の映画撮影所の優秀な人材によるところも大きく、それは美術監督をつとめた中古智による『成瀬巳喜男の設計』に詳しい。成瀬は美術に中古、撮影に玉井正夫、照明に石井長四郎、録音に下永尚、音楽に斉藤一郎、といった「成瀬組」と呼ばれた固定スタッフでの作業を好み、また彼らもそれぞれの持つ一流以上の技術で成瀬を支えた。脚本には水木洋子が多くの作品で貢献している。
非常に時代性を意識した監督であり、作中にさりげなく当時の世相を盛り込むことが多かった。一例として『乱れる』での個人商店とスーパーとの価格競争や、『妻として女として』で妻や家族が「三種の神器」を欲しがるシーン、などがある。こうした設定が伏線として、話の本筋に活かされる事も多い。

また、戦後の作品では街頭シーンでチンドン屋が登場することが非常に多い。ほとんどは話に絡むことがなく(『めし』でわずかに登場人物が言及する程度である)BGMとしての意味合いも兼ねていたが、成瀬自身が特に好んで取り上げていたと言われている。
成瀬の映画で国内外を問わず最も高い評価を受けているのは『浮雲』であるが、『浮雲』は、その重い雰囲気、こってりとした画調などが成瀬作品として異質であり、『浮雲』をして成瀬の代表作とするべきではないという意見もある。成瀬本人も『浮雲』を自身の最高傑作とは看做していなかったといわれている。
スタッフには慕われていたが、無口な性格で付き合いをほとんど持たなかったため、姓名を捩って「ヤルセナキオ」と渾名された。

評価
国内では生前から一定の評価を得ていたが、それは個性的な映画作家というよりむしろ職人監督としてであった。
成瀬に関しては、後に松竹社長となる蒲田撮影所の城戸四郎所長が「小津は二人いらない」と言ったという伝説がある[2]。その小津は成瀬が監督した『浮雲』を「俺にはできないシャシンだ」と賛している。また溝口健二は「あの人のシャシンはうまいことはうまいが、いつもキンタマが有りませんね」と評している。
かつて教えを受けた石井輝男は不肖の弟子と自ら認めているが「映画は映画館で上映される数週間だけの命である」とする成瀬の姿勢に敬意を払っていた。また黒澤のスクリプターとして側にいた野上照代は「黒澤さんが一番尊敬してたのは間違いなく成瀬さん」と自著に書いている。
国際的名声が高まったのは彼の死から10年以上もたってからで川喜多かしこのような熱心な映画ファンの尽力により1983年のロカルノ国際映画祭の特集上映プログラムがくまれて以降である。
フランス映画誌『カイエ・デュ・シネマ』は、彼を小津、溝口、黒澤に次ぐ日本の「第4の巨匠」と讃えた。その後、1988年では香港国際映画祭で、1998年にはサン・セバスティアン国際映画祭で特集上映が組まれた。
また彼の映画の美術を多数担当した中古智と蓮實重彦とのインタビュー『成瀬巳喜男の設計』(1990年)が筑摩書房から刊行される。ジャン・ピエール・リモザン、レオス・カラックス、ダニエル・シュミット、エドワード・ヤンといった映画監督たちが彼に敬意を表している。シュミットはドキュメンタリー映画『書かれた顔』で、『晩菊』の一部を引用し、主演の杉村へのインタビューを果たした。
成瀬の系統的な評価に関しては、長く「戦中戦後にスランプの時期があったが、『めし』を契機に復活を果たし女性映画の名手となった」とする意見が支配的であるが、近年は戦中作品を中心に評価が向上しつつある。


●コスモスさん
そうですか、成瀬巳喜男のファンなんですかあ。
私は小津のほうが好きなんですが(笑)、
成瀬巳喜男も大好きで、「女性」については
ほとんど成瀬巳喜男で勉強したと思ってるくらいです(笑)。
「今の日本映画にない繊細さと役者さんの個性を引き出す力」…。
まったく同感です。このころの監督さんたちって
役者が、人間がとっても好きだったんだろうなあと、
観てるだけで感動しますよね…。
そう言えば、十和田湖、「乱れ雲」で出てきましたよね。
よし、「乱れ雲」の十和田湖に会いに行こう…!(笑)

ありがとうございました。

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この記事へのコメント

コスモス
2009年10月12日 15:16
山崎さんこんにちわ

高校生の頃若大将の大ファンで、加山雄三さんが出てたので、「乱れ雲」見に行ったのですが、我がふるさとの青森の十和田湖の景色が素晴らしく、また司葉子の美しさ、加山さんの今まで見たことのない繊細な演技に魅了されました。「乱れる」では高峰秀子さんの大人の演技が凄かったです。小津安二郎より好きです。山崎さんの詳しい成瀬さんの経歴で、またたくさんの成瀬作品見たくなりました。今の日本映画にない繊細さと役者さんの個性を引き出す力を感じます。

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