キム・ギドク論 往復書簡2__文・山崎哲

キム・ギドクの生と死

文・山崎哲


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キム・ギドク監督作品「春夏秋冬そして春」


てっせんさんの「ブレス」解読、すばらしく、とても感激しています。

  その後の映画の何本かは、
  もともと水棲だった生き物が、
  いかに陸地に適応して生存していくかを描いたもの…。

この1行で「春夏秋冬そして春」以降のキム・ギドクの謎が、
もうみごとに全部解けました…!
何本かではなく、
以降の作品は全部それで解いていいのだと思います…。

彼が水の中から陸に上がって撮りはじめたことは
私もわかり、なんどか書いてきたつもりなんですが、
陸で生きるためにメタモルフォーゼ(変態)しはじめたとは
ぜんぜん考えが及びませんでしたねえ……。

「うつせみ」について考えなさすぎたからであり、
私が昆虫の生態についてほとんど無知だからだとおもいます…(笑)。
考えなかった理由の一端は、ギドクにも責任があって、
物語は面白いけど、絵(映像)が気に食わなかったからです…(笑)。

かれは例の発言騒動で、
自分で自分の病いについて言及していますが、
「春夏秋冬…」以降は、たとえて言えば
自分のような病んだ人間が陸(都市)で生きるには
昆虫に変身していくしかないんだと言っているんでしょうね…。

私がギドク教(笑)信者になってしまった理由も、
てっせんさの教示でわれながらとても納得がいきました(笑)。

私はここ10数年、
ということはオウム事件以降ということなんですが……、
人間の「死」を主題に芝居を書いています。

「死」というと大袈裟ですが、
人間が母親の胎内へ、
そしてさらに胎内以前へと還る物語を書き続けています。

人間が人間である以前、つまり
動物→昆虫→両生類→サカナ→微生物へと退行していく物語です。
その退行を「死」と解読しようとしているわけですけど、
ギドクはちょうど私と逆路を辿っているようですね。
サカナ→両生類→昆虫という「生」の方向を……。

いや、同じだ。
人間→動物→昆虫へと退行することで生きようとしている、
と言ってもいいのでしょうが……。
そのあたりが、私のすぐ近くにいるような感じに襲われて
ギドクにとても惹かれているのだとおもいます…。

ところでこの映画に出演しているギドクですが、
「悪い男」のハンギの位置にいるんじゃないでしょうか。
ハンギも娼婦に仕立てた女子大生をマジックミラー越しに
見ているシーンがありますよね…。

キム・ギドクについては映画以外、私はなにも知らないんですが、
どうも幼少期に彼自身が、この映画のチア(あるいはジン)や、
「悪い男」の女子大生のような境遇にあって、
そうした自分をもうひとりの自分が窓越しに眺めている…、

というか、
そうした視線がギドク自身に内在化されている
ような気がしてしようがないですねえ…。

雌カマキリの
雄との交尾にそのまま人間の生命相を投影して見ている。
そこに自分を見ている……、
というのでしょうか。

チアとジン、どっちがギドクかわかりませんが、
もしかしたらどっちもギドクかもしれませんが(笑)、
時々しきりにそんな胸騒ぎに襲われてしまいます…(笑)。

ついでに言っておくと、
ギドクが自分を眺めるそうした視線は時に、
「サマリア」や「春夏秋冬そして夏」などの
時にうんと上方から下方を眺めやる離人症的な視線(=神の視線)
にまで後退する瞬間があるように思います…。


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キム・ギドク監督作品「春夏秋冬そして春」


※本文は返信コメントにすこし修正加筆を加えています。


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