風の丘を越えて__西便制 (1993)

[342]映画最高峰。盲目のソンファが二河白道を同行二人して行く…?

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世評に高いイム・グォンテク作品。
友人のKさんを通じて念願の入手。
すぐに稽古場のプロジェクター&100インチで観る。

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……………………………。

うん。観終わった後しばらく声を失ったさね。

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ま、こういう映画を観たあとは
何を言っても恐ろしく空しくなるだけなので、
あえて軽~く言っちゃうんだけどさ(笑)。

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映像の素晴らしさといい、
作品の完成度といい、
物語の途方もない厚さといい、
これまで私が観た韓国映画の中ではベスト1なんじゃないの?

うん、ベスト1だわな。
どころか世界の映画史上でも最高峰に燦然と輝く映画だわな。

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ま、そんな賞賛並べたってこの監督は
べつにたいして喜ばんような気もするけど(笑)。

「将軍の息子」や「酔画仙」観た時、
面白い、傑作って思ったけど、
でも、きっとこの監督ただものじゃないよ。
もっと天地が引っくり返りそうな傑作撮ってるはずだよ、
なんてひそかに期待してたらこの作品だもんね。
驚かないフリするのもほんと並大抵じゃないよな(笑)。

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このシーン、すごいよ。
観てると、からだの中、ルンが吹き抜けるよ。

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とにかく観てる最中いろんなこと思いだした。

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チャン・カイコーの「黄色い大地」のこと。

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イム・グォンテクが
「黄色い大地」をどれほど意識して創ったか知らないけど、
この「風の丘を越えて」を「黄色い大地」に通底させようとしてるのは
間違いない?

いいかえると、韓半島のパンソリの起源が
大陸の黄土の歌声にあるかのように描いてる?

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そして私の妄想だけど、
この歌(=声)はさらに西の西の、はるか西の
人間の発祥地である「アフリカ」の声(=音)に起源をもつ?

「黄色い大地」の翠巧の歌声も、
この「風の丘を…」のソンファの歌声も、ついには
私らアジア人の起源である「アフリカ」への呼び声?

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実際、歌を求めて放浪する親子の姿は、
よりよい土地を求めて西へ東へと果てなく移動していく
アフリカ人類の大移動を彷彿させちゃうのよ。

ん? そんなオーバーなって?
いやいや、ダハハハっ……(笑)。

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それから、
最後の瞽女(ごぜ)と言われた小林ハルさんのこと。

ハルさんはたしか四歳のときだったと思うが、
遊び友だちに「あなたは目が見えないの」と言われ、
はじめて自分が盲目であることを知った。

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家に帰ってすぐ母に問いただすと、
母も「そうだ」とはじめて話してくれた。

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そして、
あなたは目が見えないのだから瞽女になるしかないの、
と言い、翌日から毎日…、雨の日も風の日も雪の日も、
早朝未明に私を河原へ連れだし、声だしの地獄の特訓をさせた…、
と語ってったんだよね。

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後年、ハルさんの歌声を聴いたひとは、
まるで大地の底から響いてくるような歌声だったって
クチを揃えて言ってらしたけどさ。

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しかしまあ、
世界はもともと音として立ち上がってきて、
ひとはそれをのちに視覚化してるだけ。

世界の成り立ちは自然をひくるめて「音」だ!
目が見えるとその「音」をキャッチし損なうってのは真理だけど、

この映画の父親ドンホの場合、
娘ソンファにクスリ飲ませてわざと失明させるんだから凄いわな。
求道者って時々こんな信じがたいことを平気でやっちゃうわな。

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でも、夜も昼もない音だけの世界ってどんな世界?
歴史的にみると、やっぱり
人類がアフリカから大移動をはじめたころの世界?

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聖書の創世記でいう、
神がことばでこの世界を仕分けていく以前の荒涼として、
混沌とした世界?

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音だけがあちこちで雄たけびをあげてる世界?

で、固体史的にみると、
母親の胎内に宿って、音だけが聞こえてくる人間の段階?

様々に聞こえてくる音を頼りに
胎児が世界を組み立てようとしている段階?

ドンホやソンファのパンソリの歌声に圧倒されるのは、
自分のそうした段階(無意識)が開かれてしまうから?


おまけでもうひとつ映像のこと。

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紅葉の山路を旅芸人の親子が歩いてる。
ああ、秋だなあ、と思う。

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次のカットでは荒涼とした吹雪の海辺を歩いている。
と…、あ、もう冬だと思う(笑)。

こうした映像の連続と不連続をみてると、、
おっ、監督、相変わらずイム・グォンテクやってますねえって
私ゃあもう超嬉しくなっちゃうんだよねえ(笑)。

僭越ながら私も長い間ほとんど同じ手法使ってる。
舞台だけど「ジロさんの憂鬱」あたり(1986年)から…。

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舞台の中央にちゃぶ台がひとつ置いてある。
そこへ男1と女1が現れて食事をする。
と当然、お客さんは男1と女1の家だと思うわな。

で、男1と女1が退場し、
ほとんど入れ違いに男2女2が現れ、同じテーブルで食事をする。

お客さん、最初はちょっと「…?」と思うかもしんないけど、
男2女2がなんの違和感もなく食事してると、
すぐに「あ、ここ、もう男2女2の家なのね」って思う訳だよね。
いや、実際そうなんだけどさ(笑)。

同じちゃぶ台、同じ家なんだけど、
男1女1が現れて使うと、男1女1の家。
男2女2が現れて使うと、男2女2の家になっちゃうの。

昔はみんな、わざわざセットを変えて
男1女1の家、男2女2の家って表現してたんだけど、
これだとそんなめんどくさいことやんなくても、
瞬時にして時間も場所も飛んで表現できちゃうんだよね。

イム・グォンテクが
「はい、秋」「はい、冬」って瞬時に時と場所を飛ばしてみせるのと
同じ…。

これ、楽だよ~。全然お金かからないよ~(笑)。

というだけじゃなくて、
じつはそれが舞台の醍醐味なんだけどさ。
俳優がお客さんに「ここは青森の田舎です」と言えば、
お客さんはそこ(舞台)を青森の田舎だと見てくれるし、

「あれから50年経ちました」と言えば、
そうか、50年経ったんだ、50年後なんだって思ってくれる訳だしさ(笑)。

俳優が巫女とおなじ言葉の魔術師といわれてるのも、
監督が映像の魔術師といわれるのも、
結局、そこなんだよな。

でも私の場合、誰もその手法評価してくんない(笑)。

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ちょっとは作品に触れとかなくちゃね。

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「恨(ハン)」についてわかりやすい解説があるの。

人の恨(ハン)とは、生きることだ。
心に欝積する感情のしこりだ。
生きることは恨を積むことだ。
恨を積むことが生きることなのだ…。

父親のドンホが娘のソンファにそう説くんだよね。

お前の声は美しいが、恨(ハン)がない。
西便制のパンソリの根源は恨だ。
恨の声を出せるようになれって…。

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あ、韓国文化の恨(ハン)ってそういうことかあって、
ものすごく簡単にわかって、ものすごく得した気分(笑)。

その背景にはやっぱり
韓半島が長年にわたって他国に侵略されつづけてきた歴史が
横たわってるんだろうけどさ。

その恨の声が出せるようになると、
ドンホ(キム・ミョンゴン)、今度はこう言い出すのね。

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これからは
恨(ハン)に埋もれずに、恨を越える声を出してみろ。
西便制は悲哀と愛憎に満ちている。
しかし恨を越えれば、西便制も東便制もなく、ただ唄の境地があるのみだ、
と。

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ん? 唄の境地?

ねえ、それってもしかして、
朝鮮人としての根っこに到達して、
しかるのちに朝鮮人としての根っこを超えろってこと?

おいおい、なんか宗教的になってきたぞよ(笑)。

そう言えば、これ、人間の「流転」の物語だし、
ドンホとソンファが流浪する姿はお遍路さんというか、
「同行二人(どうぎょうににん)」そのものだし、

次から次に春夏秋冬が押し寄せてくるし…。

お金を稼げなくて極貧になっていくように見えるけど、
実はそうじゃなくて現世のいっさいの欲望を、
いっさいの我利我欲を捨てるために極貧生活を送ってるだけのように見えてくるし…。


仏教?
唄の境地って、もしかしてもしかして…、涅槃の境地ってこと?

てなことを頭の隅っこで考えながら観ていたら、
ラスト…、

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旅するソンファはまさに同行二人だし、
この道も…、おいおい、二河白道そのまんまじゃん!
真ん中に雪の積もる白い道があって、左右に川があって!
と、私ゃあ、ほとんど卒倒しそうなっちゃったよ。

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うん。想像が間違ってなければたぶん、

恨(ハン)に至り、恨を超える…、というのは、
生きることで否応なく蓄積されていく恨から自分を全的に解放するということ。
すべてから自由になるということ。

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パンソリを歌うことで…、声を発することで…、
恨の呪縛から逃れられない身体を脱する、解脱するということ。
それがドンホの言う「唄の境地」なんだよね。

そう考えるとさ、
この作品の底にそこはかとなく流れてる無常感もよくわかる?

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あ、そういえばこの無常観、
キム・ギドクや、クァク・ジェヨン、ホ・ジノらの作品にも
どこか流れてるような気が…。

というのは
私の斜め読みだから聞き流してほしいんだけど(笑)、
観終わってしばらく脳天がジビーンって痺れてんの、
ギドクの「春夏秋冬そして春」以来だわなあ(^^♪

こりゃあ、
おらがイム・グォンテク監督に最大の敬意を表せねば。
仕方ねえべ。韓国まで行ってくっか…(笑)。

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追伸」
この作品をみていると、
イム・グォンテクが「韓国の溝口健二」といわれるのもよくわかる。
しかし私はそれでもこの形容にちょっと疑問をかんじてる。
イム・グォンテクは溝口よりもっともっと重心が低いし、
底にはパルチザンの血が流れているからだ。

タイトルも原題「西便制」のままでいいじゃん。ねえ!
おらがイム・グォンテク監督に失礼しないでよ。

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■パンソリ
18世紀初頭に全羅道を中心に発達した、韓国の伝統芸能。
唱者ひとりと鼓手ひとりが織り成す劇的な音楽。いわば一人オペラ。
元々正確な台本はなく、唱者たちは、師に学んだサソル(語り)に
口伝歌謡や才談などを即興で挿入、口演していったらしい。

■キム・ミョンゴン
1952年全羅道生まれ。ソウル大学在学中に演劇活動を始めるが、
西洋演劇に飽きたらずにパンソリの人間国宝に弟子入り。
卒業後、様々な仕事をしながら演劇活動を続け、
1983年「一松亭の青松は」で映画デビュー。
1986年劇団「アリラン」を創設。伝統芸能を現代劇にも生かす活動を始める。
イム監督の作品には多数出演、本作では脚色も担当しているという。
パンソリの正当な継承者としても知られており、
本作での歌唱はもちろん吹き替えなし。


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■113分 韓国 ドラマ

監督: イム・グォンテク
製作: イ・テウォン
原作: イ・チョンジュン
脚本: キム・ミョンゴン
撮影: チョン・イルソン
音楽: キム・スチョル
出演
キム・ミョンゴン
キム・ギュチョル
オ・ジョンヘ
アン・ビョンギョン

韓国の伝統演唱芸能パンソリを学んで旅を続ける女性とその義弟を描く悲劇的なドラマ。韓国では5人にひとりが見たと言われるほどの大ヒット作で、第一回上海国際映画祭最優秀監督賞・最優秀主演女優賞を受賞している。監督は『キルソドムのイム・グォンテク、脚本・主演は『旅人は休まない』などで知られるキム・ミョンゴン。
そしてヒロインは7歳の時からパンソリを学び、本作でも歌唱シーンは吹き替えなしで美しい歌声を聞かせて、堂々の初主演を務めたたオー・ジョンヘ。本作の大ヒットで一躍彼女はスターとなり、彼女の一重まぶたは新たなトレンドとされて、おかげで人気だった若い韓国女性の二重まぶたの整形手術が激減するといった現象まで生まれたという。共演はやはり新人のキム・ギュチルほか。

1960年代初め。ある山間の村にドンホという男が辿り着く。
そこで今時珍しいパンソリを聞かせる女性に出会う。
彼はその歌声に酔いしれながら、回想する。
ドンホが幼い頃、彼の村にキム・ユボンというパンソリの歌い手がやって来た。
ユボンはドンホの母である未亡人と恋に落ち、子をもうけようとするが、
お産は失敗に終わり、彼女も死んでしまう。
後に残されたドンホと、以前から連れていた養女ソンファを連れユボンは旅に出る。
ユボンはドンホに太鼓を、ソンファに歌を教えながら旅芸を続ける。

この記事へのコメント

てっせん
2009年08月17日 22:36
今晩は
「仏教…?」
う~む、鋭いご指摘、さすがでございます・・・(笑)
イム・グォンテク、仏教の求道僧たちを描いた作品が、この「西便制」以前にあるんですね。「曼荼羅」「ハラギャティ」などです。未見なんですけど。
ちなみに韓国映画には、なんといいますか、とことん真剣な求道的仏教映画の系譜があるようなんですね。
89年のロカルノ映画際グランプリ作品の「達磨はなぜ東に行ったのか」などもありますし・・・。
キム・ギドクの「春夏秋冬・・・」も、当然こうした流れとは無縁じゃなかったと思います。
2012年12月08日 23:59
今晩はsanaeです、質問させて下さい。

ラスト、赤い服を着た子供と二人で歩いてますね・
あの子供は自分の生んだ子でしょうか?
“この私を、人身御供に捧げてはいかがなものか・”
と、歌っているシーンはあったのですが‥
恨”の感情を出させるために父が誰かに?

過去記事に時々出没するかも知れませんが、
宜しくお願いします。

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