裸の島 (1960)

[481]裸の島とは人間に与えられた「すべて」の喩だ…?


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新藤兼人監督の最高傑作。
まちがいなく邦画史上に輝く名作…。

主演は、大好きな乙羽信子と殿山泰司。
コンビを組むともう痺れっぱなしになります…(笑)。

はじめて観たのは学生のころ…?
もしかしたら封切時(高校生のころ)に観てるかもしれない。
記憶が曖昧…。

舞台は瀬戸内海の小島の、「裸の島」。
ちなみにロケ地は、
三原市沖の無人島、宿祢島(すくねじま)…。

その裸の島に住む家族…、夫婦と息子二人の物語…。

この裸の島には水がない。
土地も乾いている…。

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そのため夫婦の仕事は、早朝の水汲みから始まる。
水桶を担ぎ、向かいの島へ渡り、水を汲んでくるのだ。
それも溝の水を…。

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島と向かいの島を繋ぐのは、手漕ぎの伝馬船だけである。

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舟を岸に着け、険しい斜面を上り、山頂へと運ぶ。

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水は生活と、切り開いた畑の作物に使う。

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水が生活に、生命に直結している。

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食事に、水…。

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入浴に、水…。

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食事が終わると、
妻はまたすぐに隣の島へ水を汲みに行く。
夫は、畑の作物に水をやり、
妻が戻ってくると、二人してまた隣の島へ水を汲みに…。

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夫婦の間に言葉が交わされることはない。
かれらはただ、来る日も来る日もこうやって、
黙々と働き、生活しているだけである。

伝馬船に乗って水を汲みに行き、
水桶を担いで険しい斜面を上り、
作物に、土に水を与えつづける…。

大地もまた、
かれらの労力などにはいっさい構わず、
来る日も来る日も水を欲し、水を飲み込む…。

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上の子は、
裸の島と隣の島を日になんども往復する
この伝馬船で小学校に通い、

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下の子は、海に素潜りをし、漁をする…。

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夜は豆を挽き、草履を編み…、

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ときには家族総出で開墾をする。

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一家の楽しみは、隣の島で開かれる季節祭だ。
一張羅を着て、伝馬船を漕いで出かける。

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畑には肥やしを与えなければいけない。
夫婦は、海草を採り、畑に撒く…。

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春には麦を収穫し、
隣の島の農家に買ってもらい、日用品を買い揃える…。

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ある日、子どもたちが鯛を釣った。
大喜びで町(尾道)へ行き、鯛を売り、
カレーライスを食べ、ケーブルカーに乗り、
山頂付近から瀬戸内の町を眺めた…。

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束の間の休息が終わり、
また伝馬船で水を運ぶ日々に戻る…。

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そんなある日、
上の子が、突然、病いに斃れた…。

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残された親子は、その子を島に埋葬した…。
裸の島は、水だけでなく、子どもの命まで吸いとったのだ。

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それでも翌日になると、
かれらはこの裸の島に水を運ぶ…。
運ばなければならない…?

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だが、妻はついに絶えられず、
運んできた水桶をひっくり返した。
作物の苗を毟り取り、大地に放り投げ、
倒れて、声をあげて泣いた…。

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夫はなにも言わなかった。
なにも言えなかった…。

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かれはただ
自分にできることをするしかなかった。
水桶の水を汲み、作物に…、土に水を与えた。
自分たち家族のために…、生きるために…。

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夫を見て、
妻はようやく立ち上がり、柄杓を手にした。
そして自分もまた
水を汲み、作物に…、裸の島に水を与えはじめた…。

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冒頭、「耕して天に至る」という字幕が入る。
とても喩に富んだことばである。
そのことばがこの作品のすべてを物語っている…。

裸の島を耕し、水をやる…。

ひとは裸で生まれる。
そのため土を耕し、作物を植え、水をやり、
そして収穫して生きていくしかない…。

そうやって生を全うし、人生を全うし、天へと至る…。

その意味では、裸の島とは、
人間に与えられた「すべて」なのだ…。

ひとは自然に働きかけることでしか生きていけない。
働きかけることで、ひとはひととなる。
ひとしての心が生まれ、育まれていく…。

この夫婦や子どもたちに
強烈に胸を抉られるのもそのせいだ…。

この映画にはセリフがない。
といっても無声映画というわけではない。

そのため、
セリフがないと不自然に感じるシーンがある、
というひともいるようだが、
わたしはすこしも不自然さを感じない。

新藤兼人監督は、
人物をナチュラルに描こうとしているのではない、
あくまで「喩」としての物語を描こうとしているのだ、
と観ているからだ…。

ただ、20年ぶりくらいに観て、
以前とちょっと違った感想をひとつだけ抱いた。
林光の音楽のことだ。

以前は気にならなかったのだが、
謳いあげすぎてるなあと文句をつけたくなった(笑)。

セリフがないせいか、
音楽で説明しようとしすぎてる…。

乙羽信子も殿山泰司も、
そこにいるだけで情感をかんじさせる俳優なのだから、
音楽はもっと淡々としてるほうがいい。

いまのメロディーをそのまま使うとしたら、
もっとうんと低い音にするとか、
弦楽器でない楽器を使うとか…。

わたしだったら、
子どもが病気になって、死に、埋葬するあたりまで、
まったくの無音にするかもしれない…。

好みと言われるとそれまでかもしれないが…。

若い世代にもぜひ一度は観てほしい作品だ…。

●keroさん
はい、ものすごくいい映画だと思います。
でも若き日のkeroさん(笑)が疑問に思われたように、
なんでこんな島にしがみついてるのかよくわかりません(笑)。
そこはまあ映画なんだから、作り事なんだから、
うそをつくしかない…、ということでしょうかね…?(笑)

ありがとうございました。

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■95分 日本 ドラマ/ファミリー

監督: 新藤兼人
製作: 松浦英策 新藤兼人
脚本: 新藤兼人
撮影: 黒田清巳
美術: 新藤兼人
音楽: 林光

出演
殿山泰司
乙羽信子
田中伸二
堀本正紀

瀬戸内海の一孤島。周囲500メートルほどの小さな島である。
中年の夫婦千太(殿山泰司)、妻トヨ(乙羽信子)と二人の息子の4人がこの島の住人である。
上の息子太郎は小学2年生で、向かいの大きな島の学校に手漕ぎ船で送ってもらい通う。下の次郎はまだ学校には行っていない。
ある日、息子たちが一匹の大きな鯛を釣り上げた。夫婦は子供たちを連れて巡航船に乗り遠く離れた町へ行く。鯛を売り得た金で日曜j品を買う。
家族が住む島の土地は荒れている。島には水が無いため、畑にやる水も飲み水も大きな島から運ぶ。
夫婦の主な仕事は手漕ぎ船で大きな島へ行き、そこで水を汲み、島へ戻ったら天秤棒に担いで島に運ぶ。
渚から頂上まで水桶を下げた天秤棒を担いで登る。急な山道を登る。天秤棒が肩に食い込む。柄杓で畑に水をまく。
荒れた土地は水を吸い込むがきりが無いのだった。その繰り返しが夫婦の日常の仕事だ。
やせた芋がやっと収穫できる程度だ。それでも家族にとって大事な食料なのである。
土地はやせているが、夫婦の懸命な努力により、春は麦を採り、夏はサツマイモを採って暮らす生活だ。
ある日、太郎が高熱を出した。父親が船で大きな島から医者を連れて帰ってきたときには太郎は死んでいた。母親は声を上げて泣く。
葬式が営まれ、それが終わると夫婦はいつもの生活に戻るのだった。
突然、妻は狂ったように作物を抜き出し始めた。やりきれない、どこにも当たることのできないもどかしさに妻は当り散らす。
夫は黙って見ているしか方法が無い。泣いても叫んでもこの土地で生きていくしかないのだ。夫婦は厳しい自然に立ち向かって生きていく。



この記事へのコメント

kero
2010年03月27日 00:32
この映画見たことあります。どこで見たのか
覚えてないのですが・・公開時ではないです。

不遜ですが「なんでこんな土地にしがみついて
いるのよ・・」と若かったせいか思いました。
映画というより、あまりにも実話のように感じ
すぎて悲しかったのです。

懐かしくて、やっぱりいい映画だったのだなと
写真の数々を見て思いました。

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