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<<   作成日時 : 2007/11/10 03:40   >>

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■ナタリー・ウッド (アメリカ)


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1938年7月20日-1981年11月29日
アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。

本名はNatasha Nikolaevna Gurdin。
ロシア系3姉妹の次女。妹、ラナ・ウッドも女優。
4歳の時、ロケに訪れたアーヴィング・ピシェル監督と知り合い、そのオシャマな性格が気に入られ、“Happy Land ”にわざわざワン・シーン追加までしてくれて出演。監督は“いずれ必ず迎えに来る”と約束。
そしてその4年後、本当に迎えが来てユニヴァーサルと正式契約し「離愁」で映画デビュー。
翌年「三十四丁目の奇蹟」に愛くるしく出演して一躍有名になる。スタジオ内の高校を卒業後、
55年「理由なき反抗」でジェームズ・ディーンの恋人役を演じて子役から転進。演技面でも評価されアカデミー助演賞にノミネートされた。
以降もトップ・スターの名を欲しいままにして「ウエスト・サイド物語」、「草原の輝き」など、多くの作品に出演。
70年代に入るとさすがに出演作は少なくなったものの、持ち前の美貌は衰えていなかった。
恋の噂も有名で、レイモンド・バー、プレスリー、デニス・ホッパーなどと話題になり、
57年、ロバート・ワグナーと結婚。
62年離婚後はウォーレン・ベイティと婚約するが破局。
製作のリチャード・グレグソンと69年再婚して一児をもうけるが離婚。
72年ロバート・ワグナーと再び結婚して一女の母となった。
しかし「ブレインストーム」撮影中の81年、ボートから転落して水死。同作は脚本変更を余儀なくされて後に完成した。

1946年「離愁」
1947年「三十四丁目の奇蹟」
1947年「幽霊と未亡人」
1948年「嵐の園」
1948年「日曜は鶏料理」
1949年「緑に誓う」
1950年「われら自身のもの」
1951年「青いヴェール」
1954年「銀の盃」
1955年「理由なき反抗」
1956年「捜索者」
1956年「果てしなき決闘」
1957年「B52爆撃隊」
1958年「初恋」
1958年「最後の接吻」
1959年「札束とお嬢さん」
1960年「夜が泣いている」
1961年「草原の輝き」
1961年「ウエスト・サイド物語」
1962年「ジプシー」
1963年「マンハッタン物語」
1964年「求婚専科」
1965年「グレース・レース」
1965年「サンセット物語」
1966年「雨のニューオリンズ」
1966年「美人泥棒」
1969年「ボブ&キャロル&テッド&アリス」
1972年「候補者ビル・マッケイ」
1975年「ジェームス・ディーンのすべて/青春よ永遠に」
1978年「メテオ」
1983年「ブレインストーム」

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子役時代
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ロバート・ワグナーと



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