「美しい彼女」(1997) あとがき_1

[507]「美しい彼女」は比類なき珠玉の作品だった。その理由は…?


凄かったねえ。

凄かったねえ。

ビョンホン・ファンのみなさんに
今年もささやかな夏休みのプレゼントを
と思ってはじめたら、それどころじゃなかったよ。
もうとんでもない作品だった。
ビョンホンの最高傑作。しかも他をまったく寄せつけない…。
どころか韓国の映画・ドラマ史上に残る、比類なき大傑作。
脳天が引っくり返っちゃったよ。

なのに、この作品にたいする評価は低い?
韓流お得意の涙腺刺激メロドラマで片付けられちゃってる?
みたい…。
ひどよねえ。
激怒してる?
激怒どころじゃないって。
これ観たら「甘い人生」なんか屁みたいなもんだよ。
そこまで言う?
言うよ。だってホントなんだもん。
あれもいい映画じゃない。
いい映画だよ。めちゃくちゃいい映画。でも、屁。
そういわないと、このドラマがどんなに凄いのか、わからないでしょ。

なのに観てないビョンホン・ファンも多い?
愕然としたよね。
ボクシング・ドラマで、ビョンホンが殴られる姿見たくないって
ことかもしれないけどさ。
あとで言うけど、そうだとしたらもうビョンホン危うしだよ。
危うし?
もうただの韓流スターで終わっちゃうかもしれないってこと。
そうさせてなるかあ! と思ってレビューの後半書いたんだけどさ。
このあとがき書く気になったのも?
ひたすらその気持ち…。

しかし来たね。

来たねえ。

韓国映画、ドラマ300本以上観てきたけど、最高に来たなあ。
絞りまくられたよなあ、感涙を。
それだけでも天才だよ、この監督(笑)。
間違いなく天才。
日本で感涙を絞りまくったのは木下恵介だけど、木下恵介を超えてる。
しかも感涙を絞りまくるだけのラブ・ロマンスじゃない(笑)。
うん。大衆ドラマを装った超芸術作品。
(笑)を入れないの?
入れたら失礼だって。

なんども言うけど、このイ・ジャンスって監督、
間違いなくイム・グォンテク、キム・ギドクに並ぶ天才。
大詩人。

ラストシーンを観て、「あっ」てもう言葉を失ったもんね。
このシーン?

画像


そう。
これ、「風の丘を越えて(西便制)」だったんだって!
え? もっと言ってみて。

5話のあの「記念写真」を撮るシーンで、
ラストシーンまでだいたい想像できてたんだけどさ、
ここまでやるとはまったく予想していなかったのよ。
で、このシーン観たとき、全部、謎がいっきに解けた。
なぞって?
このドラマの謎も、ビョンホンの謎も、韓国映画(韓国文化)の謎も、全部。
すごいなあ。
すごいだろう。
一瞬のうちに?
一瞬のうちに。
天才だなあ、おまえ。
おれもそう思ったよ。もしかしたらおれは天才なのかもって。
言うねえ(笑)。
きょうは言うよお。言わせてもらうよお(笑)。

なんで「風の丘を越えて」なのよ。
この写真(映像)、
「風の丘を越えて」のラストシーンの二河白道(にがびゃくどう)じゃん。
あ…。
わかった?
盲目のソンファが養女と二人同行して、
雪降る二河白道を渡っていく、あのラスト・シーンだわ。
そう。あの白いベッドは二河に架かる白道。
ジュンホとソニョンが二人同行して、二河白道を渡ってるのよ。
ソニョンがあのソンファで、ジュンホがあの孤児の養女…。
ソニョンはこうやって、
ジュンホを無事に西方浄土まで送り届けようとしてるのよ。

わかった!
もうわかったのかよ。おまえ天才じゃん(笑)。
このドラマ、バンソリの世界だ。
謳いまくる手法を使ってるけどさ、あれ、バンソリだよ。
バンソリの謡い。
正解。おめでとう(笑)。
イ・ジャンス監督、韓国の伝統芸能って言われてる
あのバンソリでこのドラマを創ってみせてるの。
謳ってみせてる、物語ってみせてる、ソニョンとジュンホの物語を。
そうか、そうだったのか。

パンソリ
18世紀初頭に全羅道を中心に発達した、韓国の伝統芸能。
唱者ひとりと鼓手ひとりが織り成す劇的な音楽。いわば一人オペラ。
もともと正確な台本はなく、唱者たちは、師に学んだサソル(語り)に
口伝歌謡や才談などを即興で挿入、口演したといわれている。

このドラマは歌。詩。叙事詩。

チュモニさんは、初見のとき、
観てると「アラ」が見えてきてどうしようかと思った、と言ってたけど、
「アラ」があるように見えてしまうのは、
このドラマをリアリズムで観ようとしてしまってるからだよね。
リアリズムじゃなくて、くそリアリズムだろ(笑)。
ごめん。くそリアリズムで。

でもイ・ジャンスは、これ、
くそリアリズムで撮ってるわけじゃないのよ。
謳ってるだけ。物語として謳ってみせてるだけ。
かれは小説家じゃなくて詩人なんだよな。
そう。その意味ではこのドラマにはなんの「アラ」もないの。
歌としてはみごとに完璧で、もうひたすら脱帽・最敬礼するしかない。
いまや日本にはくそリアリズムしかないもんね。
ひどいものよ(笑)。

物語(ドラマ)ってのは、
ひとが生まれて、生きて、死ぬまでを描くことだよね。
死まで描いてはじめて物語は終わる。
キルケゴール? ショーペンハウエル? 
忘れちゃったけどさ、
その家族の物語は、埋葬されたときはじめて終わる、
みたいなこと言ってたじゃない。
あれだよね、あれ。

で、始まりから終わりまでを完璧に語ってみせるには、
死の側に立つしかないのよ。
死の側に立って、そのひとの越し方を見る。
そのとき初めてすべてが見通せる。生まれて、生きて、死ぬまでが。
越し方だけではなくて、先の、行く末(死のほう)も見える…。

折口信夫ふうに言うと、その場所は「賽の河原」。
このドラマで言うと、ジュンホが立つリング。リングの上。
リングに立ったボクサーには、
ジュンホには、自分の越し方も行く末も見える…。

そう。リングに立って、賽の河原に立って、
越し方を見て、行く末を見て、
そこから、そのひとを、あるいは出来事を語る。
そういう方法でしか物語を完璧に語ることはできない。
そのひとや出来事の時間を、時間の流れを
完璧な物語として構成することはできないのよね。
物語の起承転結の、結。
そう。

で、イ・ジャンス監督はみごとにそこに立ち、
ジュンホの物語を、ジュンホとソニョンの物語を語ってみせてるの。
バンソリのように…。

言いかえるとさ、
ジュンホや、ジュンホとソニョンの物語を「過去」にしておく。
すでに終わったものとして始めるってこと。
そうすると、ジュンホや、ジュンホとソニョンに起きた出来事を、
完璧な物語として再構成できるから。
イ・ジャンス監督にすれば、
二人の物語はすでに「過去」だから謳えるってことになる。
バンソリにできる…。

さすが天才(笑)。
現在進行形の物語を謳うひとがいるけど、ああなると最悪。
笑うしかないよな、見てて(笑)。

いま言ってきたことはこの写真ひとつでわかる。

画像

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ジュンホというひとりの孤児少年がいた。
かれは生まれて、生きて、ソニョンという女に出会い、
愛して、そうして死んだ。
かれの物語を語ろう…。

そう言ってイ・ジャンスはかれの物語を物語った。謳った。
韓国の伝統芸能バンソリとして。バンソリに乗せて…。
ということ。

誰でもわかることだけど、
写真がシロクロになってるのは、
ジュンホがすでに死んでいるから、過去だから。

音楽もバンソリだもんね。
徹底して謳う。旋律を奏でる。バンソリふうに…。

おれの推測では、韓国の演歌(恨歌)の源流はあのバンソリ。
おれの推測では(笑)、このドラマを撮るとき、
イ・ジャンスの念頭には「アルビノーニのアダージョ」があった。
おれもそう思うな。ジュンホの埋葬曲として。
イ・ジャンスは、全編、「アルビノーニのアダージョ」に乗せて謳った。
音楽担当のチェ・ギョンシクも、
「アルビノーニのアダージョ」に合わせて曲を作った。
バンソリと「アルビノーニのアダージョ」とを合体させた(笑)。

平岡正明さんは、むかし、
日本の演歌の源流は韓国の恨歌だって言ってたよな。
かもしれないよね、通底するもの感じるもの。
でもバンソリが始まったのは18世紀に入ってからなの。
とすると、あのバンソリの源流は、
日本の琵琶法師たちの語りだってこともあるかも…。
なるほどな。
琵琶語りは仏教の声明からきてるんだけど、
韓国ももともと仏教の国だし、源流は琵琶語りじゃなくて
韓国仏教の声明なのかもしれない。
そのあたりは、おれ、専門家じゃないからわかんないよ。

いずれにしろバンソリに声明の音色を感じる。
叙事詩的な埋葬曲という印象が強烈にある。

このドラマも徹底した「埋葬曲」として語られていく。
謳われていく。
日本の芸能でいうと、声明。
平家の滅亡を語る琵琶法師。この世の、ひとの世の無常。
根底にそれがある。近いものが…。

ジュンホに贈る埋葬曲か。
12話。チョさんの死を描くシーンあたりからはっきりわかってくる。
それが観る側の感涙を徹底して絞ってしまう最大の理由…。

補足しておくとさ、
このドラマは謳ってみせてるんだ、
物語ろうとしてるんだってすぐにわかるのは、
映像と音楽だけでドンドン物語を進行させていく、
あのMVふうの作り方だよね。
けっこう最初のころから多用してるから、
あ、このドラマ、くそリアリズムじゃない、
歌なんだ、詩だ、叙事詩なんだってわかる。

「最終話__結」でいきなり「臨死の視線」からレビューを始めたのも、
上の、ベッドに横たわるジュンホとソニョンの写真(映像)を見たから?

それもあるけどさ。
ミニョクに勝って、ロープ際でソニョンに抱かれて、目を閉じる。
あのシーン、誰が見たってジュンホは死んだと思うじゃない(笑)。
おまけにミニョクと闘ってる後半、
やたら「光」が差し挟まれてるしさ…。

驚いたのはむしろその直後。
ソニョンが助手席にジュンホを乗せて自宅に連れて帰るシーン。
「あっ」て思ったのよ。これ野辺送りじゃんて…。

で、すぐ思い出した。
なにを?
「初恋のきた道」で、ラスト近く、教え子たちが
家から遠く離れた街で死んだ先生(老父)を、
老母を先頭にみんなで担いで家に帰っていくシーン。
ああ…。
途中、死んだ老父に
「ここは○○だよ」「ここは…」と場所を教えながら帰っていく。
そうしないと、死んだものは道に迷って自分の家に帰れない。
そういう風習が代々あるからなんだけどさ。
あのシーン、よかったなあ。
チャン・イーモウ監督の中でも最高の傑作シーンだよね。
あのシーンをすぐに思い出した…(笑)。

このドラマが、臨死の視線で物語られようとしてる、
と気づいたのはもともと第5話なんだよね。
あの結婚式の「記念写真」?
そう。ジョンホだけほかの四人とちょっと佇まいが違うじゃない。
それで「え?」って思ったのよ。

それに、もう結婚式かよ、まだ第5話だよってのもあった。
それでたしか、展開がはやいけどいいのよ、
これは「夢」なんだからって書いたとおもうんだけどさ。

おまけにイ・ジャンス監督、いつも謳いあげるし、
中盤すぎたあたりから黄色い画面は出はじめるし、
毎回、見始めると、ジュンホとソニョンが
はじめて出会ったあのカフェのシーンが流れてくるし、
そのソニョンのうしろは黄色いひまわり畑だし…(笑)。

そのころはもうほぼ確信してた。
この物語は、ジュンホが臨死の視線で眺めてる物語なんだ。
イ・ジャンス監督が死の側にたって謳いあげてるんだって。

若干迷いはあったよ。
日本では、死者が最初に立つ場所は「菜の花畑」なんだけど、
韓国では「ひまわり畑」って言い伝えられてるのかなっていう…。
でも、いいか、黄色いお花畑だから一緒にしちゃえと思って(笑)。

韓国の習俗に詳しいひとがいたらぜひ教えてくださいな。

話を戻すけど、あのシーンは、
ソニョンがジュンホの遺体を乗せて家へ連れて帰ってるんだ
と思ったのね。

実際、イ・ジャンス監督もそう描いてるのよ。
でないと、ラスト、ソニョンがかくも静かに
涙を零しながらジュンホを看取るのは絶対におかしいのよ。
急にくそリアリズムで見るわけ?(笑)
そうじゃないの。
でないとジュンホの死の時間が短すぎるっていうの?

いま法的には、ひとは脳死段階で死んだってことになる。
でも、実際はそうじゃないよね。
呼吸が止まる、心臓が止まる、脳が死ぬ。
それでもまだ内臓は生きてるわけだし、
からだの中の細胞はあちこちで生きてる。
その細胞全部が死んだとき、人間は初めて死んだって言えるわけで。

死はけして瞬間的に訪れるわけじゃない。
人間はゆっくりと時間をかけて死んでいく。
その時間のあいだが俗にいう臨死状態?
その臨死状態で見る視線が、臨死の視線と呼ばれてる?

よく臨死状態にあったひとが息を吹き返したあと語るだろ。
ほら…。
自分は病室の上にいて、ベッドに横たわってる自分を
天井のほうから見下ろしていた。
白い光に包まれてすごく気持ちがよかった。
その光の向こうへ行きたいと思って行こうとしたら、
向こう岸にひとが現れて「こっちへ来るな」って言われた。
その瞬間、自分はベッドで目が醒めた。
息を吹き返したみたいな話…。

あの視線。あの状態…。

ジュンホのことで言うと…、
たしかにソニョンに抱きしめられてリングの上で死んだ。
息が止まった。心臓が止まった。脳も停止したかもしれない。
でもまだ完全に死んでるわけじゃない。
からだの温もりはある。
内臓は生きてる。こころは生きてる。
こころは内臓によって作り出されているものだからさ。

ソニョンが運んでいるのは、そんな状態のジュンホ。
ふつうに言えば「遺体」ってことになるから、
ソニョンにしてみればもう野辺送りみたいなもの?
二人同行して二河白道を渡りはじめた心境?

イ・ジャンス監督は、
あの車のシーンからそれを描こうとしているのね。
ジュンホがゆっくりと死んでいく時間を。その様を。
ソニョンには遺体を車で自宅へ運ばせる。
さっき言った「初恋のきた道」での遺体を家に運ぶシーンと同じ。
それを撮っていく。

でもジュンホ、自分で歩いて家の食卓に着いたよ(笑)。
だからくそリアリズムで見ちゃだめなのよ。
あれはじつはソニョンが念力でもってジュンホを歩かせてるの。
ほかの家族にはまだ生きてるように見せるため(爆)。
作るねえ、あんたも。
作るよお、これでも劇作家なんだもん。
作って作りまくるイ・ジャンス監督に負けていられるかよ(笑)。

というのは冗談だけどさ、
イ・ジャンス監督も明らかにそう撮ろうとしてるのね。
でもそのあたりは微妙すぎて描きにくいから、
どうしてもああいう撮り方になってしまう?

どっちにしろそう考えると、
ソニョンがベッドで静かにジュンホを看取るシーンとか、
ラストの、臨死の視線でベッドに横たわる二人を撮るシーンが
すごく自然に見えてくるよね。

でさ、
イ・ジャンス監督、車のシーンを多用してるよね。
この種のドラマとしてはもう比類がないくらい。
その車のシーンがみんなまためちゃくちゃいいよな。
最高。
一切は過ぎ行く比喩にすぎないっていう、
無常の世界観をものすごくうまく表現してみせてる。

レビューの途中で、
車は移動=人生の旅の途中の「喩」で、
この監督はそこにいつも重要な話を差し挟んでくる。
そこから次々にドラマを新たに展開していってみせる。
その手腕たるやすごいって書いたんだけどさ。
それだけじゃなかったのよね。

この最後の車のシーン。
ソニョンがジュンホを野辺送りするシーンを成立させるために、
全編、ずっと車のシーンを多用してきたんだよ。
そうか。

この物語はいままさに死につつあるジュンホの回想なんですよ。
臨死の視線で語られてる物語ですよって言いたかった?
そう言ってもいいかな。
それで全編、埋葬の曲を使ってるのよね。
謳ってみせてる…。

そのことに気づいたのは、まさに
あのシーンを観せられたときなんだけどさ。
おまえ、天才じゃん。
おまえに誉められてもちっとも嬉しくないわ。
だよな。おれ、おまえなんだもん(笑)。

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ほんとはさ、この車のシーンを長くすればよかったのよ。
3分くらいやる。
車が走る。ソニョンが涙を流しながら運転をしている。
ジュンホが目を閉じて助手席の窓に凭れてる。
それだけを延々と3分。歌、1曲ぶん。
それこそイ・ジャンスが得意とするMVふうに。

そうすると、そのことがものすごくよくわかったと思うのよ。
でもドラマという制限された時間の中じゃ無理だよね。
それでなくてもこの最終話、レビューで書いたように、
ものすごく内容がたくさん詰まってるんだもん。

で、ここはおれが解説しとかないとだめかな。
ちょっとわかりにくい、というか、誤解されやすい?
そう思って「最終話__結」をああいうふうに書いたわけね。
おれが再構成してみた、イ・ジャンス監督のやってることを。

そういう構造になってたのか。
そういう構造になってたのよ、この「美しい彼女」。
写真(映像)見ててもよくわかる。

もう一度これ見て。

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光(白いところ)と影、翳りをよく見て。
右斜め上にある窓のほうから光が射してるよね。
くそリアリズム的にいうと、こんなことありえないよな。
そう。ここ室内なんだもん。

もっとよく見て。
しかもその窓、格子窓だってわかるから。
あ…。
そう。この格子窓は、この格子窓なのよ。

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で、これも格子窓から見た写真。
ソニョンのあたまのほうで格子の桟がぼやけてる。

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で、これ。

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この光と影も
ジュンホがソニョンをはじめて見たときの、
あの格子窓から差し込んでくる光と影。
あるいはそう連想させるように撮られた光と影…。

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ここもそう。
窓の格子が換気扇の羽根に代わってるだけ。
そしてこれも…。

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左右の壁が格子窓を連想させる。
光が格子窓の向こうから射してるように見える。
これも、人影が格子窓の桟になってる…。

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これもそう…。

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これも…。
くそリアリズムでいくと、こんな光と影なんてありえない。

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これも、あの格子窓と、
格子窓から差し込む光と影を連想させてる。

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もうどこのシーンでもいいんだけどさ。

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至るところがあの格子窓と、
そこから差し込んでくる光と影みたいな映像になってるの。
あるいは背景にわざわざ格子窓がある?

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すごいねえ。
そんなに誉めてくれなくていいよ。
おまえじゃなくてイ・ジャンス監督。
あ…、だからなんども言ってるじゃんか、この監督天才だって。
こうなるともう偶然じゃないよな。
偶然じゃないよ。イ・ジャンスの計算。演出。

このドラマの映像は全部、
ジュンホがあの格子窓の向こうから見ている映像。
臨死の視線で撮られた映像になってるの。

すごいわあ。
たまにはおれも誉めてくれないの?
だからいま誉めてるじゃん(笑)。

すこし言いかえるとさ、
映像が全部、「記念写真」になってるわけよ。

愛するひとが死んだら、
愛したひとはそのひとの写真集を作るよね、
いい写真、思い出に残る写真ばかり集めて。
作らなきゃだめよ(笑)。
そうやってそのひとに愛着する。そのひととの愛を確認する。

このドラマの映像は全部そうなってるのよ。
ソニョンが愛したジュンホの写真集に。
ソニョンが拵えたジュンホの記念写真集に。

ソニュンは、その一枚一枚を抱きしめながら見てる。
ぜんぶそういう写真(映像)になってる。

イ・ジャンスはジュンホを愛しんで撮ってる。
ジュンホを哀悼する写真(映像)を撮ってる。
そういう写真集を見せられるから感涙を絞られてしまうんだよね、
観てるものは…。

おい、なんだよ、急に黙りこくって。
…。
すこしはわかった?
この「美しい彼女」がどんなにすごい作品か。
イ・ジャンスがなんで天才なのか。

おい。
写真見てたらまた涙出てきちゃってさ。
んだんだ…(笑)。

ビョンホンとシム・ウナもすごいよねえ。
韓国の俳優には天才が二人いたね。
ビョンホンとシム・ウナ。

そのことは次回でいいわ。
しばらくおれを泣かせといてくれ(涙々)。
タオルとバケツ持ってくるな。
おれのも頼むわ…(笑)。


お詫び
字数制限に達してしまいましたので、
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ブログん家


■韓国ドラマ 1997年

演出: イ・ジャンス
脚本: キム・ヒョソン クォン・ユンギョン
音楽: チェ・ギョンシク

出演
イ・ビョンホン ・・・ファン・ジュンホ
シム・ウナ・・・ ・・ユ・ソニョン
キム・ミンサン・・・キム・ジュン
ユ・ヒョンジ・・・・・キム・ウォン
ソン・スンホン・・・イ・ミニョク
オ・ジミョン ・・・・・ユ医院長
キム・スミ ・・・・・・パクおばさん
ソン・オクスク・・・・チャン・スンジャ
ソン・ジェホ・・・・・チョ

この記事へのコメント

月見草
2010年08月14日 15:46
山崎さーん お疲れ様でした。

わくわく、ドキドキの山崎さんの「美しい彼女」、とうとう最終回になってしまいました。
何時も最終回にはがっかりの手抜き韓国ドラマですが、美しい彼女だけは違うと思っておりましたが、山崎さんのブログで納得しました。アイリスこれに比べたら、5話ぐらいで沢山という気にもなります。2,3日前のビョンホンさんのインタビューでまた一緒に演じたい女優として、シムウナさんとチョドヨンさんを挙げてました。お二人共既婚者というビョンホンさんの気配りはあるにせよ、ビョンホンさんと対等に演技出来る方はそんなにいませんよね。
美しい彼女を越えられるようなビョンホンさんの恋愛映画観たいなー成瀬巳喜男監督のような男と女の物語。
チュモニ
2010年08月14日 16:23
もう、ドキドキしちゃって・・・。
落ち着いてから、コメントさせていただきます。
山崎さん、スゴ過ぎです!
イ・ジャンス監督にも、ビョンホンさん、シム・ウナさんにも、ここを読んでいただきたい・・・。
胸がいっぱいです。
rokugatunotiko
2010年08月14日 21:43
こんばんわ。

甘い人生のキム・ソヌもJSAのイ・スヒョクも美しき日々のイ・ミンチョルも夏物語のユン・ソギョンも良いけれど、美しい彼女のファン・ジュンホは最高です。どうして最高だと感じるのか山崎さんの解説を読んで良く解りました。ぼんやりと感じていたことが言葉に出来るってすごいです。

シム・ウナもイ・ビョンホンも良く理解して演技しているんでしょうね。そうでないとあんなに人を惹きつけるわけがないですよね。

イ・ジャンス監督凄いんですね。あんまり監督とか考えたことなかったけれど。そう考えると感動する作品って縁がないと出来ないのかなと思いました。

出来あがった素晴らしい「美しい彼女」同じ時代に見れて良かった。

あ~又ジュンホに会いたくなってきた。現実世界へもどれません。オットケ~。
tomotyan
2010年08月15日 06:19
山崎先生ありがとうございます。
「美しい彼女」の作品をこんなにも愛し、このブログでも創作も添えて、写真集を作ってくださって。^^
>このドラマの映像は全部そうなってるのよ。
ソニョンが愛したジュンホの写真集に。
ソニョンが拵えたジュンホの記念写真集に。

ソニュンは、その一枚一枚を抱きしめながら見てる。
ぜんぶそういう写真(映像)になってる。

イ・ジャンスはジュンホを愛しんで撮ってる。
ジュンホを哀悼する写真(映像)を撮ってる。
そういう写真集を見せられるから感涙を絞られてしまうんだよね、
観てるものは…。
・・・この一節すべていただきます。あの音楽と、映像と・・「美しき日々」のイ・ジャンヌ監督が、この哀悼極まりないドラマを韓国の天才俳優ビョンホンさんと・それにぴたり呼吸を合わせる天才女優シム・ウナさんを使ってつくり上げてくれました。ビョンホンさんの珠玉の作品です。
母性本能をくすぐリまくるビョンホンさんの「涙の演技の極地」です。わたしは、ビョンホンさんの「涙の演技」は世界一だと思っています。その彼のチャームポイント、セールスポイントの武器としての魅力を彼の旬のうちにざっくり引き出してくれたこと、
そして、あの目を奪われる均斉の取れた男性美ナイスボデーも披露してくださったことに感謝しています。
哀切極まりないOST、挿入歌が全編にわたって流れて陶酔させてくれます。
これからは、いつでも山崎先生のこのブログで、ジュンホの写真集に会えることが、うれしいです。
tomotyan
2010年08月15日 06:47

つづきです。
光と影の効果、にくい演出ですね。わたしは、新婚旅行の時ジュンが、父親としてのジュンホを拒否したので、外に出て、海辺にたたずむジュンホの寂しい姿をゆらゆらゆれる黄色い光線で、描写撮影しているのがとても印象的でした。
彼女を始めて求めたときのアパートから差し込む光もそうでした。
ひまわり畑の絵を背景に座っている彼女にわたしも一目ぼれ。この時、ジュンホが、美しい彼女・ソニョンに衝撃を受け強く惹かれる演出効果を見ました。わたしは、ジュンホの孤独な寂しい人生に、ソニョンに会えて会えて光明を見たように思ったのですが。全編に光の効果を狙っているんですね。
車の利用の効果も、気をつけて観たいです。
海老茶の帽子の効果・・
似合ってましたね。ジュンホが表情を隠すとき、目深に被ります。これも演出かと。屋外で体作りのトレーニンに励む姿も好きです。
ジュンホが、ジュンと心が通じ、4人で海辺を駆け巡るシーンが、ジュンホの家族を得た喜びをあらわす、最高の時のシーンだと思い、このシーンが大好きです。
ジュンとの交流、子供の扱いがうまいですね。子供の目線に合わせて。視聴者の涙をそそります。名子役採用。
わたしは、ドラマを見る場合、演出者の意図を始めは知らなくて、順々に展開していく中で、だんだん分かっていく楽しさを味わっています。
ジュンホと一緒にジュンホの人生をたどっていく姿勢で観ています。^^
Libla
2010年08月15日 09:30
山﨑哲さん、おはようございます。

もう少し落ち着いてから、また感想お聞かせくださいね。
私も、新しい(年代は古くても)ビョンホンのドラマ見たすぐには
これが最高!!と思ってしまいますもの~
でも
その素晴らしさを表現するのに、
他のビョンホンさんの作品と比較してけなさないでください。
私にとって、「甘い人生」大事な大切な作品です。
チュモニ
2010年08月15日 12:07
ジュンホと一緒に浮遊しておりましたが、そろそろ現世に戻らなくては・・・。(笑)
不勉強で所々「固有名詞」についていけない私ですけど、山崎さんのreviewは『美しい彼女』への「荘厳なレクイエム」だと受け止めました。
「魔法の小枝」のひと振りで、すべてが金のダストでキラキラ輝き出すのを見た思いです。
「ファン冥利に尽きる」って、このことを言うのでしょう。
(『甘い人生』については「勢い余って・・・」で、本意は違うと判っておりますので・・・。山崎さん、だんだん熱い「彼の国の人」に似てきちゃってます?(笑)それも嬉しいことではありますけど・・・。)

続きは次回に・・・。
riko
2010年08月19日 08:15
「美しい彼女」は、わたしは、DVDで見ました。日本での民間放送の取り上げ方に問題があったんではないですか?日本の吹き替えの声優が最悪だったです。一話を見ている途中でもうだめだと絶望しました。そして、TVで見るのを止めました。NHKで、ビョンホンさんの繊細な演技を表現できる声優を使い、CMなしで、キチンと取り上げていただいていたら、もう少し日の目を見ることができたと思います。
ビョンホンさんは、ソギョンなような人間だと、自分のことを言っています。ご自分をセンチメンタルだとも言いました。今後は、明るい作品に出たいといっていたような。?
情感たっぷりの演技を存分に生かしてもらいましょう。
わたしは、「遠い路」のウシクのような役どころを好きです。
ビョンホンさんは、東洋の情緒を表現したらぴか一だと思います。日本人の女性が好むのは、そこにあるんでしょうね。
ジウン監督は、ビョンホンさんの秋雨のような情緒の特性を「悪魔は見た」に生かしてくださっているようですね。是非見たいと思います。そして、山崎さんの説を理解しようと思います。
ビョンホンさんは、自分を生かす、自分にあった作品・監督を求めて、世界に進出したのだと思います。本人も言っていますね。
目指すものに早くめぐり合えますように。
近くの日本にいそうな感じがするのですが。^^
itigotyan
2010年08月19日 08:23
山崎先生・・・
作品を見る前に先生の批評をいただくと、先入観が入ってしまいますので、見る前の楽しみをとっておいてくださいね。
「悪魔を見た」もみんなが見たころを見計らって、批評をいただくとありがたいです。
「悪魔を見た」のDVDのプレゼントをいただいても、開封しないでお願いします。(^-^)プレゼントした人は先生に、批評を催促しないようにお願いします。(^-^)
鑑賞は、いろいろな捕らえ方があっていいのではと思います。

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