浮雲 (1955)

[538]敗戦によって突然人生を中断されてしまった男女を描く戦後映画最大の傑作
★★★★★★

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成瀬巳喜男映画の最高峰といわれている作品…。

成瀬映画だけじゃなくて、
日本映画、世界映画の最高峰でもあると、
私が偏愛している作品…。

そうなんだよね。
私が成瀬巳喜男の中でいちばん好きなの、じつはこれよ…(笑)。

なんでか?
私が生まれた昭和21年に、
私の母・高峰秀子演じるゆき子が、
ベトナム(仏印)から引き揚げてくるシーンから始まるから…(笑)。
これ、ほんと。偏愛する理由のひとつ…。

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ゆき子と富岡(森雅之)の物語が敗戦を舞台に描かれていく。
ああ、私の幼少期の戦後はこうだったのかと、
映像的にもものすごくよくわかる…?
それで人一倍愛着を感じるっていうかね…。

おせい(岡田茉莉子)と富岡が暮らすアパートに
子供たちが出てくるんだけど、あれはほぼ私の年頃…?(笑)
といっても私は東京ではなく九州の田舎です。念のため…。

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もうひとつある。
私は学生のころ近代文学を専攻して、
卒論に戦後文学作家の椎名麟三を取りあげた。
卒論に戦後文学を選んだのも、
自分の出自の時代を知りたかったからなんだけどね。

その戦後文学派といわれてるひとたちは、
ある意味では、ゆき子や富岡より若い世代…。
若いから、戦後に自己が解体され、実存が剝き出しにされる。
そういうひとたちの書いた文学…。

そう意味で言うと、
ここで描かれているゆき子や富岡みたいな人物はじつはあまり
描かれていないんだよね。
強いてあげれば、描いてるの、太宰治や島尾敏雄くらい?
ほかに私が知らないだけかも知れないんだけど…。

この作品の原作「浮雲」を書いた林芙美子にも、
正直言って、富岡・ゆき子的なものは
読んでても私はあまり感じない…?

ゆき子・富岡的なものというのは、
敗戦によって不意にもたらされた人生の「中断」っていうのかな?
中断されたひとの心…、空白感…。

私の偏愛する島尾さんで言えば「出発は遂に訪れず」だよね。
島尾さんは、第十八震洋特攻隊隊長として加計呂麻島に赴任。
特攻の死を覚悟してたんだけど、敗戦で突然中断され、
「空白」に晒される…。

でも島尾さんには妻ミホさんがいた。
ミホさんがいらしたから戦後まだ生きていくことができたと
私は思ってるんだけどね…。

ゆき子・富岡の人生が、
突然の敗戦によって中断されたことは二人にもよくわかってる。
富岡も言うもんね。
おれと君のロマンスはあの敗戦で終わったんだって…。

じゃあ、なんで二人は最後まで付き合っちゃうのか?
成瀬巳喜男はそういう質問にたいして、
「ふたりは体の、性の相性がよかったんです」と
答えたらしいんだけど、騙されちゃあかんよ…(笑)。

敗戦によって突然中断された心を、
心の「空白」を共有してるからなんだよね。

その対照的な人物が伊庭(山形勲)と向井(加東大介)。
同じように突然の敗戦を味わったはずなんだけど、
人生が中断されたとも思っていないし、
心に空白を抱えたわけでもない。

なぜか?
資質の違いだよというしかないような気がするけどね。
昔のひとたちだと、富岡・ゆき子はインテリで、
伊庭と向井はインテリじゃないからだよって言いそうだけどさ(笑)。

もしそういう言い方をするとすればたぶん、
富岡・ゆき子は敗戦によって失うものを持っていた、
伊庭・向井は持っていなかった、と言ったほうがいいかも…。

まあ、そういうわけで、
富岡もゆき子も、伊庭・向井みたいな人物とは心を共有できない。
伊庭・向井みたいにもう前を向いて生きることができない…。

富岡の場合、
その空白感を埋めよう、忘れようと、ひたすら女体を遍歴していく。
快楽で忘我しようとする。
ゆき子相手だと、どうしても「空白」を思いだしちゃうもんね。

でも、肉体の快楽はやっぱり瞬間的なものだから、
空白感を埋めることはできないし、だからといって、
ゆき子相手みたいに空白感を共有することもできない。
で、どうしても最後はゆき子のところへ戻ってしまう…。
その繰り返し…。

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富岡がおせいと関係したり、
伊庭に養われてるゆき子を奪い返しに行ったりするのは、
たぶんもうひとつの心がある。

敗戦によって中断もされずに生きていける男たちへの復讐…?
そういう男どもから女を奪ってしまいたいんだよね…(笑)。
そこが富岡という人物造詣の凄さなんだよね。

この富岡という人物、
そういう意味ではまさに太宰治を彷彿させるよね。
あの毒舌、ひねくれ方、もう太宰そっくりでもあるし…(笑)。
まあ、太宰の場合は「道化」てみせたわけだけど…。

太宰は最後心中したよね。
いずれにしろ長くは生きられないひとだったとは思うけど、
敗戦によって空白感が生じた、あるいは空白感が大きくなったことは
間違いないと思うの、読むかぎり…。

で、そのとき自分の帰れる場所がなかった?
自分のおかあさんが誰なのかわからなかったから…。
実母はいても、おかあさんとして獲得できていなかったから…。
で、死期が早まった…、
と私は思ってるんだけどね。

ゆき子・富岡も太宰とまったく同じだよね。
自分の帰れる場所がない。
結局、空白を共有するゆき子のところへ、
富岡のところへ帰るしかない…。

そういう意味でいうとさ、
二人の屋久島行は太宰と同じ心中だよね。
なだらかな、ゆっくりゆっくりとした心中…。

ゆき子が先に逝ってしまうけど、
遅かれ早かれ富岡もゆき子の後を追って死ぬんだとおもう。
ゆき子と心中する。
伊香保温泉では心中できなかったけどさ…。

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この映画がとにかくすごいのは、
そういう人間たちの「戦後」をじつに見事に描ききってるからだ
と思うんだよね…。

映像もとにかくすごい。

たとえば
ゆき子が伊庭の金をくすめて伊豆の旅館に投宿して、
富岡に電報を打って部屋で待ってる。

窓の下に目をやると、
旅館の向こうの廊下を若いサラリーマン風の男と女が、
賄いさんに案内されて部屋へ向かってる。

と、とたんに敗戦によって時間を中断され、
宙吊りになったままそこにいるゆき子の像が
強烈に浮かびあがってくる…。

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成瀬は
そういう写真(映像)の撮り方をずっと一貫してやっていくんだよね。

戦後の東京、あるいは街の風景を撮りながら、
なおかつ、時間が止まってるゆき子・富岡の像を創るため、
そうした手法を崩さない…。

敗戦期ながらゆき子・富岡の周りで動いてるもの、
動きはじめてるものを映し出していく…。
そうすることでゆき子・富岡の「中断」「空白」を増幅してみせる…。

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私は舞台で成瀬は映像だけど、
その手法と手腕にはもうひたすら平伏するしかない…?
成瀬だけじゃないんだけど、
いやあ、むかしのひとはほんと凄いよなあって、
出てくるのはただ溜息と感動の涙ばっかりなんだよ…(笑)。

ほんと、なんど観てもすごい映画です。
当時これを観た小津安二郎が唸ったというのもわかります。
観たあと、しばらくは私も堂々と胸を張って歩けます!(笑)

ひたすらお礼を申しあげます、成瀬巳喜男様々…。

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●sinoさん
憶えていていただいてありがとうございます(笑)。
じつを言うと、私、林芙美子の小説、苦手なんですよね、
ちょっとベト付き感があって…(笑)。
ですから、この映画も観るコツがあって、
主人公二人にのめり込もうとしないで、ちょっと引き気味に観る。
二人の周りの景色なんかを楽しみながら観る。
と、よくわかって、面白いような気がします…(笑)。

ありがとうございました。

クリッとしていただけると嬉しいです!
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■東宝 124分 ドラマ/文芸

監督: 成瀬巳喜男
製作: 藤本真澄
原作: 林芙美子 (『浮雲』)
脚本: 水木洋子
撮影: 玉井正夫
美術: 中古智
編集: 大井英史
音楽: 斎藤一郎
監督助手: 岡本喜八
特殊技術: 東宝技術部

出演
高峰秀子 幸田ゆき子
森雅之 富岡
中北千枝子 妻・邦子
岡田茉莉子 おせい
山形勲 伊庭杉夫
加東大介 向井清吉
木匠マユリ 飲み屋の娘
千石規子 屋久島の小母さん
村上冬樹 仏印の試験所長
大川平八郎 医者
金子信雄 仏印の所員・加納
ロイ・H・ジェームス 米兵
出雲八枝子 下宿のおばさん
瀬良明 太田金作
木村貞子 兼吉の母
谷晃 信者
森啓子 仏印の女中
日吉としやす アパートの子供

戦時中の1943年、農林省のタイピストとして仏印(ベトナム)へ渡ったゆき子は、同地で農林省技師の富岡に会う。当初は富岡に否定的な感情を抱いていたゆき子だが、やがて富岡に妻が居ることを知りつつ2人は関係を結ぶ。終戦を迎え、妻・邦子との離婚を宣言して富岡は先に帰国する。
後を追って東京の富岡の家を訪れるゆき子だが、富岡は妻とは別れていなかった。失意のゆき子は富岡と別れ、米兵の情婦になる。そんなゆき子と再会した富岡はゆき子を詰り、ゆき子も富岡を責めるが結局2人はよりを戻す。
終戦後の混乱した経済状況で富岡は仕事が上手くいかず、米兵と別れたゆき子を連れて伊香保温泉へ旅行に行く。当地の「ボルネオ」という飲み屋の主人、清吉と富岡は意気投合し、2人は店に泊めてもらう。清吉には年下の女房おせいがおり、彼女に魅せられた富岡はおせいとも関係を結ぶ。ゆき子はその関係に気づき、2人は伊香保を去る。
妊娠が判明したゆき子は再び富岡を訪ねるが、彼はおせいと同棲していた。ゆき子はかつて貞操を犯された義兄の伊庭杉夫に借金をして中絶する。術後の入院中、ゆき子は新聞報道で清吉がおせいを絞殺した事件を知る。
ゆき子は新興宗教の教祖になって金回りが良くなった伊庭を訪れ、養われることになる。そんなゆき子の元へ落剥の富岡が現れ、邦子が病死したことを告げる。
富岡は新任地の屋久島へ行くことになり、身体の不調を感じていたゆき子も同行する。船内で医者からは屋久島行きを止められるが、ゆき子は無理強いをする。しかしゆき子の病状は急激に悪化し、現地へ着いた頃には身動きもままならない事態に陥った。ある豪雨の日、勤務中の富岡に急変の知らせが届くが、駆けつけた時には既にゆき子は事切れていた。
他人を退け、富岡は泣きながらゆき子に死化粧を施した。

この記事へのコメント

sino
2010年09月12日 17:59
以前、別な作品のところで「成瀬巳喜男作品で一押しは、実はこの作品じゃないんですけどね」と言ってたことがありましたよね。

その時、私は「浮雲」だ、とすぐ思いました。でも、クイズ番組じゃないので、黙っていましたけど…。(笑)

私について言えば、評判を知り、それから観てるので、肩に力が入ってしまって、大感動までいかなかったのです。説明できないが歴然としてあり、その感情に引きずられてしまうことが、その人らしさで、というのはすごく人間的であり、文学的ですよね。知的な2大名優がダメな二人を、日本的な背景のなかで、フランス映画のように演じている。甘くない声がすごく良いと思いました。

また、ちゃんと観てみたいと思っています。

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