三船敏郎__俳優

■三船敏郎(日本)

1920年4月1日 - 1997年12月24日。
ヴェネツィア国際映画祭 男優賞を2度受賞し、
「世界のクロサワ」の黒澤明と共に「世界のミフネ」と呼ばれた。
経営する三船プロダクションは東京世田谷区に
大手の映画会社に次ぐ規模のスタジオを所有し、
大勢のスタッフを常時雇用していた。

元俳優で映画プロデューサーの三船史郎は
本妻(元女優の吉峰幸子)の子。
タレントの三船美佳は内縁の妻(女優の喜多川美佳)の子。

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来歴・人物
1920年(大正9年)、三船徳造の長男として、当時日本の占領下にあった中華民国・山東省青島に生まれた。父・徳造は、秋田県鳥海町の出身の貿易商であり、写真業を営んでいた。
家族はその後、満州国(当時)の大連に移り住んだ。三船は若い頃からワルだったと言うが、大連中学を卒業後には、甲種合格で兵役に就いた。写真の経験・知識があるということから満洲国・公主嶺の陸軍第七航空教育隊に配属され、航空写真を扱う司令部偵察機の偵察員となった。三船は後年まで、カメラに対するこだわりが深かったという。
その後は内地で、滋賀県八日市の「中部九八部隊・第八航空教育隊」に写真工手として配属され、1943年に同部隊に現役入隊した鷺巣富雄とは、その後生涯にわたる交友関係となった。鷺巣は三船の写真技術の高さを認め、円谷英二、大石郁雄と並んでの映画界の師と仰いでいる。
1940年(昭和15年)、三船はこの「中部九八部隊」で、先輩兵である大山年治(東宝撮影所撮影部所属)から、「俺はこの3月に満期除隊となるが、来年はお前の番だ、満期になったら砧の撮影所へ来い。撮影助手に使ってやる」と誘われた。が、戦況が逼迫し、満期除隊は無くなってしまったため、以後敗戦まで6年間を「古参上等兵」のまま過ごすこととなった。戦争末期には熊本の隈之庄の特攻隊基地に配属され、特攻兵の遺影(生前に撮る)の撮影に従事する。
1945年(昭和20年)、特攻隊基地で終戦を迎える。三船は大山との約束をもとに、復員服のまま大山のもとを訪ね、撮影助手採用を願い出た。ところが、本土復員に伴う復帰社員が増加し、縁故採用が難しくなっていたため、大山は三船に「とりあえず第一回ニューフェイス募集をしてるから受けてみろ、貴様の面なら合格するはずだ、入ってしまいさえすれば撮影助手に呼べるからな」と手配(つまり、大山は三船の採用を全く確約していない)。こうして不本意ながら俳優志望として面接を受けることになった[1]。本意でないため、面接では審査員に「笑ってみて」と言われた際に、「面白くもないのに笑えません」と答えるなど、人を食ったふてぶてしい態度を取り、不合格になりかけた。
ところが、山本嘉次郎監督が審査委員長をしていた中、山本の弟子ともいえる黒澤明がたまたまそれを目撃した。当時の審査委員会は監督など映画製作の専門家と労組代表の半数ずつで構成されており、黒澤は「俳優の素質を見極めるのに専門家と門外漢が同じ一票ではおかしい」と抗議。結局山本が「彼を採用して駄目だったら俺が責任をとる」と発言し、なんとか及第となる。太々しさの中に見える大器の可能性も買われて補欠採用され、思わぬ形で役者の世界に入った。

1947年(昭和22年)に黒澤が脚本、黒澤の盟友・谷口千吉が監督をつとめた映画『銀嶺の果て』でデビュー。雪山で遭難する3人のうちの一人を演ずるが、2人目は志村喬だった。
1948年(昭和23年)、デビュー3作目として黒澤監督『醉いどれ天使』に、破滅的な生き方をするチンピラ役で登場した。主演は医師役の志村だったが、ぎらぎらした野性味あふれる演技で圧倒、一躍人気が上昇する。
その後、黒澤作品には欠かせぬ存在となり『醉いどれ天使』から『赤ひげ』までの16年間で出演しなかった黒澤映画は『生きる』1作のみである。現代劇、時代劇問わぬ黒澤映画の顔であったが、黒澤との確執も伝えられた。三船の死後、黒澤は「会って、三船君、本当によくやったなあ、と褒めてあげたかった。あんな素晴らしい俳優はもういません」とコメントした(ちなみに、三船の死から8か月後に黒澤も死去)。

黒澤作品以外にも稲垣浩監督の『戦国無頼』(1952年)、『宮本武蔵』(1954年)、『無法松の一生』(1958年)、岡本喜八監督の『侍』(1965年)、『赤毛』(1969年)、熊井啓監督の『千利休 本覺坊遺文』(1989年)など数多くの作品に主演。初期のころは『七人の侍』の影響か豪放な役が多かったが、その後戦国武将や東郷平八郎・山本五十六といった軍人・偉人の役が多くなった。
晩年は山田洋次監督『男はつらいよ 知床慕情』(1987年)の頑固者の老獣医師や、市川崑監督の『竹取物語』(1987年)の竹の造翁など、渋い演技を見せた。撮影に入る前に台詞・演技を全て体に覚えさせ、撮影に台本を持参しないことも多い、という高いプロ意識でも知られた。

1950年(昭和25年)、東宝第一期ニューフェイスで同期だった女優・吉峰幸子と結婚。その後、女優・喜多川美佳との交際が発覚して幸子夫人と別居。実態は家庭内暴力に悩まされた幸子夫人により、三船が追い出された形だったが、本心は三船の改心を望んでいたという。しかし、三船側より離婚訴訟が起こされるに及んで、家庭内の振る舞いが暴露されることになり、そのイメージが大きく低下した。この間、内縁関係にあった喜多川との間にもうけた娘が三船美佳であるが、美佳とかなり年が離れているため、親子というよりはむしろ孫と祖父に見られる事も多かったと言う。不倫相手の名前である「美佳」を子供にそのまま付けるという皮肉な結果となった(ただし喜多川美佳という名前は本名ではない)。1992年(平成4年)に心筋梗塞で倒れたのをきっかけに、三船は正妻のもとに戻った。

1961年(昭和36年)、初の海外主演作品となるメキシコ人監督イスマエル・ロドリゲスによる『価値ある男』にメキシコ人役で主演。この映画は、主人公のメキシコ人を日本人が演じるという奇抜なアイデアであるにもかかわらず、1962年のアカデミー賞に外国語映画部門でオスカー賞にノミネート、1961年に『用心棒』と併せてブルーリボン賞で主演男優賞を受賞、1962年のゴールデングローブ賞に外国語映画部門でシルバーグローブを受賞、同じく1962年のサンフランシスコ国際映画祭でベスト・フィルム部門でゴールデン・ゲート・アワードを受賞するなどの結果を出し、以後国際俳優としての才能を発揮し始める。

1962年(昭和37年)、三船プロダクションを設立し、翌年には映画『五十万人の遺産』を自らの主演で初監督。映画『黒部の太陽』(石原プロモーションと合同で制作)のほか、『桃太郎侍』『荒野の素浪人』『大忠臣蔵』などテレビドラマを制作した。1979年に内紛で分裂し、その後は振るわなかった。
1986年(昭和61年)、紫綬褒章、1993年に勲三等瑞宝章を受章。
1988年(昭和63年)、第6回川喜多賞を受賞。
1997年(平成9年)、12月24日に全機能不全のため77歳にて死去。晩年は軽度の認知症を発症していたといわれ、週刊誌やワイドショー等の話題となっていた。遺作は1995年の『深い河』(熊井啓監督)だった。

逸話
「黒澤明語る」によれば、黒澤映画の中で三船の地の性格に一番近かったのは『七人の侍』の菊千代だったという。三船本人も撮影前から「これは私ですね」と感激していたという。
自社の事務所の掃除も自ら進んでする(訪問者が三船本人と気付かなかったという逸話がある)程の掃除好きだった。また、料理が好きで、中島春雄によると、一ヶ月にも及ぶ宿泊がざらだった御殿場でのロケでは、三船が肉や野菜を買ってきて自ら包丁を振るい、大鍋で豚汁を作ってロケ仲間に振舞うのが恒例で、弁当は握り飯しか出なかった現場で大好評だったそうである。 また達筆でも知られた。 「中部九八部隊」で写真技術の指導を受けた鷺巣富雄によると、内務班で古参上等兵だった三船は兵隊仲間の面倒見がよく、鷺巣ら初年兵をよくかばってくれたという。炊事班(こわもてが多い)に顔が利き、ビールや缶詰をよく調達してきてくれたといい、酔うと必ずバートン・クレーンの『酒が飲みたい』を唄うのが通例で、初年兵全員にこれを合唱させていた。
一方で酒癖の悪さでも知られ、飲むと性格が一変した。酔ってタクシー内で安藤昇に殴りかかると逆に車外へ蹴飛ばされ更に殴り捲られ完全に伸びてしまう、翌日は派手に顔が腫れたままで撮影にならなかったこともある[3]。浜美枝は、三船について「お酒さえ入らなければ、本当にやさしくていい人なんですけどねえ」と語っている[4]。また、奇行に走る傾向もあり、監督の家でスタッフと飲んで酔っ払い、居間の太い梁によじ登って懸垂を始めたり、夜遅くに家の近所を奇声を上げながら走り回ったり、中には映画用の小道具である槍を持ち出して石原裕次郎の家に果し合いに行ったという冗談のようなエピソードもある。
日本国外の空港で空港税関係員に「Do you have any spirits?(あなたは蒸留酒を持っていますか?)」と質問され、「Yes! I have Yamato-Damashii!(そうだ、俺は大和魂を持っている)」と堂々と答えたことがある。
1956年の東宝映画「ならず者」(青柳信雄監督)では主役を演じるとともに主題歌「山の男の唄」を歌った。
1954年に黒澤明監督の映画である『七人の侍』において菊千代を演じた際、実際の撮影現場は2月の真冬で、その上土砂降りの豪雨の中で地肌に鋼の鎧を着て殺陣を行った。しかし撮影後、三船は体調を崩し風邪を引いてしまい2週間寝込んだという。
『山本五十六』を数多く演じたことでも知られる。邦画・ハリウッド映画を含め、山本を演じた回数では現在でも三船がトップである。
映画の撮影の合間に砧撮影所から自宅まで甲冑姿のまま車を運転して帰り、周囲の度肝を抜いた[要出典]。
1958年の狩野川台風により仙川が氾濫し、当時自宅のあった成城近隣も水没。近隣の水没した世帯の住人18名を、自宅に所持していたモーターボートで成城警察署の署員と共に救出した。
岡本喜八監督とはお互いの貧乏時代からの友人で、俳優と監督でのコンビだけでなく、喜八プロに三船プロのセットを融通したりの友情が長く続いたが、同じ下宿に住んでいたころ三船は繕い物が上手かったという[5]。
1981年のTBS正月特番ドラマだった『関ヶ原』の宣伝の一環として、当時の人気番組『8時だョ!全員集合』(1980年12月27日放送分)にゲスト出演した事がある。『関ヶ原』出演時と同じ鎧兜を付けて番組冒頭のコント劇に出演し、同じく戦国武将役のいかりや長介率いる部隊の窮地を救う役を演じる。その後、いかりやと二言三言の会話を交わし、三船が「カラスの歌を聞きたい」と言ったのでいかりやは志村けんを三船の前に呼び出して「♪カラスの勝手でしょ~」を歌わせた。そして、三船は舞台袖に悠然と退場するはずが、その途中で突如、同番組名物だったヒゲダンスをアドリブで披露。客席からは笑いや悲鳴のような歓声、そして深いどよめきが起きた。いかりやは舞台上で一瞬絶句し「ああいう人が、ああいうことをやるなんて…」と真顔で驚嘆した。また三船は冒頭コント劇の後で「少年少女合唱隊」にも出演し、早口言葉コーナーでは真顔でドスの効いた声で「生麦生米生卵…」等と歌おうとしたが、完全にもたついてしまい、客席や共演者の爆笑を誘った。
三船が逝去した際、フランス共和国とイタリア共和国の国営放送のテレビニュース番組が『トシロー・ミフネの死去』をトップニュースで報じた。外国報道機関がトップニュースで日本の俳優の死去を報じたのは過去に例がない出来事だった。
メキシコ映画「価値ある男」で主役を務めた三船は、栄誉ある「ボルビ伯爵杯」を与えられた。

世界のミフネ
1951年に『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、クロサワとともにミフネの名も世界に知れ渡った。1961年に初の海外作品『価値ある男』(メキシコ映画)ではメキシコ人役で主演。その後の海外の名優との競演は、以下の作品などが挙げられる。

1967年『グラン・プリ』(ジョン・フランケンハイマー監督)イヴ・モンタン、ジェームズ・ガーナー
1968年『太平洋の地獄』(ジョン・ブアマン監督)リー・マーヴィン
1971年『レッド・サン』(テレンス・ヤング監督)アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン
1976年『ミッドウェイ』チャールトン・ヘストン、ヘンリー・フォンダ、ロバート・ミッチャム、グレン・フォード
1976年『太陽にかける橋 ペーパータイガー』デビッド・ニーブン、ハーディ・クリューガー
1979年『大統領の堕ちた日』ジェフ・ブリジッス、アンソニー・パーキンス、エリザベス・テイラー
1979年『1941』(スティーブン・スピルバーグ監督)ジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド
1980年『将軍 SHOGUN』リチャード・チェンバレン
1980年『仁川インチョン!』(テレンス・ヤング監督)ローレンス・オリビエ、ジャクリーン・ビセット
1980年『最後のサムライ ザ・チャレンジ』(ジョン・フランケンハイマー監督)スコット・グレン
1980年『兜KABUTO』(ゴードン・ヘスラー監督)ショー・コスギ
1994年『シャドウ・オブ・ウルフ』ドナルド・サザーランド、ルー・ダイヤモンド・フィリップス
1995年『ピクチャーブライド』(カヨ・マタノ・ハッタ監督)

アラン・ドロンは三船を『日本の兄』と尊敬し、自らがプロデュースするブランドの香水「サムライ SAMOURAI」の香りのイメージを、「三船敏郎を基調とした日本のサムライ」とした。また20世紀を代表する世界的な有名俳優であるマーロン・ブランドも飛行機に乗っていた際、三船が同乗している事を知るや自分から挨拶に行ったというエピソードがあり、三船が死去した時も弔電を(アラン・ドロンと同様に)送っている。
黒澤のファンとしてその影響を受けたジョージ・ルーカスが監督を務めた『スター・ウォーズ』(1977年)で、ダース・ベイダー役(オビ=ワン・ケノービ役という説もあったが、三船美佳が「ダース・ベイダー」であったとコメント)の申し出を断り、『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』(1983年)にてダース・ヴェイダーの素顔、アナキン・スカイウォーカーの役をオファーされるが、これも辞退した。
スティーヴン・スピルバーグが監督を務めた『1941』(1979年)に日本人潜水艦長役で出演するが、興行的には失敗に終わった。なお、『ベスト・キッド』(1984年)のミヤギ役は断っている(代わりに出演した日系人俳優パット・モリタはアカデミー助演男優賞にノミネートされた)。

米国人に最も有名なのはテレビドラマ『将軍 SHOGUN』(1980)の将軍役で、ミフネ=サムライのイメージが固定した。1980年代のアメリカの人気テレビ『サタデー・ナイト・ライブ』ではジョン・ベルーシが『用心棒』の主役の物まねで人気を博した。ベルーシは『1941』で三船と共演しているが、直接の絡みは無い。
米国産コンピュータRPGの『ウィザードリィ』には、敵役サムライの首領的存在として「ミフネ」が登場してくる。また『マトリックス・リローデッド』『マトリックス・レボリューションズ』には「ミフネ船長」なる人物も登場し、アジア系ではないが容姿の良く似た俳優が起用されている。
海外での受賞やノミネート歴は、1955年『七人の侍』で英国アカデミー賞主演男優賞(外国語)ノミネート。1961年『用心棒』でヴェネツィア国際映画祭主演男優賞、シネマヌーヴァ金額賞。1965年『赤ひげ』でヴェネツィア国際映画祭主演男優賞、1980年『将軍』で米国エミー賞主演男優賞ノミネート。その他、フランスの芸術文化勲章、モントリオール世界映画祭特別グランプリ、マニラ映画祭では「最もセクシーな俳優」に選ばれた事もある。

三船は海外からの出演オファーも数え切れないほど多く、晩年においても一年で通常の段ボール箱が一杯になるほど依頼が殺到していた。三船の出演を決断させる要素は「日本人を茶化さない」、「三船プロの運営に支障をきたさない(『デルス・ウザーラ』や『スター・ウォーズ』の出演辞退はこれに該当)」、「制作サイドの誠意ある交渉」等があり、それらの条件をクリアした相手に対しては「出演させていただきます」というような誠意をもって応えた。ただし『デルス・ウザーラ』に関しては本人が自費で海外に渡航しスケジュールを調整していたと野上照代に話している(実際1972年から1975年まで海外の作品に出演していない)。

晩年は米映画『シャドウ・オブ・ウルフ』(1993年)のエスキモー族長役や『ピクチャー・ブライド』(1994年)の日本人弁士役としても出演した。
『シャドウ・オブ・ウルフ』で共演したドナルド・サザーランドは出演オファーを受けた際、三船が出演することが決まっていると聞き、脚本を読まずに出演を決めたと語っている。
なお、死後の1999年には、ミフネの演じたサムライへのオマージュともいえるデンマーク映画『ミフネ』がベルリン映画祭銀熊賞を受賞した。


主な出演

『銀嶺の果て』 (1947年)
『新馬鹿時代 前篇』(1947年)
『新馬鹿時代 後篇』(1947年)
『醉いどれ天使』(1948年)
『静かなる決闘』(1949年)
『ジャコ万と鉄』(1949年)
『野良犬』(1949年)
『石中先生行状記』(1950年)
『脱獄』(1950年)
『醜聞(スキャンダル)』(1950年)
『婚約指環』(1950年)
『羅生門』(1950年)
『愛と憎しみの彼方へ』(1951年)
『悲歌』(1951年)
『白痴』(1951年)
『海賊船』(1951年)
『戦後派お化け大会』(1951年)
『完結 佐々木小次郎 巌流島決闘』(1951年)
『馬喰一代』(1951年)
『女ごころ誰が知る』(1951年)
『荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻』(1952年)
『霧笛』(1952年)
『西鶴一代女』(1952年)
『金の卵 Golden Girl』(1952年)
『戦国無頼』(1952年)
『東京の恋人』(1952年)
『激流』(1952年)
『港へ来た男』(1952年)
『吹けよ春風』(1953年)
『抱擁』(1953年)
『ひまわり娘』(1953年)
『太平洋の鷲』(1953年)
『七人の侍』(1954年)
『宮本武蔵』(1954年)
『潮騒』(1954年)
『密輸船』(1954年)
『男性No.1』(1955年)
『天下泰平』(1955年)
『続天下泰平』(1955年)
『男ありて』(1955年)
『続宮本武蔵 一乗寺の決闘』(1955年)
『生きものの記録』(1955年)
『決闘巌流島』(1956年)
『黒帯三国志』(1956年)
『暗黒街』(1956年)
『愛情の計算』(1956年)
『妻の心』(1956年)
『ならず者』(1956年)
『囚人船』(1956年)
『蜘蛛巣城』(1957年)
『嵐の中の男』(1957年)
『この二人に幸あれ』(1957年)
『柳生武芸帳』(1957年)
『危険な英雄』(1957年)
『どん底』(1957年)
『下町』(1957年)
『柳生武芸帳 双龍秘剣』(1958年)
『東京の休日』(1958年)
『無法松の一生』(1958年)
『弥次喜多道中記』(1958年)
『人生劇場 青春篇』(1958年)
『隠し砦の三悪人』(1958年)
『暗黒街の顔役』(1959年)
『或る剣豪の生涯』(1959年)
『戦国群盗伝』(1959年)
『独立愚連隊』(1959年)
『日本誕生』(1959年)
『暗黒街の対決』(1960年)
『国定忠治』(1960年)
『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(1960年)
『男対男』(1960年)
『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)
『サラリーマン忠臣蔵』(1960年)
『大阪城物語』(1961年)
『続サラリーマン忠臣蔵』(1961年)
『用心棒』(1961年)
『ゲンと不動明王』(1961年)
『価値ある男』(1961年、メキシコ映画)
『椿三十郎』(1962年)
『どぶろくの辰』(1962年)
『続社長洋行記』(1962年)
『忠臣蔵 花の巻 雪の巻』(1962年)
『太平洋の翼』(1963年)
『天国と地獄』(1963年)
『五十万人の遺産』(1963年)
『大盗賊』(1963年)
『士魂魔道 大龍巻』(1964年)
『侍』(1965年)
『赤ひげ』(1965年)
『姿三四郎』(1965年)…矢野正五郎
『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(1965年)
『血と砂』 (1965年)
『暴れ豪右衛門』(1966年)
『大菩薩峠』
『奇巌城の冒険』(1966年)
『怒濤一万浬』(1966年)
『上意討ち 拝領妻始末』(1967年)
『日本のいちばん長い日』(1967年)
『グラン・プリ』(1967年)
『黒部の太陽』(1968年)
『連合艦隊司令長官 山本五十六』(1968年)
『祇園祭』(1968年)
『太平洋の地獄 Hell in the Pacific』(1968年)
『風林火山』(1969年)
『栄光への5000キロ』(1969年)
『日本海大海戦』(1969年)
『赤毛』(1969年)
『新選組』(1970年)
『座頭市と用心棒』(1970年)
『幕末』(1970年)
『待ち伏せ』(1970年)
『ある兵士の賭け』(1970年)
『激動の昭和史 軍閥』(1970年)
『レッド・サン』(1971年、フランス映画)
『太陽にかける橋 ペイパー・タイガー』(1975年、イギリス映画)
『ミッドウェイ Midway 』(1976年)
『人間の証明』(1977年)
『日本の首領 野望篇』(1977年)
『柳生一族の陰謀』(1978年)
『犬笛』(1978年)
『お吟さま』(1978年)
『日本の首領 完結篇』(1978年)
『赤穂城断絶』(1978年)
『水戸黄門』(1978年)
『Winter Kills』(1979年、アメリカ映画)
『金田一耕助の冒険』(1979年)
『隠密同心 大江戸捜査網』(1979年)
『1941』(1980年、アメリカ映画)
『仁川 (映画)インチョン!』(1980年、アメリカ韓国合作)
『二百三高地』(1980年)
『将軍 SHOGUN』(1980年、アメリカ映画)
『制覇』(1982年)
『日本海大海戦 海ゆかば』(1983年)
『海燕ジョーの奇跡』(1984年)
『聖女伝説』(1985年)
『玄海つれづれ節』(1986年)
『シャタラー』(1987年、日本・イタリア合作映画)
『男はつらいよ 知床慕情』(1987年)
『竹取物語』(1987年)
『春来る鬼』(1989年)
『cfガール』(1989年)
『千利休 本覺坊遺文』(1989年)ヴェネツィア映画祭銀獅子賞
『ストロベリーロード』(1991年)
『兜 KABUTO』(1991年、アメリカ映画)
『深い河』(1995年/※ビデオ化)モントリオール世界映画祭エキュメニカル賞
『シャドー・オブ・ウルフ』(1996年、フランス・カナダ合作映画)
『ピクチャーブライド』(1996年日本公開、アメリカ映画)

テレビドラマ
『五人の野武士』船山次郎義景役(1968年 - 1969年、日本テレビ / 三船プロ)
『大忠臣蔵』大石良雄役(1971年、NET)
『荒野の素浪人』峠九十郎役(1972年、NET / 三船プロ)
『荒野の用心棒』(1973年、NET / 三船プロ)
『剣と風と子守唄』砦十三郎役(1975年、日本テレビ / 三船プロ)
『人魚亭異聞 無法街の素浪人』ミスターの旦那役(1976年、NET / 三船プロ)
『隠し目付参上』(1976年、毎日放送)
『江戸特捜指令』(1976年、毎日放送)第1話ゲスト
『大江戸捜査網』 第301話「壮烈! 首領、暁に死す」大滝幽玄役(1977年、東京12チャンネル)
『江戸の鷹 御用部屋犯科帖』内山勘兵衛役(1978年、テレビ朝日)
『駆け込みビル7号室』三枝剛介役(1979年、フジテレビ / 三船プロ)
『赤穂浪士』立花左近役(1979年、テレビ朝日、東映)
『江戸の牙』朝比奈軍兵衛役(1979年 - 1980年、テレビ朝日)
『火曜サスペンス劇場「球形の荒野」』(1981年、日本テレビ)「火曜サスペンス劇場」第1作。
『関ヶ原』島清興役(1981年、TBS)
『素浪人罷り通る』素浪人春夏秋冬役(1981年、フジテレビ)
『勇者は語らず いま、日米自動車戦争は』川奈龍三役(1983年、NHK)
『山河燃ゆ』天羽乙七役(1984年、NHK)

ドラマ以外のテレビ番組
スター千一夜(フジテレビ)
新春かくし芸大会(フジテレビ、1979年1月1日)
欽ちゃんのどこまでやるの!?(テレビ朝日、1980年10月29日)
8時だョ!全員集合(TBS、1980年12月27日)
徹子の部屋(テレビ朝日、1981年3月30日)

CM
サッポロビール - 「男は黙ってサッポロビール」がキャッチフレーズ
フランスベッド - 「う~ん、寝てみたい」がキャッチフレーズ
原子力発電安全PR - 「電気はどこにも埋まってない!」がキャッチフレーズ
永禄建設

音楽活動
シングル
「山の男の唄」(1956年5月発売、コロムビアレコード)
作詞:佐藤一郎、作曲:佐藤勝


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