魚と寝る女 (2000)

[562]映像による絵画の極北、天才キム・ギドクが描く水の世界に痺れよ
★★★★★★

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(2010/10/29にUPした記事に画像を追加)


キム・ギドク監督の唯一の未見の作品、
「魚と寝る女」を念願叶ってようやく観ることができた。

予想通り、ギドク作品の中では1、2を争うほどの
すばらしい作品だった。

予想といっても、たんに邦題から、
そうなのではないか、と勝手に予想していただけなのだが…(笑)。

観終えたあと作品を検索にかけてあちこち覗いてみた。
けっこうたくさんの記事があって熱く語られていた。
ギドク・ファンを自認するわたしとしてはもうそれだけで嬉しくなった。

ありがとうございます! という気分だ…(笑)。

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物語の紹介としては「輝国山人」さんがいちばんかなと、
例によって下に引用させていただいた。
わたしはとくに書かないのでぜひ読んでほしい…。

ただしラストを破局ととるか、
至上の愉楽ととるかは意見の別れそうなところだ。
わたしは愉楽ととるのだが…。
いや、そうとりたい…?(笑)

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作品の原題は、「島」。
舞台は写真のように、
湖にあるとも入り江にあるともとれる管理釣り場。
日本で言えばイカダ釣り場…。

わたしは釣り人でもあるので、
それだけでもう舞い上がるほど嬉しくなって、
自分もこの舟に乗ってるような気分で観ていたよ。

ましてからだが壊れて以来、あまり釣りに行っていないしね…(笑)。

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なんといっても素晴らしいのは映像…。
ギドクの4作目なのだが、映像的には文句なしに全作品中NO.1。

「春夏秋冬そして春」も素晴らしいが、
この作品には「春夏秋冬…」にはない<揺れ>がある。
絵が揺れている…。
そこがとてつもなく魅力的なのだ。

VHSで観たので、
その絵(映像)をお見せできないのがなんとも悔しい。
ほんとは違法なのだが…(笑)。

追伸)写真をすこし追加できました。

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左が、この釣り場を管理しているヒジン、
右が、恋人を殺してこの釣り場へ逃亡してきた元警官のヒョンシク。

この二人の愛は、輝国山人さんのように、
ごく単純に「猟奇的な愛」と呼ぶのがいちばんいいと思う。
阿部定の愛がよく猟奇的と呼ばれているように…。

そのほうが凡人のわたしらにはとても理解しやすいからだ(笑)。

男は釣り針を飲み込んで自殺しようとする。
女はその釣り針をペンチで外し、
そのあとやおら男のからだに乗り腰を振る。

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俗に言う騎乗位で男と寝るのだが、
あれはどう見たって女が「魚と寝る」光景で、
猟奇的なセックスだ、猟奇的な愛だ、というしかない…(笑)。

男は、
女の猟奇的な愛の世界に引きずりこまれそうになる。
恐くなってボートに乗り、逃げ出す。

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と、女は、
そのボートにある釣竿と繋がっている釣り針を股間に入れ、
その釣り糸が張った瞬間、悲鳴をあげる。
男が驚いてイカダ舟に引き返すと、
女の下半身が血に染まっている。

あのシーンは、
女が男を釣り人に仕立て、
自分は男に釣られるサカナになったという喩だろうが、
そうした愛の表現は猟奇的というしかないでしょ?
正常を誇る(嘆く?)わたしたちの側からすると…(笑)。

あ、そう言えば、
偶然なのか、神のイタズラなのか、
この作品が韓国で上映されたとき、
大島渚の「愛のコリーダ」も韓国内で上映中だったという。

というと、そのとき韓国では、
日本vs韓国の「猟奇愛」較べが展開されていたわけだ…?(笑)

ところで、
このあとのシーンがまたほんとうに素晴らしい。
男は女の愛情をすべて受け入れるかのように、
背後から女の髪を束ね、結んでやる。

女は男のからだに身を委ねているのだが、
二人の、その、互いの愛に包まれたなんとも言えない
穏やかな表情…。

これほどに互いが愛に満ち足りた映画シーンもめずらしい。
そのあと舟の床に二人して横たわるシーンも含めて、
奇跡的にすら思える…。

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女が、
釣り場へ逃げてきた男に感じたものは「死」への傾斜である。
自分の心も死へと傾斜しているので直感できたのだ。

女は一方で娼婦でもある。
釣り客に呼ばれると舟へ行き身を任せる。
そうするのは女が、自分にはもう
なにもない、死んでもいい、と思っているからだ。
そう言ってよければ、女はすでに「死に体」なのである…。

でも、この男は死なせたくない。
ほかの女にも触らせたくない。
そう思い、釣り針を飲み込むとペンチで外し、抱いた。
自分のからだ(性)を与えることで男の命を蘇生させようとした。

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という意味では、
この物語は死へと傾いた女と男の「再生」の物語なのだが、
これも困ったことに、人間として再生していくのではない。

人間をやめて、
お魚として再生していくという物語なのだ…。

じつを言うと、女はもともと人間ではなく、お魚なのである。
そのさらにもとを辿れば人間だったのだろうが、
死んで、すでにお魚として再生されたお魚なのである(笑)。
そのお魚がこうやって人間に化身している。
それがこの女…。

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この女はなにかあるとすぐ水に潜る。
そしていやな釣り人を水の中に引きずりこむ。
雨が降っても傘をささない。
全身ずぶ濡れになるのが当然であるかのように濡れる。
イカダに腰掛け、さも気持ちよさげに足を水に浸す…。

それがなによりの証拠である、
この女がお魚であることの…。

なので、男が引き返して女の愛を受け入れるというのは、
女がお魚であることにようやく気づいた、
自分も女と同じようにお魚になって、
この女と…、このお魚さんと愛しあって生きることを選んだ
ということを意味する。

そもそも死ぬとは、仏教的に言えば、
人生を円環して母親の胎内に…、子宮に戻ることである。

胎内で、人間である以前の段階へ…、
エラ呼吸をしていたお魚の段階へと戻る。
ひとの前世であるお魚へと退行する…。

それが仏教的な死生観であり、
またキドクが初期に描いてきた「水」の物語世界である。

実際、この作品のラストもそう描かれている。

女は、男に惚れた若い娼婦を水の底に引きずりこむ。
その若い娼婦の遺体が上がりそうになる。

と、女はボートのエンジンをイカダ舟に付け替え、
男と一緒にゆっくりと湖水をわたり、
一面の海原へと出る…。

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そこではじめて空が映像に現われる。
ということは、いままでの世界は
空のない、閉じられた世界だったということである。

直截に言えば、女の子宮の世界。
湖水は、羊水…。

事実、次のシーンでは、
女が全身裸体でボートに横たわり、
女の股間の茂みが緑の「島」になっている。

そしてその茂みの中へ…、
島の中へと、男が入っていくところで映画は終わる。
もちろん男が島の奥へと入っていくのは…、
入っていけるのは、男がお魚だからなのである。

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このラスト、すこし注意をしておきたいのは、
女が、いつも使ってるボートに横たわっていることである。
イカダ舟に乗って海原へ出たはずなのに、
そこは女のいつものボートの上…。

このことからもじつはあの船出は、
男の死を…、お魚への変身(再生)を意味していたことがわかる…。

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といっても、こうした解釈はじつはつまらない。
わたしの解釈に間違いないとは思うのだが(笑)、
ギドク作品の素晴らしさは、
喩でありながら解釈を拒否しているところにあるからだ。

喩でありながら、喩を超えているのである。

そういう意味ではなにも解釈しないで、
ただそのまま映像の通りに観ていくのがいちばん
正しいのだとおもう…。

この女の愛情の表現はいびつである。
病的であり、猟奇的である。
でも、こういうふうにしか愛を表現できないひともいる。
確実にいる。

キム・ギドクそのひとである…(笑)。

そしてこうしたいびつな、猟奇的な愛のほうが、
じつは人間の愛の、心の、
いちばん奥深いところへ届くこともあるのだ。

そのことがわかればそれでいいのかな、と思う…。

ギドクはなぜか5年間もの間、海兵隊にいたのだが、
その間、かれはこの作品のような世界にいたのではないか、
その世界を表したくてこの作品を創ったのではないか。

観終えて、ふと、そんな気がした…。

最後にもうひとつ。
男はペンチで針金を細工し、工芸品をつくる。
ブランコだとか自転車だとか…。

ギドク本人が作ってるのではないかとおもうが、
あれ、わたし、めちゃくちゃ欲しい…!(笑)

あれを見ていると、ギドクはお魚どころか、
ああした針金細工品にまで…、オブジェにまで
自分を退行させてしまいたいのではないかと思ってしまう。

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ほんとうにすごいひとだ…。

タケイさん、ビデオを貸してくれてほんとにありがとう。
あなたはわたしの女神様です…。(笑)

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(註)ミレーの描いている「オフィーリア」。

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■90分 韓国 ドラマ
監督: キム・ギドク
総指揮: ソク・ドンジュン
脚本: キム・ギドク
撮影: ファン・ソシク
出演
ソ・ジョン ヒジン
キム・ユソク ヒョンシク
パク・ソンヒ ウナ
チョ・ジェヒョン マンチ

<島>という名の閑静でひっそりしている釣り場を背景に,一人の女と一人の男の猟奇的な愛の物語を通し,人間の性心理を描いたキム・キドク監督の4番目の作品。
世の中から隔離された釣り場<島>の女主人ヒジンは,釣師たちに飲食物を売り,時には身体を売って暮らしている。
ある日,他の男と愛に陥った恋人を殺害した元警官ヒョンシクが,自殺する場所を探して釣り場にやってくる。ヒジンは,そんなヒョンシクに妙な同質感を感じる。ヒョンシクは,苦悩のはてに拳銃で自殺を試みるが,彼が手配中という事実を偶然知ったヒジンは,潜水して釣り台の下からヒョンシクの腿をキリで突いて自殺をとめる。
この事件を契機に,二人の間には,妙な感情が生じ始める。釣り場に検問に来た警察が押し入って, たまたま釣り場に隠れていた手配犯人が逃走したが,警察の銃に打たれて重傷を負う。その光景を目撃したヒョンシクの不安感は極に達し,状況に耐えられないヒョンシクは,釣り針を口に入れて自殺を試みる。ヒジンは,ヒョンシクを警察の目から隠し,深刻な苦痛に苦しむヒョンシクをセックスで治癒する。ヒジンのセックスは,ヒョンシクにとって精神的不安と肉体的苦痛を忘れさせてくれる麻薬になる。
その日以後,急速に近づいた二人は,平和な一つの時を送るけれど,ヒョンシクは,ヒジンの執着的な愛と空間的な孤立感に耐えられなくなって釣り場から抜け出そうとする。しかし,ヒョンシクは,ヒジンから抜け出せない現実を悟る。彼らは,お互いのおとりになった魚のような存在になって,予期できない破局に向かう。

●tenchanさん
そうですか、「悪い男」が一番お好き…!(笑)
危ないなあ、tenchanさん…(笑)。
この作品は「悪い男」の逆バージョンとも言えるので、
たぶんtenchanさんにもお気に入りいただけるのではないかと…(笑)。
ただ私もずっと探してたんですけど、
どこのレンタル屋さんになかったんですよね。
DVDも出てるはずなんですが…。
見つからない場合は「メッセージを送る」でお知らせください。
(住所、お名前を…)山崎郵便局からすぐにお送りいたします。
いつもお世話になっておりますのでどうぞご遠慮なく…。

●てっせんさん
はい、ようやっと観ることができました。
長い道のりでした(笑)。
処女作「鰐」を観たときから、もっと水へ遡行した作品があるはずだ、
たぶん「魚と寝る女」がそうなはずだ、と思っていたので、
私としてはものすごく入りやすい映画だったと言いますか…(笑)。
小道具の釣り針も「ああ、わかるわかる」という感じでしたねえ(笑)。
長いこと釣りをやっていて魚と戯れてるものだから、
生理的にわかるというんでしょうか。
女がペンチで男が飲み込んだ釣り針を外すシーンがありますが、
まったくあんな感じなんですよねえ、魚相手でも…。
しかも始末に負えないことに、この魚が人間だったら、
女だったらとごく自然に妄想してしまうこともあるものですから…(笑)。
「砂の女」、私はまったくだめでしたねえ。
理由は生理が欠けてること、濡れてないこと、
てっせんさんがご指摘のように、うるさいこと等です。
砂は音を吸い込むので静謐でないとうそだと思います。
おい、どこか砂なんだよというか…(笑)。
もともと安部公房を受けつけない体質だということもあるのですが…。
折口の「水の女」はたしか、
天子の禊ぎを行う水の神=巫女ということだったと思いますが…。
で、禊ぎを行う際、天子のヒモを解いたとも言われてますから、
女が男のベルトを解いて上に跨るシーンなどは、
まさに「水の女」を彷彿させると言うか…(笑)。
ただ一方で、この女、水を司る「蛇体」を連想させるところも
たくさんありますよねえ(笑)。
私の解釈は、「鰐」のときに書いたように、
ひとえに三木成夫に負ってるんですけど、
そうすると、この女、正確にはまだお魚に戻れない、
両生類の段階なのかなあとも…(笑)。
ミレーの「オフィーリア」は指摘されてはじめて気づきました。
ギドクは美術通なのでおおいに考えられますよね。
見たことのないひとのために、探してきて上に載せておきました(笑)。
中上の「水の女」に通底するイメージもたしかにありますよね。
でも、この女、中上の描く水の女よりも、
もちょっとちゃんとした世界観を持っているような気も…(笑)。

●てっせんさん
この男女は禊ごっこをしていた…(笑)。ほんとそうですね。
だいたい男は恋人を殺して、なぜ水辺に逃亡してくるのか?
普通、逃げるなら山だろ、山! と思うんですけど、
なのにわざわざ水辺へと逃げてきたのは
どうも禊をするためとしか考えられないですよね…?(笑)
折口は、水の女から分かれて産湯をする女が登場したみたいなことを
言ってたような記憶がありますが、私の記憶違いかもです。
気になるのは、江戸初期に公娼制度ができるのですが、
娼婦の小屋は川べり(河原)と相場が決まっていますよね。
あれは何なんでしょう? 穢れたものだからでしょうが、
私はどうも、娼婦は、水の女たちの末裔だからじゃないか、
という気がしてしょうがないんです…(笑)。
巫女としての役割が終わって、天子様の、
あるいは男たちのお相手するだけの身になってしまったと言うか…。
この女も水の管理をしながら売春をしてますけど、
もしかしたら「水の女」の末裔なのかもしれませんね(笑)。
白土三平にそういう漫画があるんですか。面白いですねえ。
けっこう若いときに読んだんですが、そのマンガ読んでないですね。
しかし脇の下にエラというのがちょっと笑えます(笑)。
白土三平は大島渚監督と違って、じつはすごく女性的なひとかな、
と勝手に思っています。女性的なので、そういうマンガを、
海女さんみたいなお話を書いてしまう…(笑)。
「カムイ伝」なんかもアニミズム的な傾向強いですもんね…。
ちなみに私の師である唐十郎も海女です。女です(笑)。
もう水が大好きで、海へ行くと一日中潜っています…(笑)。
中上だって怪しいと思っています。
男臭いように見えてじつは女なんじゃないかと私は疑ってます。
あ、脱線ばかりで申し訳ないんですが、
唐さんの子の次男坊、「サスケ」と言って、白土三平のマンガから
とっているんです(笑)。
語呂あわせで私の息子は「タスケ」にしたのですが…(笑)。

●tenchanさん
おめでとうございます。
キム・ギドクの世界が溢れていて私もゾクゾクします。
講義でも学生に見せまくっているんですよ(笑)。
女が釣り針を股間にひっかけて悲鳴をあげる。
男がボートを返し、女を釣り上げ、釣り針を抜く。
あそこでたぶんお魚さんに…(笑)。
鯉の削がれた半身は女、半身は男、じゃないかと思って
私は見ていたんですが…。
しかしギドク、ほんと変なことばっかり考えてますよねえ。
というか、普段からすべてがこんなふうに見えてるような…(笑)。

ありがとうございました。

  
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この記事へのコメント

tenchan
2010年10月02日 22:17
キム・ギドク作品 最近「鰐」を知人からDVDを貰って観たので 唯一観てないのがこの「魚と寝る女」です
「悪い男」が一番好きなんですがこれに「鰐」が加わりました
この監督の女性に対する感情のゆがみが感じられて この人自身に興味が湧きます
明日にでも TUTA○○さんに行って探してみます
てっせん
2010年10月03日 23:49
今晩は。
いやあ、とうとうご覧になったんですね・・・。
十年ほど前にたまたま映画館で観たっきりなのですが、以来、キム・ギドクこそ、韓国で他の誰よりも気になる映画監督になりました。
この映画、何の予備知識もなく観た、というか体験させられた者にとっては、じつに刺激的かつ強烈で、いろんなことを考えさせられましたねえ。

例えばまず、あの釣り針・・・。小道具として、あんなに奇想天外かつ猟奇的な使われ方をした釣り針を映画で観たのは、初めてだなあとか・・・(笑)。
また、似て非なる?タイトルに安部公房原作勅使河原宏監督の「砂の女」があったけど、あっちは登場人物たちがよく喋り、この映画の緊張を孕んだ静謐さに較べると意外に騒々しい映画だったかなとか・・・。
さらに、そういえば中上健次に「水の女」という短編集があったなあ・・・そもそもこの「水の女」という言葉は折口信夫の文章にあったらしいが・・・う~ん、気になる・・・
それにラストで水に仰向けに流れてゆく女の映像、あれはミレイの「オフィーリア」が下敷きになってるんだろうけど・・・?

などなど、当時、いろんな宿題を負わされたような気がしたものです・・・(笑)

で、この映画を観て鮮烈に思い出したのは、じつは白土三平のある忍者漫画なんですが・・・(笑)。
それについてはまた、明日にでも・・・
失礼しました。
てっせん
2010年10月04日 23:32
折口の「水の女」についてのご教示ありがとうございました。禊を行う水の神、すなわち巫女のことなんですねえ・・・しかも、ヒモを解いてあげるなんて・・・(笑)。禊って、新生児の産湯を連想しますが、やはり、生誕とか再生とかの象徴的行為なんでしょうね・・・。この映画の男女、あるいは禊ごっこをしていたのかなあ・・・(笑)。

で、白土三平の忍者漫画なんですが、小学生の頃に読んだと思いますが、抜け忍の話なんですね。
伊賀だったか甲賀だったか、下忍が逃亡して、追っ手にどこまでも追われるわけなんです。この下忍、陸上での戦闘力はたいしたことがないんですが、水の中では無類の強さを発揮するんですね。あわやという目にあう度に川や池などに飛び込んで水中戦に持ち込み、危地を脱するんです。そうやって追われ追われ、山奥深く分け入っていくうちに、とある大滝に出るんです。そこには深い滝壺もあり、岩魚も群れている。下忍はここで暮らし始め、来る日も来る日も滝壺に飛び込み、岩魚を獲るんです。そうやって何年か過ぎていくうちに、その下忍の両脇に孔が開いてエラ呼吸ができるようになるんですね。つまり、魚になったという・・・(笑)。
この短編の結末は忘れてしまいましたが、この下忍が、時空を超えて隣国の湖に女として現れたと考えるてみるのも一興かと・・・(笑)。
失礼しました。
tenchan
2010年10月18日 17:41
こんにちわ
山崎さん ついに「魚と寝る女」を観ることができました
湖面に漂う朝靄 薄汚い小屋 ぬるっとして眠くなるような感じ まさにギドクの世界ですね
ゾクゾクしました
今まで言葉を発しなかった男が 釣った魚を切り刻ざみ 言葉を発して逃げ出した時はまだ人間で また女の元に戻って何もしゃべらなくなった時にサカナになったんですね
私も破局じゃなく いびつだけれども究極の愛の形だと思いました
釣り人が放した身を削がれた鯉は 女を表しているんでしょうか?
とても面白かったです
それにしても 釣り針痛そうでした(笑)
ありがとうございました

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