元禄忠臣蔵 3 (1941・42) 松竹

[742]男の武士道より女の恋の一念のほうがはるかに人間的なのだ!
★★★★★★

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伝右衛門は廊下を通る内蔵助に声をかけ、
お願いしたいことがございますと部屋へ招き入れた。
部屋にはひとり若侍がいた。

内蔵助が聞くと、伝右衛門は言った。

この倅は、私の竹馬の友の倅です。
この倅をきょう一日皆様のそばにおいていただけないでしょうか。
友人はいま浪人をしていますが、
皆様のそばにおいて、侍の道、武士の道をすこしでも
学ばせたいのです、と。

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内蔵助は断り、席を立った。
すこし戯れがすぎましょう、と。

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伝右衛門は謝った。
お察しの通り、女子(おなご)です、
しかしこれにはよんどころのない事情がありまして、と。

内蔵助は、女の小指に
三味線をひく痕があるのに気づいたのだ。

内蔵助が、
浪士たちの中にだれか会いたい者がいるのではないかと聞くと、
女は、「はい、磯貝十郎左衛門に」とその名を言った。

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伝右衛門は事情を語った。

昨年の7月ころ、
十郎左衛門はこの「おみの」の家へ婿入りしたいと申し出た。
おみのの父親は、
立派な侍になりたいという十郎左衛門を気に入っていたので
喜んだ。
鎧などを売った金で両国の屋形船を貸し切り、祝った。

が、十郎左衛門は、12月の祝言の日、現れなかった。
家を訪ねさせるともぬけの殻て゜、行方も知れなくなった。

父親は裏切られた思いでいたが、
赤穂の浪士たちが吉良屋敷へ討ち入ったという瓦版に
十郎左衛門の名をみつけると、
祝言に現れなかった事情を察し、
十郎左衛門はまちがいなく当家の婿だと泣いては叫び、
叫んでは泣いた…、と。

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おみのが続けた。
その父の姿を見るに忍びず、
ひと目だけでも十郎左衛門さまにお会いしたいと
こうやって男姿に身をやつして参りました…、と。

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内蔵助は言う。
こんどの事(討ち入り)で、
憎しみの心が懐かしさに変わったとすれば、
それはたんに浮気心というものだ。
十郎左衛門はそなたたちに後足で砂をかけたのだから、
一生憎みつづけたほうがよい、と。

おみのは返した。
あまりにも女心を知らないお言葉。
わたしはただ十郎左衛門さまのご本心が知りたいのです、
わたしをただ計略のためにだけ使われたのか、
それともほんとうにお慕いいただいていたのかどうか…、と。

内蔵助も返す。
十郎左衛門も覚悟はしているだろうが、なにぶんにもまだ若い。
そなたに会って心を乱すかも知れない。
最後の大事の場合、不覚をとるかもしれない。
会わずに、一生、十郎左衛門を憎みつづけてくれないか、と。

おみのは下がらず返す。
それでは、なによりも武士道が大事で、
わたしには一生疑いの中で過ごせとおっしゃるのですか、と。

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それでも内蔵助は言った。
そなたのため、十郎左衛門のためだ、
願いは聞き入れられない、と…。

このシーンを見るたびに
私が思い出すのは、近松の「出世景清」だ。

平家滅亡後、
景清は頼朝の命を狙うが、
妻の小野姫が河原で拷問を受けている様子を見て
自分から名乗り出る。

入牢したその景清へ、
遊女・阿古屋が子二人を連れて会いに行く。
子二人は景清の子である。

阿古屋は以前、
小野姫に嫉妬して景清を役人へ売ったことがあった。
そのとき景清は運よく逃げ切ったのだが、
阿古屋はそのことを詫びに行ったのである。
が、阿古屋がどう詫びようと景清は許さなかった。
なによりも武士道を大事にしていたからである。

遊女・阿古屋はたまらず、
夫・景清の目の前で二人の子を殺し、自分も果てる。
「殺す母は殺さいで助くる父御に殺さるるぞ」と恨みながら…。

一言でいえば、
阿古屋は景清に、そんなに武士道が大事なのか、
女や母親や子供の命より大事なのか、
この子たちは私が殺すのではない、
あなたの武士道とやらが殺すのだ、と言って自害するのだ。

牢を出たあと景清は、悔いて目を自ら潰す…。

もののふ(武士道)が大事で、
夫を想う女の心は卑小だとおっしゃるのですか、という
おみのと内蔵助のやりとりは、
阿古屋と景清のそのシーンを彷彿させるのだ。

断った直後、内蔵助は
伝右衛門にいま城から達しがあったことを告げられる。
切腹の時刻です、というわけだ。

と、内蔵助は意を翻し、十郎左衛門を呼んだ。

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十郎左衛門はおみのを見ると、
うろたえ、こんな女は知らないと言う。

と、内蔵助は、
おまえが懐に隠し持っている琴の爪は誰のものだ、
ここに出してみせろ、と言う。

十郎左衛門の本心を知ったおみのは、
それ以上はご無用に願いますと内蔵助を止める。

十郎左衛門はおみのに言う。
父上に十郎左衛門は婿に相違ないと伝えてください、と。

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内蔵助は、死装束の支度を終え、中庭に向かう。
と、先の部屋からおみのの声が聞こえた。

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伝右衛門と内蔵助が覗くと、
腹に刃を立てたおみのがいた。

おみのは内蔵助に言った、
お約束通り、いつわりをまことに返しました、と。

おみのは十郎左衛門に会えたら、
いつりをまことに返すと内蔵助に約束していた。
「いつわり」とは、
女子なのに男に化けて屋敷に入ったことを指しているので、
こうやって自分をまことに…、女に返したということである。

おみのは「まこと」の姿に…、十郎左衛門の妻に戻った。
そうして夫が最後の大事な時にうろたえぬよう、
心がおみのに残らぬよう、先に逝ったのである。

おみの姿を見た十郎左衛門も言う、
そなたの後を追う、と…。




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おみのは息絶えたが、その耳には、
「磯貝十郎左衛門殿、ご自害なされた」という役人の声が
たしかに聞こえた…。

このシーンの役人の声は、静寂の中でひときわ美しい。

そして美しく感じるのは、
観る私たちが死者の世界の側に立って聞いているからだ、
溝口の演出に仕掛けられて…。

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ところで…、
おみのは「女の心よりもののふの身が大事なのか」
と内蔵助を問いつめた。

が、十郎左衛門の心を知ると、
妻に戻り、夫が武士らしく死ねるようにと先に自害した。
おみのもまた、最後は武士の妻らしく、
夫の「武士道」を優位にたてたということなのか。

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おみのの言葉も一見そう聞こえるが、
ほんとうはそうではない。
彼女の言葉は当時の「情報局」を欺くための偽装でしかない(笑)。

おみのが自害したのは、
夫の十郎左衛門に武士らしく割腹してほしかったからではなく、
死んで、あの世で十郎左衛門と一緒になりたかったからである。

これは女の一念を通した一種の心中なのである。
先に死んだが、十郎左衛門への後追い心中なのだ。

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どうしてそう思うのか。
単純だ。
武士らしく死にたい、武士らしく死んでほしい、
という若い武士とその妻の話だったら、
なにも溝口がこうもグダグダと、後半の45分を使って
撮る必要などないからだ(笑)。

そんな話だったら、それこそ
吉良邸への討ち入りを描いたほうがよほどいいに決まっている。
そうしてくれたほうが
情報局も、松竹の上層部も喜ぶに決まっている。

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だが溝口はそうしなかった。
吉良邸討ち入りのシーンを撮らず、
「もののふの身がそんなに大事か」と問う、
このおみののシーンを撮った。

浪士たちの討ち入りより、
女の「おみの」の心のほうが大事だと思ったからである。

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そのことは、このシーンが、
後半冒頭の「綱豊と富森助右衛門のシーン」と
対になっていることからもわかる。

綱豊は、
武士道の一念に貫かれた人物として描かれている。
それに対しておみのは、武士道とは相容れない
「女の一念」を貫く人物として描かれているのだ。

そして溝口が軍配をあげたのは、おみののほうだった。
おみのに軍配をあげるために、
吉良邸討ち入りのシーンをあえて撮らなかったのである。
チャンバラ(武士道)なんか可笑しくて撮ってられるか、と…(笑)。

近松は、「出世景清」の阿古屋を勝利者として描いた。
たとえ無残に見えようとも、
阿古屋の嫉妬や、怒りや、憎しみが
たとえどんなに「卑小なもの」であろうと、

その卑小なものを真摯に生きることの中にこそ、
人間のまことがあり、美しさがあると信じたからである。

近松はもともと下級武士なのだが、
「武士道」を生きるより、
卑小なものを真摯に生きるほうが人間らしいと
感じていたのだろう。

情報局は「もののふ」たちの忠臣蔵を期待したのに、
溝口は、いかにも溝口らしく、
女たちの忠臣蔵を描いたのである。
戦争への「ささやかな抵抗」を示すために…。

最後になったが、
おみのを演じているのは、
私の母であり姉である高峰三枝子である(笑)。
このとき24歳…、ほんとうにきれいです。


●「ルミちゃん」さん
せっかくコメントをいただいたのに、
私にはおっしゃっていることがよくわからないのですが…。
この映画は、
「武士=軍人が、他人の家=中国に押し入って戦争を行い
国を滅ぼした話」で、
溝口はそれを描きたかった、ということなんでしょうか?
う~ん、よくわかりません。申し訳ないです。

ありがとうございました。


■前編112分 後編112分 日本 時代劇
総監督:白井信太郎
監督:溝口健二
脚色:原健一郎、依田義賢
撮影:杉山公平
音楽監督:深井史郎
美術監督:水谷浩
建築監督:新藤兼人
演奏:新交響楽団(現・NHK交響楽団)
指揮:山田和男
武家建築考証:大熊喜邦
言語風俗考証:潁原退蔵
民家建築考証:藤田元春
時代一般考証:江馬務
能考証:初世金剛巌
史実考証:内海定治郎
風俗考証:甲斐庄楠音
造園考証:小川治兵衛

キャスト
「赤穂藩関係者」
大石内蔵助:四代目河原崎長十郎
富森助右衛門:三代目中村翫右衛門
磯貝十郎左衛門:五代目河原崎國太郎
浅野内匠頭:五代目嵐芳三郎
瑤泉院:三浦光子
大石りく:山岸しづ江
大石吉千代:四代目中村梅之助
大石くう:三井康子
原惣右衛門:坂東調右衛門
吉田忠左衛門:助高屋助蔵
大高源吾:六代目瀬川菊之丞
堀部弥兵衛:市川笑太郎
武林唯七:市川莚司(加東大介)
片岡源五右衛門:市川菊之助
大石瀬左衛門:河野秋武(山崎進蔵)
大石主税:市川扇升
瀬尾孫左衛門:市川章次
早水藤左衛門:市川岩五郎
潮田又之丞:市川進三郎
井関紋左衛門:坂東春之助
生瀬十左衛門:中村公三郎
大塚藤兵衛:坂東みのる
岸佐左衛門:坂東銀次郎
奥野将監:六代目嵐徳三郎
大野九郎兵衛:筒井徳二郎
小野寺十内:加藤清一
岡島八十右衛門:川浪良太郎
堀部安兵衛:海江田譲二
萱野三平:大内弘
近松勘六:大川六郎
奥田孫太夫:大河内龍
赤埴源蔵:橘小三郎
井関徳兵衛:羅門光三郎
落合与左衛門:風間宗六
間喜兵衛:和田宗右衛門
矢田五郎右衛門:竹内容一
間瀬九太夫:梅田菊蔵
間十次郎:中村時三郎
老女・うめ:岡田和子
潮田の妻・お遊:京町みち代
戸田局:梅村蓉子

「その他」
吉良上野介:三桝万豊
多門伝八郎:小杉勇
加藤越中守:清水将夫
進藤筑後守:坪井哲
梶川与惣兵衛:山路義人
深見宗左衛門:玉島愛造
近藤平八郎:南光明
久留十左衛門:井上晴夫
大久保権右衛門:大友富右衛門
田村右京大夫:賀川清
稲垣対馬守:久米譲
徳川綱豊:市川右太衛門
お喜世:山路ふみ子
中臈お古牟:大原英子
細川越中守:河津清三郎
細川内記:生島喜五郎
堀内伝右衛門:4代目中村鶴蔵
久永内記:松永博(後の綾小路絃三郎)
荒木十左衛門:浅田健三
新井白石:島田敬一
祐筆江島:山本貞子
関久和:沢村千代太郎
津久井九太夫:中村進五郎
登川得也:嵐敏夫
石井良伯:市川勝一郎
浮橋太夫:滝見すが子
村井源兵衛:中村進五郎
林兵助:市川章次
諸井左太夫:征木欣之助
渋川五太夫:荒木忍
うめ:岡田和子
おみの:高峰三枝子

  

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この記事へのコメント

ルミちゃん
2013年01月09日 14:41
「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」
『戦陣訓』(せんじんくん)は、1941年1月8日に当時の陸軍大臣・東條英機が示達した訓令(陸訓一号)で、軍人としてとるべき行動規範を示した文書.Wikipedia より
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この映画、大石内蔵助がまともに描かれるのは、二つだけと言ってよいと思います.他は支離滅裂です.
この映画、討ち入りの場面は全く描かれません.討ち入りが終わった後の泉岳寺の場面から描かれるのですが、その場面で大石内蔵助は、切腹するのではなく、公儀の裁きを受けるために投降する、つまりは捕虜になることを皆に伝えます.このシーンはしっかり描かれています.
今一つは、『赤穂の民あっての浅野家であり、浅野家あっての赤穂の民ではない』こう言って、藩のお金を民を優先して両替する場面.
それ以外は、自分勝手で支離滅裂、つまりは、武士=軍人の考え方は、自分勝手で支離滅裂.
『武士が顔面を切りつけられて、それでも刀を抜かないのは臆病者だ.武士とは言えないから、殺してもかまわない』と言うのが、描かれ大石内蔵助を初めとする赤穂浪士の考え方です.
『聖賢の教えに従えば国を守るべきであるが、我らは唐人ではない.日本人で武士であるから、武士の考え方が優先されるべきである』このような考え方によって、彼らは他人の家に押し入り、殺人を犯し、結果として国を滅ぼしました.溝口健二の描いた元禄忠臣蔵は、このような作品です.
(武士=軍人が、他人の家=中国に押し入って戦争を行い国を滅ぼした話しであり、結果は描かれた通りになりました)

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