無防備都市_2 (1945) ヨーロッパ

[843]この容赦ない物語の描き方はいま観ても身震いがする
★★★★★★

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窮地を脱したマンフレディは仲間を引き連れ、護送車を襲撃、
フランチェスコら同志を救出する。

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そして同志を頼ってレストランへ行くと、
そこで女優マリナに遭遇する。

逃走中のマンフレディはここへやってくるに違いない、
と踏み、彼女はこのレストランで待っていた
と言ったほうがわかりやすいかもしれない。

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ピエトロ神父はピナの葬儀をすませる。

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マリナは今夜の宿を提供すると言って、
マンフレディとフランチェスコを自分のアパートへ連れて行く。
そして二人が明日、ピエトロ神父を訪ねることを盗み聞きすると、
二人を電話でゲシュタポに売る。

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翌日、マンフレディとフランチェスコは教会に神父を訪ねる。
神父は、マンフレディとフランチェスコ、脱走兵の三人を
別の修道院へ匿うために一緒に教会を出る。

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フランチェスコは外で
遺されたピナの息子マルチェロに別れを告げている。
必ず迎えに来るから、と。

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神父とマンフレディ、脱走兵の三人は、
教会を出るとすぐに急行したドイツ兵に銃をつきつけられ、
連行される。
フランチェスコはすこし遅れたために危うく難を免れる。

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神父、マンフレディらは一室に閉じ込められる。

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別室でイングリッドがマリナに報酬として毛皮を与えている。

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ナチのベルグマン少佐がマンフレディに尋問を始める。
が、マンフレディは一切口を割らない。
少佐はマンフレディを隣室の拷問部屋へ送る。

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少佐はすぐにピエトロ神父を呼び入れ、
マンフレディを説得しろと言う。
神父は応じない。

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と、拷問部屋のドアを開け、
神父の目の前でマンフレディへの拷問を始めさせる。

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神父の目の前でガスバーナーを使った拷問が始まる。

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少佐は奥の部屋へ入る。
そこではイングリッドとマリナが麻薬に酔いしれている。
二人は同棲愛の関係にあることがわかる。

テーブルでは将校たちがカードに興じ、
また別の将校はピアノを弾いて楽しんでいる。

戦後、ナチ将校たちの饗宴と頽廃を描く映画が数多く現れたが、
それらはこのシーンを原像にしているはずだ。

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酒を飲んでいた将校がベルグマン少佐に言う。

おれも君のようにドイツが支配民族だと信じ、
ヨーロッパ中で多くの人間を殺してきたが、
おれたちはいずれ憎悪に的になる。
憎悪に囲まれて希望はない。
おれたちは憎悪の中で死ぬんだ、と。

ベルグマン少佐は「やめろ」とはげしく怒鳴りつける。

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マンフレディへの拷問が続く。
気を失うと、注射で覚醒させ、さらに拷問を加えるのである。

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そしてマンフレディは拷問の末、
神父の目の前で息絶える。

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マンフレディらをナチに売った女優マリナも、
かれの凄惨な死を目にしたとたん気を失う。

と、イングリッドは報酬として与えた毛皮を彼女から奪い、
ベルグマン少佐とともにその場をあとにする。
気絶するマリナを見て、彼女はもうこれ以上役には立たない
と見たのだろう。

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ひとつだけ付け加えておくと、
ベルグマン少佐も同性愛者かと思わせるほど美しいことだ。
この二人が視覚的に美しく描かれることで、
マンフレディへの拷問が
より凄惨に見えてくる仕掛けになっている。

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翌日、ピエトロ神父は「丘の上」に連れ出され、射殺処刑される。

ちなみに射撃兵たちが神父を射殺したのではない。
かれらは命令されると神父を撃たず、地面に向けて発射。
そのあと将校がなぜ撃たないと怒り、神父を射殺するのである。

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神父が射殺される光景を
神父とサッカーに興じたりしていた子供たちが、
遠くから金網越しに眺めている。

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この神父の丘の上での処刑シーンはある意味不自然である。
椅子に縛りつけて射殺するのも不自然である。
わざわざ外で、しかも
椅子に縛りつけて処刑しなければいけない理由などないからだ。

なのにこうした処刑シーンを作ったとすれば理由はたぶんひとつだろう。
イエスのゴルゴダでの処刑を連想させるためである。
実際、引用した解説文もそう見ているが…。

この映画の脚本を担当したフェデリコ・フェリーニは、
後年、ロベルト・ロッセリーニについて、
自分たちが思いもよらぬことを考えている天才だった
みたいなことを語っていたように記憶しているが、

先にあげたベルグマン少佐とイングリッドの
同性愛者を思わせる視覚的な美しさや、
このラストシーンの作り方なども
フェリーニの想像を超えた発想だったのだろうと思う。

すでに後世を生きている私たちからすると、
それほどと思わないひともいるかもしれないが、
当時のひとたちにとってどれほど衝撃的な映画だったかは、

あのイングリッド・バーグマンがこの映画を観て
ロッセリーニに手紙を書き、
ついには夫と子を捨てロッセリーニに走ったことからも
容易に想像がつく。

私の感想を一言いえば、
これほど容赦ない物語の描き方をするひとを
以後も観たことがないということに尽きる。

ロッセリーニに影響を受けたという深作欣二も
相当に容赦なく描く監督だが、
それでも観ていると私などはまだどこか救いを感じる…。

この映画、イタリアで初公開された時は評判はよくなかったという。
アメリカで評価されたあと
ヨーロッパや本国でも評価されるようになるのだが、

イタリアの人たちからすると、
国の人間の裏切りなども容赦なく描いてあるので、
はじめは気分が悪かったのかもしれない。

それはそれで気持ちもわからなくはない。
なかなか第三者的にはなれないもんだよね、人間…?


■106分 イタリア ドラマ/戦争
監督:ロベルト・ロッセリーニ
原作:セルジオ・アミディ
脚本:セルジオ・アミディ フェデリコ・フェリーニ
撮影:ウバルド・アラータ
音楽:レンツォ・ロッセリーニ
出演
アルド・ファブリッツィ
アンナ・マニャーニ
マルチェロ・パリエーロ
マリア・ミーキ

今みても大変衝撃的な、ロッセリーニによるレジスタンス劇である。
42年のローマ。国民解放会議の指導者マンフレディは名を変え、市井に潜っていたが、めざといナチ高官に恋人の女優マリーナと写った写真から正体を探られ、同志の印刷工フランチェスコの下宿に逃げ込む。
彼は隣室の戦争未亡人ピーナ(マニャーニ)との結婚を控えていた。子連れで再婚するピーナは期待と不安でいっぱいだ。
マンフレディは闘争資金調達に回らねばならなかったが、身動きが取れず、神父ドン・ピエトロ(ファブリッツィ)に連絡係を頼み、金の入金に成功。そして、ピーナたちの結婚式の日、ナチ・ゲシュタポに襲われたマンフレディは逃げるが、フランチェスコらは逮捕され、その護送車を追ったピーナは撃ち殺される。ここまでが第一部。
そして二部--。
護送車はパルチザン同志の襲撃に遭い、フランチェスコは解放され、マンフレディと合流してマリーナのアパートを頼るが、彼女はナチの婦人隊員に金と物資、加えて麻薬で縛られ(同性愛を暗示する場面があるが、マリーナを演じたM・ミーキにそれだけの役柄をこなす力量がなく、この辺が空転して作品を損ねてもいる)、彼らは訣別。神父の手引きで更に隠れ家に逃れる途中、マリーナの裏切りでマンフレディは神父と共にナチに拘束され、神父の目前で酷い拷問にあうが、遂に一切口を割らずに絶命。
“共産シンパ”となじられた神父も、“悪魔と闘うのに信仰は関係ない”と吐き棄て、刑場の露と消えるのである。このラスト、金網越しに少年たちに見守られながらの処刑シーンは現代のゴルゴダの丘を想わせる素晴らしさで、絶望してその場を去る少年たちの肩を落とした姿が忘れられない。原作はS・アミディでフェリーニと共同で脚本も書いている。

 

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この記事へのコメント

bakenoko
2019年11月19日 05:56
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この神父の丘の上での処刑シーンはある意味不自然である。
椅子に縛りつけて射殺するのも不自然である。
わざわざ外で、しかも
椅子に縛りつけて処刑しなければいけない理由などないからだ。
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なぜ、あなたが勝手にこんな風に決めつけなければならないのですか?

神父の銃殺を命じられた兵士は、イタリア人の兵士たちで、彼らは神父を撃つことが出来ませんでした.
「神よ、彼らを許したまえ」、神父はこう言いました.

付き添いに来た牧師に、神父はこう言いました.
「死ぬのは簡単だ.生きるのが難しい」

戦争を始めて殺し合うのは簡単だ.けれども戦争を終わらせて、皆が仲良く暮らすことが難しい.
イタリアではレジスタンスがファシスト政権を打倒したのですが、すぐにドイツに占領されて、イタリア軍はドイツ軍の支配下に置かれました.
そしてイタリア兵はイタリアの人民に、銃を向けてしまったのです.
だから、
「死ぬのは簡単だ.生きるのが難しい」、そして、
「神よ、彼らを許したまえ」
と言う、神父の言葉になるのです.

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