こころ (1955) 日本

[858]自称漱石の弟子なので色々と注文はあるがおすすめの作品だよ
★★★★☆☆

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市川崑がメガホンを撮った漱石の「こころ」を観る。

物語的には、
原作にできるだけ忠実たろうとしているところがあって
漱石を勝手に師と仰いでいる私としてはとても嬉しい。

そしてそこに
多少なりとも新解釈を加えようという努力も垣間見える。
私たちの先達はそういう努力を怠らないので偉いよなあと
これもすごく感心する。

映像も、いかにも映像のひと市川崑らしいところが多々あって
私はすこしも飽きない。

のだが…、のだが…、俳優が俳優が…、人物像が…。

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奥さん…、新珠三千代…、美しくて溜息が出る。
もうそれだけでよし!としたいのだが、
漱石の弟子を勝手に自認している私は、
「違うだろう」…と、どうしても思うのである(笑)。

これはまあ弟子としての悲しい性なんだろうなあ(笑)。

原作の奥さんは、
江戸っ子気質を有した、ケラケラと明るい女なのである。
先生のほうから見ると、
なにがそんなに楽しいのか理解できない女なのである。

そこにはいわゆる女性らしいといわれる
肉の気配などない女なのである。
当時の日本では信じがたいほど知的な女性なのである(笑)。

そう言ってよければ異邦のひと…、西洋人なのである。

そしてそうであるがゆえに先生は惹かれるのである。
自分の出会ったことのないまったく未知の女性として。
新しい女性として…。

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事情は、先生の友人Kにしても同じである。
寺の息子であるかれはただひたすら「道」を求める学生である。
その修行に邪魔なものは一切排する意志のひとである。

が、そんなかれもこの奥さんに出会い、
それまでの意志がガクガクッと崩れてしまうのである。
それこそ大地震に遭遇したかのように、自己瓦解してしまうのだ。
己の意志の弱さに驚き、生きていられなくなり、自死するのだ。

別に友人の先生に裏切られたから死ぬわけじゃないのよ。

しかし新珠三千代さん演じる奥さんは
いかにも日本的な美しい女で、先生やKや私てつにとって
すこしも未知の女性じゃないのだあ~…。

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それでもまあ新珠三千代さんはほんとに美しくて純だから、
観ながら内心超うれしくて赦しているのだが、
森雅之さん演じる「先生」ともなると、そうはゆかんぜ。

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こうやって顔だけ見てると、
お~、原作の「先生」らしいじゃん、いい顔してるじゃん!
と思うのだが、芝居がまあ臭くて臭くてどうしようもないわなあ(笑)。

俳優の芝居(演技)が臭くなるのは、
一言でいうと、心の内側をそのまま外に、顔に出そうとするからだ。

おいおい、そんな人間いねえだろう。
ひとは他人の前では「ほんとうの心」は隠そうとするだろう。
隠して、うそをついて、うそをつくことで他人とうまくやっていこう
とするだろう。それが人間だろう。

世阿弥だって言ってるでしょ、「秘するが花」、それが芸の基本だって。

と、まず基本を教えざるをえなくなるのよねえ、
天下の森雅之さんに(笑)。
まあ、はからずも、監督市川崑が
俳優をまったく演出できないことが露呈してしまっているわけだが…。

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物語的に言うと、
先生と奥さんの家庭の雰囲気が根本的に間違っている(笑)。

外側から見ると、二人はいつだって穏やかで、
明るくて、最高に幸せそうな夫婦に見えなくちゃいかんのだよ。
実際、原作の中では「先生」もそう言うとるし、
先生を慕う主人公の「私」にもそう見えている。

にもかかわらず時々、
先生の中に誰にも言えない心の秘密があるもんだから、
二人の間にフッと暗い影が射す。「淋しさ」が射す。

というふうに描かれてるのに、
この映画の主調音は間逆になってるんだよね。
いつも暗~い、ケンカばかりしてる夫婦…。

それを市川崑が主調音にしようとしているもんだから、
森雅之も、ひいては新珠三千代も、
その陰鬱さを露骨に顔に出そうとするわけだよねえ。

お~、ノ~、表現は「転倒」だろう、逆立だろう!
基本がまったくわかってねえぞ!
と、ここでも私はあたま抱えてしまわざるをえないんだよねえ。

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書生(学生)時代の先生と、親友のK。
左、K…、30過ぎの三橋達也。右、先生…、40過ぎの森雅之。

「うぐっ…」と胸から込み上げるよねえ、なにかが(笑)。
まあ、私は人間ができてるから
これも愛嬌でいいんじゃないの?と、
その「うぐっ」をゴクンと飲み込むことはできるんだけどさ。(笑)

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左、後年の先生…、森雅之。
右、先生を慕う学生の私…、安井昌二。

冒頭で、新珠三千代の奥さんは、
あなた(先生)は私になにか隠している、愛人でもいるんじゃないの、
と疑う。

で、後半では、先生とKの関係、先生と私の関係を疑う。
あなた(先生)は私になにか隠している、
私よりもKさんや「私」のほうが…、男のほうが好きなんじゃないの、
と。

おいおい、奥さん、どっちなんだよ…、と言いたくなる。
まあ、それも愛嬌ということでいいんだけどさ(笑)。

奥さんが先生とこの二人の男との関係に嫉妬するのは、
そこに同性愛的な匂いを嗅いでいるからである。
そのことは多くのひとが言及しているし、
私もまたそのひとりなのだが、

その「先生とK」「先生と私」の関係の描き方が
まあ、いかにも中途半端すぎてちっとも面白くないのである(笑)。

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先生は毎月、雑司ヶ谷に眠るKのお墓参りをしている。
自分が、Kを裏切った、お嬢さんを奪うことでKを死に追いやった、
と思っているからである。

ということは、
裏切ってすまないと自責の念に苛まれるほど、
Kはすばらしい無二の親友だったという思いがあるからなのだが、
二人の仲がそういうふうに見えるほど描かれてないんだよね。
奥さんが嫉妬せざるほどには、と言ってもいいけど。

先生と「私」の関係もそう。
先生は最後、誰にも明かさなかった心の秘密を
「私」にだけ打ち明けて自死する。

ということは、
「私」が、先生が唯一信じられるような人間として描かれてないと
だめだってことなんだけど、
この「私」=安井昌二じゃいくらなんでも頼りないよねえ。(笑)

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ここは原作にはないラストシーン。

先生が自殺したあと、
故郷の田舎から上京した私が奥さんを尋ねて、
先生が死んだのは「僕のチカラが足りなかった」からだと
泣き崩れる。

「え~~っ!」と度肝を抜かれるよねえ。

き、気持ちはわかるけど、や、安井くん(日置くん)、
き、君のチカラじゃ最初から先生を助けるの無理に決まってるじゃん!
身の程を知りなさい、身の程を!
と思うよねえ。

この「私」にすがりつくような新珠三千代さんの目もねえ。
新珠さん新珠さん、いくら新解釈とは言え、
まさかこの「私」と再婚しようってんじゃないですよね!
って感じ…?

と、まあ、漱石の弟子ゆえいろいろ難癖つけてるけど(笑)、
いいとこもいっぱいあんのよ。

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奥さん(新珠三千代)のおかあさんで、
軍人未亡人を演じる田村秋子さん。
さすが名女優だよねえ。いやあ、観てるだけでうっとりするよ。

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日置(安井昌二)の母を演じている、おらが北林谷栄さん。
なんつうの? そのロボットみたいな北林節のすてきなこと!

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ちょこっとしか出ないけど、女中の奈良岡朋子さん。
立ち姿、歩く姿、ほんと素直で、自然でステキだよねえ。

ん? 女優陣ばっかりだなあ。
いやいや、森雅之も、三橋達也も、安井昌二も、
明治の青年の息吹をちゃんと感じさせるからたいしたもんだよ?(笑)

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崑さんの映像もほんとステキだしね。


●たまねぎさん
はい、こんな映画があったんです!
市川崑監督の心意気がうかがえる秀作です。
私の「こころ」ですか。
本と演出にはすこし自信あったんですが、
残念ながらいまの俳優ではなかなかついてこれない
というか…(笑)。

ありがとうございました。

■122分 日本 日活 文芸
監督:市川崑
製作:高木雅行
原作:夏目漱石
脚本:猪俣勝人 長谷部慶治
撮影:伊藤武夫 藤岡粂信
美術:小池一美
編集:辻井正則
音楽:大木正夫
助監督:舛田利雄
出演
森雅之 先生
新珠三千代 奥さん
三橋達也 梶
安井昌二 日置
田村秋子 未亡人
鶴丸睦彦 日置の父
北林谷栄 日置の母
下元勉 日置の兄
久松晃 旅の僧
下絛正巳 周旋屋
山田禅二 先生の叔父
伊丹慶治 梶の父
奈良岡朋子 女中・粂
鴨田喜由 医者
河上信夫 葬儀屋
山本かほる 下宿のおばさん

 

この記事へのコメント

たまねぎ
2012年12月15日 19:56
こんな映画があったのですね@@
小説など本もあまり読んだことない私ですが、
漱石さんの作品は好きで読みました。
この映画観たくなりましたが、山崎さん監督の「こころ」を観てみたいです!

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