ゆけゆけ二度目の処女 (1969) 日本

[853]1960年後半の日本の「風景」をマンション屋上に映しこんだ私の若松映画
★★★★★★

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追悼の意を込めて
若松孝二監督の作品を何本か観た。

私が持っているのは、ずいぶん以前、
VHSビデオを自分でDVDに落としたものなので画質がよくない。
が、いつもそのDVDを観ているので愛着がある。

東京の副都心を見下ろすマンションの屋上。
物語はその屋上だけで展開される。
といって通常のような物語ではない。
ほとんど現代詩に、あるいは風景詩に等しいものである…?

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ひとりの少女(小桜ミミ)が、
マンションの屋上でフーテン連中に輪姦される。
連中は、その屋上を根城にしているシンナーグループだ。

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そのそばで、少女が輪姦される様子を眺めている少年がいる。

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その少年を演じているのは、若松プロの社員で、
このころの若松映画の主演も数多くこなしている
私の超お気に入りの秋山未痴汚である。

かれは「原宿の万引き王」の別名も持っていたらしいが、
この顔でねえ、うそだろ、と私はいまだに信じていない。
騙されつづけている。(笑)

ちなみにマンガ家・内田春菊さんの名付け親も
この秋山未痴汚(=秋山道男)である。

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少女を演じているのは小桜ミミ。
彼女についてはこの映画でしか知らないのだが、
その肢体と声が放つリリシズムはいま観ても圧倒的である。

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少女は、少年に言う、
これで私が輪姦されたのは二度目だと。

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そして男たちに輪姦されたからだを洗いながら言う。
詩を語る。

 ゆけ ゆけ 二度目の処女
 男が選んだ最高傑作
 ゆけ ゆけ 二度目の処女
 遠まわりでも明るい舗道を

意味わからん(笑)。

まあ、屁理屈をこねれば
男たちに何度輪姦されても私は処女だ、
汚れない、汚れることができない…、という程の意味だろう。

そしてそれは少年も同じである。
かれは女を知らない、童貞である。
もしかしたら抱いたことがあるのかもしれないが、
それでも童貞なのである、私の未痴汚くんは(笑)。

ひとを殺しても汚れない、汚れることができない。
それがここで描かれている少年である。
秋山未痴汚演じる少年なのである。

私は痺れ、ああ、未痴汚くん、
このまま私を騙しつづけてほしいと思うのである。(笑)

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屋上に干されている洗濯もの。
真っ白な洗濯もの。
それがこの少女と少年なのだ。

二人はこの白を「赤(血)」に染めることができるのか?

ついでながら、先にあげた
 ゆけ ゆけ 二度目の処女 男が選んだ最高傑作
 ゆけ ゆけ 二度目の処女 遠まわりでも明るい舗道を
というのは中村義則の詩の一節である。

一般にはあまり知られていないかもしれないが、
当時、鈴木志朗康とともに私の大好きだった詩人である。
志郎康の「処女プアプア」に影響を受けのかな、
と独断しているが、

破壊的なその口語体にギュンと胸倉を掴まれ、
当時しきりに読んだものだ。

あれ?
そう言えば中村義則の詩集たしか1冊持っていたはずなのに、
どこ行ったんだろう?

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少女は少年に言う、私を殺して、と。
少年は少女に言う、
殺す理由さえあれば、人なんか簡単に殺せるさ、と。
少女は言う、理由なんか簡単にできるわ、と。

私のおかあさんは輪姦されて私を産んだ。
父と結婚したが、捨てられ、そして自殺した。
私は自殺はいやだ、殺して、と。

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少年は旅をしようと言い、
少女をマンションの地下に案内する。
そこには本が山積みになっている。

「これ、おれが書いたんだ」
「だから売れないの?」
「そう。全部返されちゃった」(笑)

少年はその本をめくり、読む。

 目覚める
 目覚めない 目覚めるとき
 目覚めれば 目覚める 目覚めろ 目覚めよ

動詞「目覚める」の五段活用詩、中村義則、
聞いていると私はゾクゾクする(笑)。

この映画の主題を書きなさい、と言われたら、
ここをあげておけばだいたいよいのだと思う(笑)。

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それから階段を上がり、
マンションの5階にある自分の部屋に連れて行き、
自分が殺したものたちを見せる。

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四人は、ここで夜な夜な乱交を繰り広げていた連中だ。
ある日、嫌がるぼくをその乱交に引きこもうとした。
ぼくには殺す理由ができた、だから殺した…、

と少年は言う。

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そうして再び屋上へ戻ってくる。

少年が少女を連れて上り下りした場所が、
少年の世界の一切である。
そして少女にとっても…。

この7階建てのマンションが
二人にとって世界の一切であるのは、
このマンションに出口がないからである。1ケ所を除いて。

もちろん「喩」としてなのだが、
そのためこの映画は当時、「密室映画」と評された。

現在(1969年)という密室に閉じこめられた二人。
この作品はその二人がいわばその出口を探し求める
物語なのである。

そのために現在の、あるいは現実の
口語を破壊する中村義則の詩が用いられているのだ
と言ってもよい。

屋上に戻ると、例のフーテン連中がたむろしている。
密室でシンナーに浸り、乱交に浸るかれらは
また少女を強姦する。
そうすることで少女をかれらの世界に引きずりこもうとする。

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グサリ…。

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私の未痴汚くんは、こんどは傍観しない。
持っていた包丁で連中を殺す。
殺す理由ができたからである。

少女は言う。
やっと殺される理由ができたわ。
そうだわ、私はおとうさんと愛し合ったの、近親相姦したの。
私も殺して、と。

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テロリスト未痴汚くんは無視して、遠くに夜の東京を眺めながら
口語破壊詩をくちずさむ。

 ママ 僕出かける もうママに
 観光バスが停まり 閑古鳥が鳴くだろう
 No See you again
 僕を裏切り 差し入れしなかったパンサーのD
 ジャンやミラーやノーマルメイラーはもう不景気さ
 勃起して赤いネオンは前進色じゃなく 熱くない
 ナイフの側に集まってたのに 今はおまわりの公園
 おまわりの僕のリビングルーム
 おわまりの僕のコーヒー…

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意味わからん(笑)。

わからんので私のあたまはクラクラする。
目の前の風景がビリビリと引き裂かれていく。
壊されていく。それがまた気持ちいい。痺れる(笑)。

困ったものだ。
40数年前と私はなにも変わっていない。

参考までに言っておくと、詩は中村義則の詩である。
そして秋山未痴汚じしんがメロディにしている。
かれはマルチ型天才なのである。

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少女はまた少年に殺す理由を与えようとする。
私はあなたを愛している、だから殺して、と。

少年は逃げ出す、
うそだ、ひとがひとを愛することなどできない、と。

生き残っているフーテン男が少年に頼む。
静かにしてくれ、誰か来たらどうする、
おまえはもう二人も殺してるんだぞ、巻き添えは食いたくないよ
と(笑)。

と、少年は、静かにしてやるよと言い、
残っていたフーテン連中を次々に殺していく。

その、最後に殺される右のフーテン男は
もしかしたらわれらがビートたけし(北野武)かもしれない(笑)。

若きたけしが出演しているらしい
という噂がのちに飛び交ったのだが、
とするとこいつかなあ、ほかにらしき人物いないよなあ
という感じなのである。

なにせ画面は暗いし、粗いし、20歳前後のたけしだし、
いまだに私は確証がつかめないでいる。
知っているひとがいたらぜひ教えてくださいな。(笑)

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二人だけになると少女は言う。
ほんとうを言うと私はひとを殺したいの。
だから死にたいのよ、と。
少年は言う、殺せない、と…。

二人はコンクリートの上に横たわる。
そこは…、そここそ、自分たちが生まれてきたベッドなのだ。

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翌朝、少女は「ママ、わたし、出かける」と言い、
屋上の手すりを超え、街の通りに身を投げる。
いや、マンションから街に出かける。

このマンションの出口は1ケ所しかないと言ったが、
その出口から「ママ」に別れを告げ、出かけたのである。

少女が少年に最後に聞いた言葉は、
「(私を)愛してた…?」である。

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そして少女の出かける後姿を見送った少年も、
「ぼく、出かける」と言い、
マンションのただ1ケ所の出口から、少女を追い、出かける。

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観れば観るほど刺激が強すぎて、
私は五万と言葉を発したくなるのだが、しかし
言葉を発すれば発するほどこの映画から遠ざかってしまうので
ここはただひたすらじっと我慢するしかない。(笑)

つまりは、そういうふうに仕掛けられた映画なのである。

ただひとつ、
ここで言われる「ママ」とは、少女や少年の母親といってもいいし、
二人が生まれた国、あるいは街、あるいは現在・時代と言ってもいい。

その「ママ」を二人は
自分の「ママ」として獲得できなかった、
あるいは獲得することを拒否して「出かけた」ということである。

そしてそれはまさに当時の、
1960年代中盤から後半にかけての時代を表していた
ということだろう。

そういう意味で言うと、
この映画はまさに若松組が提唱した「風景」映画である。

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舞台になっているマンション屋上を
当時の都市風景として映し込んでいるのである。

登場する少女や少年、あるいはフーテングループを、
都市の「風景」として映し込んでいるのである。

そのことは通常の意味の物語を排し、
観る側が、物語や人物たちにのめりこむことができないように、
かれらを「風景」として眺めることしかできないように、
作品を撮っていることからも容易にわかる。

足立正生ふうに言えば、
ここに映し出される「風景」に権力がどのように入り込んでいるのか、
それを見せるために作っている、とでも言うのか…。

「音楽集団迷宮世界」の音楽もそうである。
かれらはここに映し出されるものを風景として眺め、
そこに生まれる自分の心を
映画のバック音楽として提出しているのである。

物語や人物を奏でるために演奏してるわけではない。(笑)
音楽そのものもひとつの「風景」として差し出しているのだ。

余談だが、
この音楽集団迷宮世界が何者なのか、私は知らない。
坂田明や山下洋輔の近辺にいるひとたちかなあ
とは想像しているが、
まあまあ、そのフリージャズの素晴らしきこと!

それだけでも私は卒倒しそうになる。

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もうひとつだけ言っておきたい。
この映画はけして若松孝二個人のチカラで作られたものではない。
この映画は当時を生きたひとたちの「うねり」が作ったものだ
ということである。

いまここに名前をあげるのは控えるが、
実際、この作品の背後には様々なひとたちの顔が
私には怒涛のごとく連なって見える。(笑)

そのひとたちが動き、語り、作ってきたものが
時代のひとつの大きなうねりとなって
磁場・若松孝二のもとに押し寄せてきたのである。

その巨大なうねりを若松孝二は軽々と束ねて撮ってみせた、
まさに奇跡としか言いようのない作品である。

つまり若松孝二とは個人を超えた存在である、
と私はどこかで思っているのだ。

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映画で一瞬映し出される
マンションから見た眼下の風景である。
神宮通りと、表参道通りが交差する原宿である。

なので舞台に使われているマンションは、
むかし若松プロがあったセントラルアパートだとわかる。

70年代のはじめ、私もその若松プロを訪れたことがある。
劇団の女の子が若松さんの作品に出ることになったからだが、
そのとき私をアパートに連れていってくれたのは、
あの和光晴生さんだった…。


■65分 日本 若松プロ エロティック
監督:若松孝二
脚本:出口出(足立正生+小水一男)
撮影:伊東英男
音楽:迷宮世界
照明:磯貝一
出演
小桜ミミ
秋山未痴汚

東京の都心を見下ろすマンションの屋上。そこを根城にするフーテングループに少女(小桜ミミ)は暴行された。そして助けを求める少女をただじっと傍観する少年(秋山未痴汚)がいた。「私を殺して!」輪姦されるのは2度目だという少女は、少年に懇願した。「殺す理由さえあれば、人なんか簡単に殺せるさ」そう応えた少年に、「理由なんか簡単にできるわ」と少女。そして、ふたりの理由探しの旅が始まった。マンションの地下室へ、少年の部屋へ、そして再び屋上へと・・・。しかし、ふたりの旅は決して、建物の外へと出ることはなかった。

 

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