戦争と一人の女 (2013) 日本

[944]私らの世代のチカラはせいぜいこんなもんかと悲しくなるよね(笑)
★★★☆☆☆

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5月23日、テアトル新宿にて観る。

元文部科学省の寺脇研さんが映画を創った
と、うわさを聞きつけ、
おっ、応援しなきゃと観にいった。

寺脇さんとはNHKで
一度だか二度だかご一緒したことがある。

まだ文部科学省にいらしたころで、
現場の教師 VS 寺脇さんらの、「教育」についての討論番組だった。
そのとき私はたまたま司会。

現場の教師たちが、詰め込み教育と管理強化を主張する中で、
寺脇さんひとりじつにカッコよかった。

現在の教育制度、体制ではどうにもならないんです。
壊滅状態です。お手上げです。
いい案があったら出してください。なんでもやりますから。
とおっしゃったのだ(笑)。

私は即刻、司会の立場を放棄して、寺脇派に転じた(笑)。

現場の教師たちは、学校の崩壊と子供の危機を
家庭と文部科学省のせいにするだけで、
自分のダメさ加減に責任をとるどころか、
気づいてさえいなかったからだ。

私は言ってやったよ。
おれが子供だったら、
あんたらのいる教室には行かねえよ、と(笑)。

どうしても私は
ホントのこと言わずにはいられないタイプだからさ(笑)。

「ゆとり教育」はやっぱりだめだと撤回され、
いままたすさまじい詰め込み教育が実施されているが、

ゆとりの時間が増えたとき、
誰もなにやればいいかわからなかっただけだぜ。
詰め込み・管理教育しかやったことない連中だからさ(笑)。

一方、寺脇さんは、70年の半ばころから映画評論もやっていらして、
退官後は京都造形芸術大学で講義をされてる。
しかも韓国映画が大好きなのだとか。
 
お~、オラと同じだあ、になるよねえ(笑)。

で、驚くべきことに、
なんで最近の日本映画はつまらんのだ。オレが創ってやる!
といってこの映画を創ったんだとか。

お~、行かずにおらりょうかあ! となるよねえ(笑)。

しかも脚本は元若松組の荒井晴彦。
「出口出」といったほうが若松映画ファンにはピッタリ来るかな?

そう言えば70年代、
私のところにいた女優も若松さんにたまに使ってもらっていたのだが、
そのとき最初に東中野で会ったのが、
荒井晴彦さんだったのかな? それとも和光晴生さん?
 
さすがに記憶薄れたなあ(泣)。

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で、映画はどうだったのか? 
どうしても言わせたい?(笑)

じゃ、はっきり言うよ。
うそ言っても応援にならないからさ。

無残だよねえ。無残。悲惨。(笑)

アジアのほかの国や、
欧米各国の面白い映画をたくさん観てるひとが観ると、
すぐにわかるよね、いかに無残か。

日本の70年代半ばあたりまでの映画と比べてもわかる。

もっとも先に断っておくと、
すべてをこの映画を創ったひとたちの責任に帰すつもりはない。
現在の日本の映画界、ひいては日本の文化の問題だから、
底に横たわってる問題は。

そのことに触れる余裕はとてもないけどさ、
「無残」てのは、自分たちのことも含めて言ってるんだと思ってね。

たとえば…、
この映画には、なんどか舞台を一緒にやった柄本明が出ている。
ま、同世代な訳だね、私ら60半ばの。

その同世代の柄本明とさ、
三船敏郎、勝新太郎とまでは言わないまでも(笑)、
たとえばかつての殿山泰司さんだとか西村晃さんだとか、
そういう俳優さんたちと比べてごらんよ。

70年前後、若松映画の常連だった秋山未痴汚や、
吉沢健らでもいいんだけどさ。

観てられないでしょう、無残でしょう。
なにもないでしょう、テクニックだけでしょう。
もう笑えもしないでしょう。
私が泣きたくなっちゃうのわかるでしょう。
だよなあ、おれらどうしようもねえよなあと思うの当然でしょう。

実際、お客さん、私同様、半分死んで観てたもんねえ(泣)。


荒井晴彦の脚本はわかる。昔からこういう本書いてるひとよ。

どうなのよ、新井さん。
新井さんの本より、安吾の小説読んだり、
小平義雄の供述書読んだりしてるほうが100倍面白いんだけど
ってのはあるけどさ、
私は嫌いじゃないよ、好きよ(笑)。

まあ、若松さんだったら、
理屈言うな、説明するな、文学するなって
大半のセリフを削っちゃうんじゃないかと思うけど、
でも新井さんの本の核が残ればいい訳だしさ(笑)。

監督の井上淳一もじつは若松組出身で、
これが初監督らしいんだけど、全然だめだよねえ(笑)。

なにがだめか?
これも若松さんと比べるとすぐわかる。
命の賭け方が全然ちがうでしょう(笑)。

若松さんは命を賭けて俳優をしごいたでしょう。
クソ芝居すな!って。
そうやって俳優のからだをブツにしたでしょう。
ブツにして「風景」として撮っていったでしょう。

そこがもうまったく違うんだよね。
柄本らメインがクソ芝居やっても、止めてないもんねえ。
これはもうどうしようもないよねえ。
若松孝二のあと、全然引き受けてないじゃん(泣)。

ま、気持ちはわかる。すごくよくわかる(笑)。
相手が永瀬正敏や柄本明だから遠慮したんだと思うわ。
私が観たのは、
たまたま監督とスタッフのトークショーがあった日なんだけど、
監督、めちゃ優しそうなひとだったもん(笑)。


しかし実際、
主役やってる江口のりこも高尾祥子も
柄本がやっている東京乾電池所属の俳優なんだけど、
三人揃ってどうでもいい乾電池の芝居ばっかりやってるよねえ(笑)。

おいおい柄本が監督なのかよ、演出してるのかよ
なんて観てると思っちゃうよねえ。
柄本と一緒にやったことのある俳優は100%
まちがいなく私と同じことを言うと思う(笑)。

若松さんだったら半殺しにしたかもね(笑)。

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観る側からしたら、
この三人の演技はさっぱりわからないよね。
人間がさっぱり「わからない」。
観ててもこっちのからだに何も入ってこない。

普通そういうことは起こらないんだよな。

たとえどんなにつまらない映画だろうと、
また言葉のわからない、
あるいは文化習俗の違う国の映画を観ても、
「わからない」ということは起こらない。

完全にわかるということはありえないんだけど、
それなりにはわかる。
誤解、曲解、早とちりをひっくるめて
演じている人間の心なり、人となりがわかる。

たとえどんなに抽象的で難解な作品だろうと、
やっている俳優のことはわかる。
それなりにはわかる。絶対にわかる。
わからなかったらひとは殺し合いになるしかない。

しかし、この三人はわからないんだよねえ。
なにやってるんだか、なに言ってるんだか、さっぱりわからない(笑)。

で、そういうことが起きてるのはいまの日本の俳優だけなんだよね。
古今東西、いまの日本の俳優だけ。
ほかのどこの国の、どんな映画を観てもそういうことは起こらない。

うそだと思うなら、
私がここで書いたレビュー934本の映画を全部観るといい。
ついでにレビューも読むといい。
「わからん」のはこの映画の俳優さんたちだけだから(笑)。


そういう意味でいうと、荒井晴彦の脚本や、
井上淳一監督のやろうとしてることはわからなくはないんだよね。
わかる。
むしろ、わかりすぎてあたまを抱えてしまうくらいだよ(笑)。

でも乾電池の俳優はさっぱりわからん(笑)。

永瀬正敏は、わかる(笑)。
若いころは志があってよかったよなあ。
いや、いまもあるんだと思うけどさ、

でもねえ、
おいおいおい、いくら作家の役だからって文学するなよ、
って感じだよねえ。

だいたい安吾は
反文学者としての文学者だったんだからさ。

ため息ついて文学なぞしなくて、
ほら、ヒロポンでもやってそのまま何も考えずに
そこに…、カメラの前に自分のからだを放り出しちゃいなよ
って言いたいよねえ(笑)。

ただ相手が乾電池の連中なもんだから、
訳わかんなくて困っただろうなあ
というのは観ててよくわかる(笑)。

もう半分以上それで神経すり減らしてるよな
ってのはわかる。
わたしと同郷の出身(宮崎県)だから、わが事のようによくわかる(笑)。


じゃ、なんで乾電池の三人は観ててもわからないのか。
理由はめちゃくちゃ単純だよね。
本人たちがなにもわからずにやっているから…(笑)。


荒井晴彦が書いているシナリオが、
あるいは監督の言っていることが、
安吾の書いているものが、
この映画の時代である「戦後」が
わからずにやってるんだよね。

本人がわからずにやっているから
とうぜん観ているこっち側もわかる訳がない(笑)。

それにたいして柄本がどう返してくるか。
「本なんかわかる訳ないよ、責任持てねえよ、そんなもん」(笑)

昔はそう言う俳優ではなかったんだけどね
あの頃からそういうひとになったんだよね。
それについては言わないけどさ(笑)。

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ちなみに「わかる」というのは
「からだでわかる」ということだが、

江口や高尾祥子が「からだ」でわかっていないことは、
彼女たちが、
口先だけでしゃべっていることからもよくわかる。

言いかえると、声が全然お腹に落ちてないんだよね。
腹から声が出てない。のどで喋ってる。

よ~く観ててごらん。
のどあたりで一生懸命自分の声を
コントロールしながら喋っているのがよ~くわかるから(笑)。

なぜ声が落ちないのか?
すでに言ったようにからだでわからないから。

なにもからだでわかっていないのに、
自分ではわかってるつもりになって
物語を作ることよりも、
自分の、乾電池の演技をご披露することばかり
考えているから(笑)。

ない頭で考えたことばっかりやろうとしてるから(笑)。


日本の俳優が病んでる大きな理由のひとつはそこにある。
なにはともあれ自分なんだよね。
自分ばっかし(笑)。


ごく普通に言うと、
俳優は、自分が演じる他人に想像を伸ばし、
それを演じることが求められるはずなんだけど、
この三人を観ているとよくわかる。

そんな他人なんか眼中にありゃしない。
あるのはいつも自分だけ。
だからどこまで行ってもこっちが見せられるのは
柄本明であり、江口のりこ。

観たくねえよ、そんなもん! 
どうでもいいよ!
って言いたくなっちゃうよねえ、少なくとも私はさ(笑)。


声が落ちない理由はほかにも考えられる。
身体そのものが拒食症ないし拒食症的だから…。

からだがたべものを受け付けない。
それと同じように、
他人が書いた言葉が、物語が、外界が、他人が
自分のからだの中に入らないのかもしれない。

これもいまの日本人には圧倒的に多い病状だ。


こう書くと、
読んでるひとはひどいこと言うなあと思うかもしれないが、
私が言っていることはじつは、
柄本がひとにたいしてよく言っていることなんだよね(笑)。


もっとわかりやすいのは、じつは会話。
これも注意してよ~く観てるとわかると思う。
乾電池の三人は会話にならないんだよね。

会話ってのは一言でいうと、
相手の言葉、こころ、存在…、
そういうものが自分のからだに入ってきて
自分の内側が自ずと動かされるから、
こんどはそれを言葉にして相手のからだの中に
送り込むこと。

でも三人は全然そうなっていない。
相手のことばを自分のからだの中に全然入れてないんだよね。
入れようともしていない。
そういうこととはまったく違う別なことをやってる(笑)。

永瀬正敏が連中を相手にして困惑してるのは
じつはそこなんだよね。
全然コミュニケーションが取れないから困っちゃうわけよ。


私がこの映画を「無残」と言うのも、
そこが一番大きいかな?

すこし言いかえてみる。


昔の監督さんはみんな俳優に
「なにもしないでただそこにじっとしててくれよ」と言った。
若松さんが俳優に「クソ芝居するな」と
怒りまくっていたのもそれと同じこと。

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ちなみにこのポスターの写真、けっこういいよね(笑)。
おっ、俳優もいいじゃないかと思う。
でも実際に映画を観ると無残。観てらんない。

写真はなんでいいのか?
俳優がクソ芝居をしていないから(笑)。

クソ芝居をしていたとしても、
一瞬にしてピン止めされてしまうから。
「過去」にされるから。
殺されて、
一個の「ブツ」として他人の目の前に差し出されるから。

普段、人間はよく「モノ」を見るよね。
モノ(物)を見て、あ、いいなあって感動したり
気に入ったりする。

それはそのモノの中に、
それを造った人間や、見ている自分がそのモノに
映し出されているからなんだよね。

それと同じでこういうポスター(写真=ブツ)だと、
俳優が感じているもの、あるいはそのひと自身が
そこに見えてくるからなんだよね。
そのひとのからだにそのひとの全てが現れるから…。

だからいいなあと思える。

ところがあんた、活動写真になると無残になるわけよ。
ほとんどの俳優は人間をやろうとするからねえ(笑)。
自分が考えてること、思ったことを
芝居しようとするからねえ(笑)。

自分が考えたり感じたり思ったりしてることは、
自ずと自分のからだに現れるんだよね。
なにもしなくても。

あ、もしそのひとがほんとに
そう考えたり感じたり思ったりしてたらだよ(笑)。

監督あるいはカメラマンはそのことがよくわかってる。
だから俳優になにもしないでただそこにいろ。
おれがおまえを撮ってやるから。
ということになる。

それは言いかえると、
そのひとがなにかをしてしまった瞬間、、
自ずとそのひとのからだに現れていたものが消えてしまうから、
なくなってしまうから、壊れてしまうからなんだよね。

アホになってしまう。観てらんないものになってしまう。

監督やカメラマンはそのことがわかってるから
「なにもすな!」と怒るわけだよね(笑)。

親鸞の言葉を借りると、
「なにもするな。策を弄すな」。

善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。
なにかいいことをやろうとするやつより、
なにもしないやつのほうが浄土に行けるんだよ。
偉いんだよ、ってやつだよね。


で、この映画の俳優さんたちに戻ると、
ないでしょう、なにも、見事に(笑)。
どうでもいいクソ芝居ばっかりやってるから、
俳優のからだがなにも映し出さないでしょう。

若松さんの言葉を借りれば、
俳優の身体がまるで「風景」として浮かび上がってこないてじょう。
そこに「戦後」がなにも見えてこんでしょう(笑)。

ということなんだよね。


うそだと思うなら、
若松監督の作品と見比べてみるといいんだよ。
よ~くわかるから。


と、まあ、書いてきたけど、
ここに書いていることはじつは柄本はわかってると思うんだよね。
だぶん理屈では柄本以上にわかってる俳優は
そういない。

なのにその柄本明がこうだからねえ。
私は泣くよねえ、さめざめと(笑)。

あ~、気分重い。
もういいや(笑)。


しかし寺脇研さん、考えなかったのかなあ。
映画なんか創ったこともない若い、
でもやる気だけはある学生たちだけでこの映画を創ってみようって。

若い連中だと、この荒井晴彦の脚本に
真摯に、正面からぶつかっていったのではないかと思うのだが。
連中にとっても「戦後」を知る機会にもなっただろうし。

あるいは韓国に行ってこれを撮るとか(笑)。
それだと間違いなくこれよりいい作品になったよね(笑)。


追記)

この映画には、私の知っている小野孝弘と真田幹也も出ていた。
二人はすごくよかったよ。
真摯に、まっすぐ、素直にやってるから綺麗だよね。
ただ真田君、
女を振り返ったときの顔が「大平」と一緒になってるよ(笑)。
姿形で間違えられるだけのほうがいいよ、
目と顔のチカラは抜いたほうがいい…(笑)。


監督 井上淳一
企画・統括プロデューサー 寺脇研
プロデューサー 片嶋一貴
原作 坂口安吾
脚本 荒井晴彦
キャスト
江口のりこ 女
永瀬正敏 作家野村
村上淳 片腕の帰還兵大平
柄本明
高尾祥子

坂口安吾の小説「戦争と一人の女」「続戦争と一人の女」を映画化した官能文芸ドラマ。太平洋戦争末期から終戦後の東京を舞台に、時代に翻弄された男女の交錯する運命を描く。時代に絶望した作家の野村は、飲み屋を営む元娼婦の女と刹那的な同棲を始め、貪るように体を重ねる。一方、中国戦線で片腕を失い帰還した大平は、戦場での精神的後遺症から妻との性交渉ができなくなっていた。しかしある日、数人の男たちに襲われている女を見て、自分が興奮していることに気がつき……。元文部科学省官僚で映画評論家の寺脇研氏が企画プロデュース。若松孝二監督の下で映画作りを学んだ脚本家の井上淳一が初メガホンをとった。

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