中国娘 (2009) 中国

[955]この映画の訳のわからなさこそもっとも中国的なのではないかと感動する(笑)
★★★★★☆

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もっとも非中国的で、
それゆえにもっとも中国的な映画のように思える。

中国映画といえばすぐに
チェン・カイコーやチャン・イーモウの映画が思い浮かぶが、

しかしかれらの映画は、
映画文法も、物語のつくり方も、人間の描きかたも
基本的には西欧的なものだと言っていい。

あるいは西欧的な論理、思考、心理感情からしても
それなりに十分理解できるようにつくられていると思うのだが、
この映画はなかなかそうはいかない(笑)。

映画のつくり方も、物語も
ある意味ではひじょうに単純なのだが、
でもそこに表現されているものはなかなか簡単にわかった
とは言えないようなものを感じるのである。

同じ傾向の作品として「キムチをつくる女」
「トイレ、どこですか?」「涙女」などがすぐに思い浮かぶが、
それらの作品よりもっと非中国的でわかりにくい。

そしてその「わかりにくさ」の中にこそ
私はなにかしらもっとも中国的なものを感じているのだ。

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主人公の中国女、メイ。
彼女はひまがあると西欧のポップスを聴いている。

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彼女の働いているビリヤード(笑)。
粗末な小屋が数件道ばたに並んでいるのだが、
これはなんだろう、果たして店といっていいのだろうか?
と私は悩む(笑)。

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草刈を終え、泥道をわが家へ帰る。
右の建物がそのわが家なのだが、ここはどこだ?と思う。
村? のようでもあるし、ないようでもある。

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母親がブラブラしていないで働けと説教する。
彼女は返事もせず足にマニキュアを塗る。
泥水で足が汚れるのがさぞ嫌なんだろうなあと思う。

にしてもこの母と娘の間に
なにかしら家族的な感情が流れているとは思えないのだが。

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父親はゴミの広野で働いている。
正確に言うと、ゴミの中からまだ使えそうなものを拾って
それを売り、金を稼いでいるのである。

メイも手伝うが、ヨーロッパの小物らしきものを拾うと
それは自分のポケットに仕舞う。
どうやらヨーロッパに憧れているらしいことがわかる。

しかしこの広野のゴミ捨て場はなによ? とまた思う。
要は、たまたまそこに捨てているだけで、
そこをゴミ捨て場として構築していこうという意志とか、
そういうものがなにも感じられないのである(笑)。

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深圳(しんせん)からやってきたモダンボーイ気取りのチアンと、
スクーターに乗ってカラオケに行ったりして遊ぶ。
なので少しは気があるのかと思い、チアンがキスを迫ると断られる。
チアンはあっさりへ深圳に帰る。

しかし向こうのビル群はいったいなに?
さっきのゴミ捨て場とどこが違うのよ、と思ってしまう(笑)。

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これはチアンと遊びに行った街。

この街を含めて、メイの背後にある風景を眺めていると、
ああ、中国だよなあ、と心底思うのである。

風景がそこに住む人々の集合的無意識を表わすとすれば、
雑然として、とりめのない、芯のないこの風景は
いかにも中国だよなあ、と。

こうした風景も、
チェン・カイコーやチャン・イーモウの映画だと、
ある中心をもった風景として組み立て直されていくのだが、
この映画はそうではない。

そう言ってよければ、
風景として見るに耐えない風景をそのまま羅列するというか、
わざと垂れ流してみせているとしか思えないのである(笑)。

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彼女は、母親がすすめる役人や、
彼女を追いかけまわすトラックの運ちゃんと結婚する気など
さらさらなく、

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村の女ともだちと一緒に村を出、重慶へ行く。

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中国の都市はいつも私には異様に感じられる。
大砂漠に突如、威容を誇るアポロンの神殿でも
現れたかのように見えるからだ。

そこにビルを建てるんだったら、
普通、ビルの建っている大地の環境も整備しようとすると思うのだが、
中国の場合、どうもそうなっていない。
大地はほったらかしているように思える?
で、あれはいったいなんだろう? と悩む訳だ。

そしてその悩みはある意味とても深い。
なぜなら主人公の中国女メイもまた、
私から見るとこの中国の風景そのものなんだもん(笑)。

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彼女は人民工場みたいなところで働きはじめるが、
やる気がないようだとすぐに首になる。
実際、やる気がない?

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彼女は街のパーマ屋さんで働きはじめる。
といってもこのパーマ屋さんとは表向きの顔で、
ウラで売春をしているのである。むしろ売春が本業?

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不思議なことに、彼女はそのことになんの抵抗もないようだ。
私から見るとまるで自分を捨てているように見える。

にもかかわらず、こういう「洋風」にだけは執着している。
訳わからん(笑)。

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恋人ができる。
隣のビルに住んでいるスパイキーと呼ばれる男だ。

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私から見てもなかなかいい男なのだが、

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いかんせん全身傷だらけで、
頭にはナタを打ち込まれたという傷跡まである(笑)。
しかもいまなお、毎日、血だらけで帰ってくるし、
バッグにもなんと包丁まで仕舞っている。

殺し屋、脅し屋、ケンカ屋、殴られ屋。
そんなヤクザ家業をやっている一匹男にしか見えないのである。
まあ、本人もケンカが商売だとは言っているのだが。

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かれの部屋にはなにもない。
どうせ人間はいつか死ぬのだからというのが理由だ。
そして金ができたら「西洋」に行くと言う。

おっと、かれも彼女同様、「西洋」志向だった!

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これは中国は嫌だ、西洋に行きたいという映画なのか?(笑)

こういう西洋っぽいイメージショットが時に現れたり、
実際、このあと西洋にも行くし、
バックに使われているのは西洋音楽だし、
制作国もイギリス、フランス、ドイツである。
中国だと即上映禁止の類の映画なのは間違いない。

が、どう観てもここには西洋的なものはなにひとつない。
全部中国だろう、どこまで行っても中国だろう
と私には思える訳だ。

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ある夜、彼女が
スパイキーの部屋でかれの帰りを待っていると、
かれは全身血だらけになって帰ってきてそのまま死ぬ。

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メイは慟哭する。が、涙が出ている様子はない。
なんで?

と不思議な気はするが、ともあれ
この物語の中で唯一、彼女が人間的な感情を表出するシーンで、
その意味ではいちばんわかりやすいシーンかもしれない。

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彼女は
スパイキーが溜めていた金を手にヨーロッパ・ツアーに出かけ、
そのままロンドンに滞在する。

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が、なぜ滞在するのか。
彼女がヨーロッパに何を求めているのか。
留まってなにをしたいのか。
見ている私にはさっぱりわからない。

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いや、わからないのは私だけではない。
じつは彼女自身にも全然わかっていないのだと思う(笑)。

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滞在するためにいろいろバイトをやっていたが、
この国では銀行口座がないと生きていけないことがわかり、

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たまたまマッサージのバイトをやっている時に会ったことのある
年金暮らしの老人と結婚をする。
かれが銀行口座をもっているというだけで(笑)。

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結婚したはいいものの、おじいちゃんにも
この中国女がいったいどうしたいのかさっぱりわからず、
結局追い出さざるをえない。
言っちゃ悪いが、私はおじいちゃんの気持ちがよくわかる(笑)。

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と、家がなくなった中国女は、こんどは
たまたま出前をしてくれた食堂をやっているインド人の住まいに
押しかけ、棲みつく。

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で、妊娠する。
が、インド人の男は、子供はいらない、
おれにはロンドンは合わないのでインドに帰る、と言う。

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と彼女はリュックに荷物をつめ、かれの部屋を出ていく。

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彼女は旅を続ける。続けている。
すでにお腹の子は臨月に近い。

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子供は産むつもりなのだろう。
でもその子を育てるつもりなのか、生まれたら捨てるのか
見ている私にはわからない。
本人にも果たしてわかっているのか…?

にもかかわらず中国女は行く手だけはまっすぐに見つめている、
という映画である(笑)。

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彼女は生まれた村から一歩も出たことがなかった。
村から一番遠いヨーロッパへ行ってみたいと思った。
で、ヨーロッパに来たのだろうが、
来ても彼女は生まれたこの村から一歩も出ていない。
ロンドンにいながら、この中国村の風景の中に住んでいる。

彼女は村にいるとき誰とも交通をしていない。
しようともしていない。
両親とも、彼女に気のあったトラックの兄ちゃんとも、
深圳(しんせん)のボーイとも、役人とも。
そして重慶へと一緒に家出したはずの女友だちとも。

かれらと未来へ向かって
何事かを構築しようとしていないのである。
この中国の風景同様、環境をほったらかしなのである。

言いかえると、他人と交通をしながら
自分たちの環境を構築していくということを知らないのである。
それをやったことがない?

だからヨーロッパへ行っても、
他人と、異国のひとたちと交通できない。
関係を構築していくことができないのである。

彼女を見ていると、そうしなくても、
自分の望む関係や生活環境は相手が与えてくれるものだと
思っているフシがある。

おまけにそうしたことに
彼女が気づいているようにはとても思えない。
自分はどこまでもイノセントだ、無罪だと思っているフシがある。

そのことを指して私は
彼女は「中国の風景」をそのまま生きているように思える
と言っている訳だ。

実際、彼女がロンドンの街の風景の中に立っても
まったく似合わない。
中国の風景のほうが自然でよく似合う(笑)。

もちろんバックの西欧音楽も笑っちゃうほど似合わない。

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この作家がどういうつもりでこの主人公を撮っているのか
わからない。
そのあたりがいったいどういうことなのか
私には観ててもよくわからないのである。

そしてその「わからなさ」をいかにも中国的だと
私は感じている訳だ。

断っておくが、つまらない映画だ言っているのではない。
どころか傑作だと思っている。
観ていてとても面白いし、惹かれるのである、
その訳の「わからなさ」に(笑)。

いやあ、いかにも中国的な感性だよなあ、
と訳もわからず感動してため息を洩らしたのである。

できればわかりたいので、
わかるひとがいたらぜひ教えてほしいのだが…。



■98分 イギリス/フランス/ドイツ ドラマ
監督: グオ・シャオルー
出演
ルー・ホアン
ボー・ウェイイー
ジェフリー・ハッチングス

カンヌ、ベルリン、ベネチアの世界3大映画祭の受賞作を中心に、各地の映画祭で話題になりながらも日本未公開だった作品を一挙上映する「三大映画祭週間2011」にて上映。
山奥の村から重慶に出てきたメイだったが、夢見ていた都会生活とはほど遠く、ヤクザのスパイキーと恋仲になるもスパイキーは何者かに殺されてしまう。追手から逃れるためロンドンへ渡ったメイは、そこでハントという老人と出会うが退屈な生活に嫌気がさし、小さなレストランを経営するインド人移民リチャードのもとに転がり込むが……。
作家としても活動しているグオ・シャオルー監督作。2009年・第62回ロカルノ国際映画祭金豹賞を受賞。

 

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