囚われ人 パラワン島観光客21人誘拐事件 (2012) フィリピン

[1057]観る者を密林の中へ引きずり込むかのような途轍もないチカラを持った映画 ★★★★★★

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2001年5月、
フィリピン・パラワン島で「アブ・サヤフ」が起こした観光客20人誘拐事件を
ドキュメントタッチで描いた映画。

サブタイトルで「21人誘拐」となっているのは、
フィクションの人物を1人、人質の中に加えているからである。

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「アブ・サヤフ」とは、
フィリピン人のウスタズ・アブドゥラハク・ジャンジャラニが結成した
イスラム原理主義者たちのテロ組織のことである。
本拠地は、ミンダナオ島バシランの南西にあるホロ島。

1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻する。
そのソ連に対抗すべく、イスラム民兵組織が大団結し
ムジャヒディーン(イスラム戦士)を組織した。

パキスタン、イラン、サウジアラビア等からも続々と志願兵が集結。
ウスタズ・アブドゥラハク・ジャンジャラニもまた、
あのウサマ・ビンラディン同様、そのひとりだったのである。

ムジャヒディーンはアメリカの支援を受けてソ連軍と戦い、
1989年、ついにソ連がアフガニスタンから撤退。

ジャンジャラニもフィリピンへ帰国し、
翌1990年、ウサマ・ビンラディンの影響と資金をもとに
故郷のミンダナオ島バシランで「アブ・サヤフ」を結成。テロをはじめ、
実業家や外国人観光客らを誘拐して身代金を得るなどの行動を開始したのだ。

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フィリピンの国民の90パーセントはカトリック教徒で、イスラム教徒はわずか5%。
そのためイスラム教徒は国から疎んじられ、差別されていた。
行政からも相手にされず、大半は食事すら満足に取ることができない
という貧困状態に置かれていた。

そうした中で「アブ・サヤフ」は、ミンダナオ島、スールー諸島、ボルネオ島、
インドネシア、マレーシア、タイ、ミャンマーなどの東南アジア地域に
イスラム教で統治する国家設立を目ざして結成されたのだが、
いまや「誘拐と身代金目当ての犯罪組織」と見なすひともいる。

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左、ジャンジャラニ。1998年、フィリピン警察との銃撃戦で死亡。
右、弟のカダフィ・ジャンジャラニ。兄の死後組織のリーダーになるが、
かれもまた2006年9月、フィリピン軍との銃撃戦で死亡している。

ちなみにフィリピンには、
ミンダナオ地区にイスラム教による自治区を作ることを目的とした
「モロ民族解放戦線」もあり、同様にしばしば政府軍と衝突を繰り返している。

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2001年5月、その「アブ・サヤフ」グループが、
フィリピン・パラワン島にあるリゾート観光ホテルを襲撃、
身代金目的の人質21人を小舟に乗せてミンダナオ島バシランへと向かう。
バシランは、ミンダナオ島の南端に位置する島である。

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かれらは叫ぶ。「神は偉大なり!神は偉大なり!」
映画ではここではじめてかれらがイスラム原理主義者だとわかるように
なっている。

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一昼夜かけて沖へ出たあと、停泊していた小型船に乗り換える。

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武装兵たちは今後イスラム教の戒律に従うよう指示したあと、
人質たちに名前と出身国、職業などをひとりひとりに尋ねる。
たいした身代金を得られそうにない人質だとわかると、
海に捨ててしまえといった言葉が吐き出される。

実際の人質は、
ホテル宿泊客の米国人2人、スペイン人1人、フィリピン人13人、
フィリピン人従業員4人の20人である。

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そして左がフィクションの人質として加えられた
フランス系非営利団体のソーシャルワーカー、テレーズ・ブルゴワン。
演じているのはイザベル・ユペール。右はテレーズの同僚のソルダット。

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先に言っておくと、事件は長期化し、およそ1年、377日に亘ることになる。
この間、「アブ・サヤフ」は米国人2人を含む人質5人を殺害。
フィリピン国軍と衝突を繰り返し、国軍側に22人の犠牲者が出た。
映画は前述したように、その377日の行程をひたすらドキュメントタッチで
描き続けていくのだ。

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人質の家族あるいは関係者と連絡を取り、銀行の通帳等に振り込ませる。
その振り込みを確認したあと人質を解放する、というのが手口である。
しかしフィリピン人従業員4人が含まれていることからもわかるように、
21人は思ったより身代金をいただける人質ではなかった。
そのことも事件が長期化する一因になったと言われている。
どういうことか?

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慈善団体や人質の国の政府などは身代金を、フィリピン政府を通して
渡そうとした。
ところが驚くべきことに、その金を政府役人や軍幹部などが着服横領し、
犯行グループに渡さなかったケース等があったらしいのである。

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国際情勢の問題も絡んでいる。
この事件が起きた2001年に「9.11同時多発テロ」(戦争)が起こった。
と、国際的に「テロに屈しない」「テロリストと交渉しない」という機運が高まり、
フィリピン政府が人質を救出すべく真剣に取り組まなかったのだ。
「アブ・サヤフ」を潰す戦闘自体には取り組んでも…。

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一行はようやくミンダナオ島バシランへ到着し、根拠地とも言うべき
密林に入る。追手の政府軍から姿をくらますために。

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そして山中で本隊と合流する。
中央のイケメンは、「マエストロ」と呼ばれるリーダー。
途中、銃撃死するが、「アブ・サヤフ」のリーダー、
弟カダフィ・ジャンジャラニをイメージさせているようなところがある。

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ゲリラ隊と人質の移動がはじまる。
どこかへ目的を持って移動する訳ではない。移動そのものが目的なのだ。
この間、身代金交渉を繰り返し、身代金が入るとその人質を解放する。
追ってくる政府軍、あるいは民兵との衝突をひたすら繰り返す。

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ここは病院を占拠したゲリラ隊と政府軍との数日に及ぶ衝突シーン。

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遠巻きに戦闘を見守る国民たち。
人々にすればけっこう見慣れた光景なのかもしれない。

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前述したように、政府軍はまったく見境もなく攻撃してくるので、
人質はむろん、入院している患者たちや医師、看護婦らも巻き込まれる。
テロ部隊たちは死なれると身代金が手に入らないので、
人質たちの命を守りながら戦闘をしなければならなくなる。
人質たちに自国大使館へ「攻撃を中止して」と電話させ、
政府軍の攻撃をやめさせることもしばしば。

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観ていると、何なんだこれは、と実に複雑な気分になるが、
同時にこうした光景を手持ちカメラが次々に捉えていくものだから
思わず見入ってしまうことになる。

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病院での人質を加え、密林へ入り、また移動が始まる。

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突然襲撃してくる政府軍との戦闘。

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そして移動を目的にしただけの移動。ゲリラ生活。
そうした日々がいったいいつ終わるのか誰にもわからないまま
ただひたすら繰り返されていく。

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その長い日々の中で、テレーズの同僚のソルダットが疲労で死ぬ。
埋葬をめぐり、クリスチャンのテレーズはゲリラ兵をはげしく非難する。

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誘拐されたはずの病院の医師は、
誘われるままになんとなくイスラム原理主義者テロ兵士になる。
「なんとなく」と言うのは、この映画ではいわば「現象」が描かれるだけで、
人間の心=内面はさほど描かれないからである。

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独身の若い看護士はリーダーの「マエストロ」と無理やり結婚させられるが、
妊娠すると結婚が歓びになり、環境のいいところで産みたいと
夫の許可を柄て山を下りる。
だが夫の「マエストロ」はそのあと政府軍との交戦で戦死してしまう。

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ある日、ゲリラ隊は、「9.11同時多発テロ」(戦争)のニュースを聞き、
「神は偉大なり」と雄叫びをあげる。

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政府軍の人質を巻き込んだ度重なる無差別攻撃で、
人質たちは、フィリピン政府は自分たちを救出するつもりはないのだと絶望し、
訪れたジャーナリストのカメラを前に、フィリピン政府をはじめ、自国政府、
ひいては密林の外側にいる人々を非難する。

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小鳥を襲撃し、食らう密林の大蛇。
そして大ヒル、大トガケ、大蟻、大蜘蛛、蜂の大群…。

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一行は、山中にある村の小学校を訪れる。
イスラム教徒の住民たちが歓待、ゲリラ兵も人質たちも子供たちに触れ
束の間、疲労したからだと心が癒される。
そしてまた密林の中の移動へ…。

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ある日、人質のソーシャルワーカー、テレーズは、光射す林の中で鳥を見る。
この世のものとは思えないほどに美しい、フウチョウ(極楽鳥)である。
現実か幻覚かすでにわからない。

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例によって突然、密林に入り込んだ政府軍が襲撃してくる。

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次々にゲリラ兵士が倒れ、人質が斃れていく中、

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テレーズが救出されたところで映画は、不意に、終わる。


はじめに事件の背景と概略を書いてしまったが、
何の予備知識もなく観はじめたらたぶんこの映画がいったい何なのか
よくわからないのではないかと思う。
私が書いたようなことは一切説明されていないからだ。

にもかかわらずこの映画は
観る者を映画の中へ引きずりこむ凄いチカラを持っている。
まるで密林を知らない者を密林の中へ引きずり込むかのような。

だからと言って感動するかと言ったらたぶん誰も感動しないのではないか
と思う(笑)。カタルシスを目的には描かれていないからだ。

すこし言いかえると、
ここで描かれているのはどこまで行ってもただの「現象」なのである。
物語ではないし、ましてメンドーサ監督が語る「事実」でもない。

監督は公式サイトのインタビューの中で、
映画の中の出来事は自分が綿密に調べた「事実に基づいている」と
言っているが、

あらゆる「事実」とは、
ある現象を観る者が自分の中で組み立てた「物語」なのである。
その人間が組み立てた虚構、世界でしかない。
ひとをそれを事実として理解し、その事実を、つまりは物語を生きようと
しているだけである。

そしてそれは人間の宿命だ。そうしなければ人間にとって
この世界はただ「暴風の吹き荒れる闇の世界」であるにすぎず、
生き難い「密林の世界」「混沌の世界」であるにすぎないからだ。
つまり、生きられないからだ。

にもかかわらずメンドーサ監督は
果敢にその生きられない世界を描きだそうとしているのである。

つまり、出来事をできるだけ物語化しないで、
できるだけ現象を現象としてだけ描きだそうと考えたのだ。

そのことをかれは「事実に基づく映画」ということで言い表したかったのだ
と考えるのが一番いいと思う。

そう言えるのは、言うまでもなく、
ここでは物語化が最小限に抑えられているからだ。
物語映画としては、ほとんど「未成」のまま終わっているからだ。

そしてそうしたのはむろん物語を作るチカラがないからではなく、
意図的にそうしようと務めたからである。

私はこの映画で唯一失敗したのは、イザベル・ユペールをキャスティングし、
テレーズ・ブルゴワンというフランス人を虚構人物として加えてしまったことだ
と思う。

かれは、「彼女の役は
アブ・サヤフの組織と誘拐の内情を観客に見せるために必要でした」
と語っているが、じつは少しもそうなっていない。

こうした事件に不意に巻き込まれた場合、誰もが
なんだかわからない自分を取り囲んでいる出来事を、
得た情報で自分に理解のできる出来事として、物語として構築しようとする
はずである。

そうしなければ前述のように生きられないからだが、
このテレーズという女性はほとんどそれを放棄しているとしか思えない。

たしかに彼女のフレームを中心に構成されてはいるが、
彼女が事件を組み立て、彼女の物語視線によってこの映画の世界が
組み立てられている訳ではない。

彼女はむしろ事件の物語を組み立てられず、
ほかの人質同様、ただ密林の中を彷徨っているにすぎない。
どう観てもそういうふうにしか見えない。
このフランス女性、ちょっと阿呆なのかなあと思えかねないほど(笑)。

でも演じてるのがイザベル・ユペールという世界的女優なものだから、
誰もが、いやそんなはずがない、阿呆なはずがない、と期待してしまう。
でもテレーズがいかにもフランスの知的な女性らしく物語を組み立ててくれない
ものだから、観る側は、なんなんだ、この映画は、面白いけど訳わからん
ということになってしまっているのだと思う(笑)。

私は監督の狙いはもともと、
「アブ・サヤフの組織と誘拐の内情を観客に見せ」たかったのではなく、

このゲリラ兵士たちや政府軍兵に限らず、人質も、フィリピン国民も、
そしてひいてはこの世界を生きている人々は自分を含めてみな、
未成の物語を、未成の世界を、「密林の世界」を生きているのではないか
ということを描きたかったのだと思っている。

その意味ではテレーズという虚構の人物は必要なかったし、
ましてイザベル・ユペールを使ったのが傷を大きくしたかなと思う。

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未成の世界、密林の世界で生きる蜘蛛。戦う蜘蛛たち。

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私たちと、この蜘蛛たちのいったいどこが違うというのか。

「アブ・サヤフ」の起こしたパラワン島観光客20人誘拐事件を借りて
メンドーサ監督が描きたかったのはそのことではなかったのか。
そう考えると
この映画はとてもすっきりと理解できるような気がする。


●sinoさん
「カメラ片手に田んぼのある所まで来て、
田んぼの向こう端にマッチ箱のように並ぶ家々に
夕日が照り返してるのをボンヤリ見ていたら、
ああ、あんなオモチャみたいな家にも、きっとドラマはあるんだな~」と。
いやあ、sinoさんらしくていいなあ。
私は若い頃、なんで自分はこんなに「退屈」なんだろうと
思っていました。で、あとでようやくその風景、光景に「物語」を
想像できなかったからだと気づいて、愕然としました。
おかげで以来、退屈をするということはまったくなくなりましたが(笑)。

●月見草さん
お久しぶりです。私は孫の楽しみを知りません。
大変だろうけど楽しいんでしょうねえ。義父母も
私の息子が遊びに行くのを一番楽しみにしていたようなので。

月見草さん、新聞やテレビの見過ぎなんじゃないですか?(笑)
私もこの30年、病んだ子たちという「現実」と付き合いつづけ、
もう毎日が息苦しく、ぐったりでしたから。
稽古場を畳んだいまは体調はあまりよくありませんが、
その息苦しさから解放されて人生初、ホッとした時間を楽しんでます(笑)。
まあ、日本の社会の息苦しさは誰もが感じているので、
「阿部なる男」(笑)はそれを利用して集団自衛権を目論んだんじゃないか、
この息苦しさを突破するには戦争をやるしかないと、とも思っています。

「最近のてつさん哲学的でちょっとむずかしいなぁ」?
え~と(笑)、私の場合、この現実から学んだものはあまりなくて、
ほとんどは文学や映画やその他の表現から学んだものです。
現実から解放してくれるものもそういう表現の世界でした。
最近は韓国映画があまり面白くなくなったのでその他の国の映画を、
それもできるだけいい映画を選んで書いています。
で、そういういい映画にはちゃんとお礼しなきゃと思い、
ついチカラが入ってしまうせいじゃないかなあと思います。
作る側からすると、そういう人間が誰か一人でもいてくれないと泣きたくなる
という気持ちがよくわかるものですから。すいません(笑)。

ありがとうございました。


■120分 フランス/フィリピン/ドイツ/イギリス ドラマ
監督: ブリランテ・メンドーサ
製作: ディディエ・コステ
撮影: オディッシー・フローレス
音楽: テリーサ・バローゾ
出演
イザベル・ユペール テレーズ・ブルゴワン
カティ・ムルヴィル
マルク・ザネッタ
ルスティカ・カルピオ
マリア・イサベル・ロペス
ココ・マルティン

2001年5月、世界有数のリゾート地であるフィリピン・パラワン島。
各国からこの地を訪れた観光客が滞在する高級ホテルに夜半、 イスラム原理主義アブ・サヤフグループが押し入り、21人の観光客が誘拐された。
その中にはたまたまこの島に立ち寄り、 事件に巻き込まれてしまったフランス系非営利団体のソーシャルワーカー、テレーズ・ブルゴワンと同僚のソルダットもいた。
人質たちは小さなボートに乗せられ、ミンダナオ島・バシランへと向かう。
道中、アブ・サヤフにイスラムの掟を説明され、 さらにそれぞれの身分といくら身代金を出せるかを問い詰められる人質たち。 彼らの脳裏には、連れ去られる途中で見た殺人の衝撃が残っており、さらに恐怖と緊張とで抵抗する意思をなくしていた。
 
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この記事へのコメント

sino
2014年08月20日 00:34
あらゆる「事実」とは、自分の中で組み立てた「物語」なのである。つまりは「事実」という名の「物語」を生きようとしているだけ・・・。

いつか山崎さんに質問したいと思っていたのです。「物語」をなぜ欲するのか?という事を。どうしてビョンホンなんかにハマってしまったのか?という事を。我が町、良い所だと思っているのに、カメラ片手に田んぼのある所まで来て、田んぼの向こう端にマッチ箱のように並ぶ家々に
夕日が照り返してるのをボンヤリ見ていたら、ああ、あんなオモチャみたいな家にも、きっとドラマはあるんだな~・・・、取り立てて、そう思ってでもみないと、まるでこの町には、物語が無いと思ってしまっている自分ってどうかしてるんじゃないだろうか?。しかも何故「物語」なんて単語が出てくるんだろう?。そんな時期がありましたね。
実際、何もかもに物臭な私は、突き詰めて考える事はしないけれど「物語」と思ったのには訳のあることだろう。頭の良い人にはきっと答えが分かっていることだろうと思っていました。答えはやはり山崎さんが下さった。察しの悪い頭なので咀嚼は出来てないかも知れませんが、キャッチ出来ただけでも嬉しいです。
月見草
2014年08月20日 23:20
山崎さん、sinoさんお久しぶりです!

「事実は小説より奇なり」と言いますが、毎日毎日のニュースがほんとに物語そのもので、映画や小説はほんの断面に過ぎないのでは・・・・・と思えるくらいいろんな事がありますね!孫が帰ってほっとしたような寂しいような気分でてつさんのブログ訪れてます。
sinoさんのコメントも読むことが出来、なんか嬉しくなってしまいました。
最近のてつさん哲学的でちょっとむずかしいなぁ~と思ってますが、ひとつの事件があらゆる角度から物語が成立し、いく通りもの真実があるような・・・・最近そんな感じを受けていたので、深く考えることをしない月見草でも、何となく息苦しさを感じてます。
生きていくことがしんどいなぁ~と思いながら還暦も過ぎ古稀にも近づいてますが、最近は映画や小説よりテレビや新聞の報道が逆に映画的で架空の絵空事のような・・・・・そんな恐怖とホラーの世界を感じます。
もう少しおおらかでで包容力のあるいいかげんな世の中になってもいいのでは・・・・月見草の偏見でしょうか?

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