歌行燈_2 (1960) 大映

[1075]名匠・衣笠貞之助が山本富士子と市川雷蔵で綴った名作


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お袖が喜多八の常泊している宿を訪ねると、
昨夜から帰らない、どうせ旅から旅の男だよ、とおかみは言った。
お常は、帰ったら私が訪ねたことを伝えてくれと頼み、辞した。

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お袖の様子を訝り、仲良しの技芸・おけいが心配すると、
お袖は訳を話した。

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雨降る翌早暁、お袖はまた森を訪れたが、
やはり喜多八は姿を現わさなかった。

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そして翌早暁も…。

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心落ち、ひとり森に坐していると、
漂う霧の向こうからお袖のからだに喜多八の謡が聞こえた。

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お袖は心狂おしくひとり舞った。

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喜多八と、いまは亡き父の前で舞った。
夢幻の舞いを…、
あたかも海女が心の宝を竜宮へ取り返しに行くかのように
「玉ノ段」の仕舞いを。

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そうしてそのまま森の中に倒れ伏した。

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目を覚ますとそこは島屋だった。
たまたま森に入った男が発見し、島屋の芸妓だと運んだのだった。

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病が癒えたお袖は勝手へ水を含みに降りた。
そうして床へ戻る途中、棚の上に置き忘れてある殺鼠剤を目にすると、
目を掠めて盗み、懐にした。

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喜多八は実は警察に拘留されていた。
約束の日の前夜、地回りの男とたまたま喧嘩になり、
弾みで怪我を負わせたのだ。

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島屋では身受けされることになったお袖の門出を祝い、
ささやかな祝宴がなされたが、お袖はすでに死を決めていた。

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ようやく拘留の解けた喜多八が宿へ戻ると、
おかみにお袖が訪ねてきたことを知らされた。

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喜多八が島屋を訪ね、お袖に会いたいと伝えると、
親方は、お袖は身受けされてここにはもういないと追い払った。

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喜多八は他所へ角付に行くことにし、したたかに飲んだ。
お袖を忘れるために。

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その夜、お袖は睦屋宗平の座敷へ上がったが、
睦屋は急用で姿を見せずからだが空いた。
店の者に今夜は忙しいので別の座敷へ上がってくれないかと頼まれ、
上がることにした。
客が能に所縁のある者だと知ったからである。

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座敷の客は
喜多八の父・恩地源三郎と、一門の辺見雪叟(信欣三)だった。

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店を出た喜多八は、
幼い娘に手を引かれ、笛を吹き、街を流し歩く按摩の姿を見た。
お袖親子を思い出し、喜多八は堪らず路地を駈けだした。

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お袖は源三郎と辺見雪叟に伊勢の歌でもと所望されるが、
芸事ができない、私は今夜でこの街を去ります、
一生の思い出に私の仕舞いを観ていただけませんかと願い出、
「玉ノ段」を謡い、舞いはじめる。

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源三郎は、お袖の謡と仕舞いにただならぬものを感じ、
私が謡いましょうと自ら地の謡をつとめ始めた。
雪叟も鼓を取り出し、打つ。

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二人にはすぐにわかったのだ、
お袖の謡と仕舞いが喜多八のものであることが。

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舞うお袖の帯の間から殺鼠剤が落ちる。
お袖は気づかず舞い続ける。

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酔っていつの間にか路地裏で眠っていた喜多八の前に、
不意に亡き宗山が現れた。

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目をこすると目の前にいたのは見知らぬ按摩だった。
目の醒めた喜多八の耳に地の謡と鼓の音が聞こえてきた。

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聞きなれた謡と鼓だった。
喜多八は声と音を求めて路地を急ぎ歩いた。

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畳に落ちた殺鼠剤を前に源三郎はお袖に言った。
命を絶つ勇気があるなら、なぜもう一息深く考えて強く生きようとしないのだ。
芸に一身を込めて生き抜くのもそのひとつ。

だが私も詫びねばならぬ。
そなたにこんなに苦労をかけたのは元はと言えば喜多八から出たこと。
今後のことは一切私が引き受ける、と。
お袖は源三郎の言葉を聞き驚いた。

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塀の外から「玉ノ段」の地の謡が聞こえてきた。

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父の謡と雪叟の鼓を求める喜多八の声だった。

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お袖も源三郎も気づいた。
源三郎は言った。
お袖さん、亡き宗山殿に手向けをしよう、と。

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源三郎が謡うと、お袖は再び舞い始めた。

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庭に喜多八の姿が現れた。

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源三郎は言った。
お袖さん、行って喜多八を連れてきておくれ、と。

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お袖は庭へ出た。

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抱き合うお袖と喜多八に、ハラハラと白梅の花が舞い降りた…。


この「歌行燈」、実は1943年に
成瀬巳喜男も山田五十鈴と花柳章太郎で映画化している。
そちらはこのラストシーンは恩地親子の再会に主眼が置かれている。
この衣笠貞之助版がラブロマンスになっているのは、
お袖(原本「三重」)に山本富士子を起用しているからだろう。

仕舞いも山田五十鈴に比べると
山本富士子は素人ぽさを免れないが、
それはそれで私にはとても新鮮で魅力的に映る。(^^♪

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しかし美しい。
久しぶりに観たのだが、緊張感溢れる映像の美しさに魅入られて、
ほんと最後までじっと見入ってしまう。(^^♪

この緊張感も美しさもオールセットに負うのだろう。
画面の隅から隅まで手作りなので造るほうは手が抜けない。
お蔭で観るほうも手が抜けない。隅から隅までじっと観てしまう。
創る側と観る側の真剣勝負。楽しいねえ。(^^♪

先に上げた黒沢明の「赤ひげ」もそうだったが、
オールセットの映画の世界はいわば閉じられた世界。
譬えれば「スノードーム」の世界。
結果、映画そのものがとても愛おしいものになる。

とりわけヌーヴェルバーグ以降、
映画の中心はロケ撮影になってしまった感があるが、
いまみたいに途方もなく世界が、社会が外側に開かれてしまうと、
よほど注意しない限りロケ撮影は間抜けて緊張感がなくなる。

実際、映画が停滞した大きな一因はそこにあるんじゃないかと
私は思ってるくらいなのだが、
そうなるとこうしたオールセットの映画、「スノードーム」映画のほうが
戦略的には俄然有利になってくるんじゃないかな。

こうした美術セットの前に立つと、
俳優もロケ地の前に立つよりはるかに緊張するだろうし。

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おまけ。おらが市川雷蔵。(^^♪
女だけけではない。男だって美しいのだ。
美意識のない俳優、弛緩した俳優などおらは観たくない。(^^♪


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■114分 日本 ドラマ
監督 衣笠貞之助
脚色 衣笠貞之助 、 相良準
原作 泉鏡花
企画 中代富士男
製作 永田雅一
撮影 渡辺公夫
美術 下河原友雄
音楽 齋藤一郎
録音 橋本国雄
照明 泉正蔵
出演
お袖 山本富士子
恩地喜多八 市川雷蔵
恩地源三郎 柳永二郎
辺見雪叟 信欣三
宗山 荒木忍
おけい 小野道子
お幸 賀原夏子
お秀 浦辺粂子
今村屋彦七 小沢栄太郎
本田 佐野浅夫
笹野 中条静夫
箕部 武江泰雄
おます 倉田マユミ
おこい 角梨枝子
おしも 町田博子
千代丸 加治夏子
鉄砲松 見明凡太朗
銀次 守田学

時は明治三十年代、所は伊勢の山田に東京から観世流家元恩地源三郎の嫡子喜多八を迎えて家元連中の奉納能が華やかに行われた。
盲目の謡曲指南宗山は昔の娘のお袖と二人町を歩いた按摩だったが、今は妾を二人もつ町一番の師匠だった。恩地親子の権勢を面白からず思う宗山を、旅姿に扮した喜多八が訪ね、田舎天狗の鼻をへし折って立ち去った。自分の芸に自信を失った宗山は古井戸に身を投げて果てた。
源三郎は喜多八を謡曲界から破門して宗山に詑びた。
焼香に来た喜多八は、美しく気性の勝ったお袖を一目で愛したが、その日より諸国を門付して歩く身となった。
芸妓に身をおとしたお袖は、父を思うと一切芸事には身が入らなかった。芸の出来ない芸者は惨めだった。
桑名の島屋に抱えられた或る夜、門付して地廻りに叩きつけられる喜多八に会った。安宿で介抱するお袖は父の仇も忘れて喜多八を愛した。
お袖が仕舞の稽古を頼むと、以来父より謡を禁じられた喜多八は喜んで引受けた。早暁の裏山で二人のきびしい稽古は続いた。そして、お袖の舞う“玉の段”が仕上る時、それは二人の新しい生活の始まる日だった。
お袖に睦屋の旦那の身請け話が起った。地廻りと喧嘩して留置された喜多八は、約束の朝、現われなかった。絶望したお袖は覚悟の殺鼠剤を帯にはさむと睦屋の座敷に出向いた。睦屋は急用で出かけた後だった。
お袖が別の座敷に出たのは、能に関係ある客と聞いたからだった。客は恩地源三郎と小鼓の師匠辺見雪叟の二人だった。喜多八の父と知らず、お袖が“玉の段”を舞った時、その見事さに源三郎は地の謡を、雪叟は鼓をつとめた。
鼓の音に魅入られたように、喜多八の姿が近づいた。
かたくだき合ったお袖と喜多八の体に傍の白梅が散った。

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