はじまりのみち (2013) 日本

[1078]ああ、この日本に「はじまりのみち」はありやなしや

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松竹が木下惠介生誕100年プロジェクトの一つとして製作した映画。
監督は「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」などの
アニメ作品で知られる原恵一。初めての実写作品なのだそうだ。

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昭和19年、木下は国策映画「陸軍」を撮る。
が、ラストシーンの母親が「女々しい」とクレームをつけられ、
次回作はキャンセルされる。

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木下(加瀬亮)は怒り、城戸四郎(大杉漣)に辞表を提出。

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ひとり郷里の浜松市へ戻る。

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実家は空襲に見舞われ、家族は郊外の気賀へ移り住んでいた。
母・たま(田中裕子)はそこで療養中だった。

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空襲で焼けた街を見る木下。

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木下家は空襲の激化に伴い、
山間の気多村勝坂に住んでいる親族のもとへ疎開することにする。
母・たまはバスに乗せることもできないので、
木下と兄・敏三(ユースケ・サンタマリア)とでリヤカーで運ぶことに。

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途中の気田から森林鉄道のトロッコが利用できるとはいえ、
その距離およそ60kmである。
これは大変なことになったなと私も思う。

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深夜、荷物を運ぶために雇った若い便利屋(濱田岳)を連れ、
リヤカー2台で出発する。

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朝日を拝する四人。
時期的には初夏なはずなのだが、なんだか秋の気配が漂っている(笑)。
あとで調べるとロケは実際11月に行われたのだそうだ。(^^♪

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引き(遠景)の絵はこのシーンくらいだったかな?
木下の素晴らしい遠景映像を堪能してきた私からすると、
近景・中景ばかりの映画はテレビドラマみたいに見えて困ってしまう(^^♪
カメラを引いてしまうと、余計なものがいっぱい映ってしまうからなのかな。
わからない。

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途中、夕立に遇う。

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出発前、母をリヤカーに乗せて山道を登るのは大変だ
と、私も含め全員大騒ぎだったはずなのだが、

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そんなに大変そうに見えず、結構あっさりと宿へ着いてしまった。
いくらなんでもこれは拙いんじゃないかなあと思う。
この映画、木下が母を乗せて60kmの山道を歩いたという
苦難が売りだったはずなのに(^^♪

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木下は、部屋へ運ぶ前に母のからだを拭いてあげる。
感動を煽るような音楽が入り、私は「う…」となる。
木下は絶対にそういう安っぽい音楽の使い方はしなかったからだ(^^♪

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トロッコは翌々日にならないと動かないとわかり、
宿でもう一日を過ごすことになる。兄・敏三が便利屋に
約束にない同行を頼むと、便利屋はここで帰ると言い張る。
が、宿屋の若い娘たちと親しくなってあっさり前言を翻す(^^♪

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翌日、木下が散歩に出ると便利屋がそばにやってきて言う。
頑張るおまえをちょっと見直したべ。
映画館で働いてるそうだが、「陸軍」という映画を見たか。
あのラストシーンはめちゃ感動的だったぞ。いい映画だった。
うん、親の気持ちがよく伝わってきたべ、と。

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突然、「陸軍」のラストシーンが7分ほど流れる。
私はアチャーとなる。
あの名シーンを流したらあなた、
この映画がいかに出来が悪いか露骨にわかってまうではないか。
どうしても挿入したいんだったらなんでこの映画を白黒で撮らんのよ。
「陸軍」は昭和19年、この物語も直後の昭和20年なんだしさ。
白黒にすればどうしようもないセット、ロケ、俳優も
少しは誤魔化すことができたかも知れないのに、と思う(笑)。

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翌日、四人はリヤカーで気多村勝坂に向かう。

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私が楽しみにしていたトロッコのシーンはあっさりと省略され、
ほんとあっさりと目的地に到着する。
60kmという距離のはずだったのに、4、5kmにしか思えなかったなあ(^^♪

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ちなみに私がトロッコのシーンを楽しみにしていたのは、
子供の頃よくトロッコに乗って遊んでいたからである。
昭和20年代後半から30年代初めの話(^^♪

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便利屋は予想外の金をもらい、帰途につく。
しかしあざとい演技をする男だったなあ。
監督、よくあんな演技をさせるよなあと私は顔が真っ赤になったよ(^^♪

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母・たまは息子木下を呼び、紙に書いた言葉で伝える。
「あなたはここにいるべきではない。
また木下惠介の映画が見たい。
戦争はいつか終わるのだから
木下正吉から木下惠介に戻って映画を撮りなさい」

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もともと映画の大好きな木下は慟哭する。

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木下は暗いトンネルを抜け映画へと戻る。
あ、あまりにも説明的なラストシーンに私はまたも茫然となる。
アニメ監督だからこうなるのだろうか。わからない(^^♪
以後、木下がそれから撮った松竹作品の映像が流され、映画は終わる。
肝っ玉の小さいやつめ。松竹以外の作品も流せ!と私は憮然となる(^^♪

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私は映画フアンであり、木下恵介の熱狂的フアンである。
なので最後まで観たが、
まともな映画フアンなら途中で観るのをやめてしまうかもしれない。
残念ながらそんな映画である。
もっともこの映画に限らず私の観る邦画の大半がそうなのだが。

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ということは「戦争と一人の女」の時も言ったが、
底に横たわってるのは現在の日本の映画界、
ひいては日本の文化の問題だということである。
誰がどうのこうの言ってももうどうしようもない気がする。

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政治が政治なら映画も映画、
これがいまの日本の姿なのだと思うしかない。
すべてが連動しているのである。

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原恵一はどうしてアニメで撮らなかったのかと思う。
台本自体が正直、アニメ的な台本な訳だし、
生身の俳優を使ったら所詮この程度の映画で終わることは
目に見えていたような気がするのだが。

本編をアニメにして、
そこへ木下映画を流せば結構面白くなったのかもしれないのに
という気もするが、諸事情があったのか、所詮「目」がないひとなのか、
よく知らないのでわからない。

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映像は別にして私だったらどう演出したか。
おそらく本編を撮る前に、
木下が母を乗せてリヤカーで運んだという60kmの道のりを
10回くらい連続で役者たちに歩かせたと思う。
もちろん夜中に出発し、リヤカーを引かせてだ。
10回じゃ足りないか。30回くらい(^^♪

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そうでもしなければいまの俳優はとてもじゃないが、
当時のひとたちの心や体を表現できないからだ。
リヤカーを引ける体にならないからだ。

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実際、そのことを芝居の現場でこの30年、
私はいやというほど体験してきた。
一言でいえば、戦後以降に生まれた私たちは本当に何も苦労せずに
育ってきたからだ。心身ともに空っぽ。
それもありかなと一方では思うこともあるが(^^♪
いざ芝居をしよう、表現を目指そうと思うともうどうしようもないよね。
救いがない。

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で、私が取ってきた演出の方法はただひとつ。
稽古場を「地獄」にすることだ。
俳優は楽屋で異装をし、「奈落」を潜り、「賽の河原(舞台)」へと上がる訳だが、
奈落も地獄も知らない私たちは文字通り稽古場で地獄を味わうことでしか
賽の河原に立つことなどできないからだ。
観客の前に晒せる「身体」にならないからだ。

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私はそのことを間違いなく鈴木忠志に教わった。
文字通り地獄のような稽古を日々繰り返す鈴木忠志の稽古を見て。
本番の日さえそうだった。当時は早稲田小劇場と名乗っていたが、
昼間から竹刀片手に稽古をやり、そのまま本番をやり、
そうして本番が終わるとまた深夜まで稽古をやるのだ。

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一方で当然唐十郎にも教わった。
唐さんの場合は稽古は12時から17時までと
まるでサラリーマン生活みたいに規則正しいのだが(^^♪、
そのあと宴会、議論、ケンカと凄まじい地獄のような時間が日々続くのである。
時には24時間ぶっ通し。年の休みは年末年始3日間のみ(^^♪

私からするといまでも狂気乱舞したいほどの極楽体験だったのだが、
鈴木忠志にしろ唐十郎にしろ
その地獄のような時間と日々こそ「俳優修業」だと考えていた訳である。

当然、その時間を潜り抜けたものは
舞台上にいまでは考えられないほどの素晴らしい顔と体を晒した。

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二人のその「稽古」を体験した私は
そのまま稽古場を「地獄」にすることで俳優たちの体を
舞台に上がれる体にしようとしてきた訳だ、この30年。
おかげで誰よりも地獄の日々だった私の体はすでにボロボロ(^^♪

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それでも少し見せる芝居にできたかなと思うのは2~3割程度、
あとは本番中ですら中止した方がよいのではと落ち込む日々。

そんな時、いつも声をかけてくれたのが石川真希だった。
真希はいつもこう言った。
哲ちゃんにすればひどい舞台なんだろうけど、
ほかの舞台と比べたら転位の舞台はまるで別格。次元が違う。
若い子たちもほかの舞台の役者たちと比べたらモノが違う。
哲ちゃんよその舞台観ないからわからないのよ…。

まったく見なかった訳ではないが、
やってる時はよその舞台なんか知らん。関係ない!
という気持ちだよな(^^♪

しかしここ1、2年、
稽古から遠ざかってみると真希の言ったことが少しわかる。
最近の邦画を観ても、舞台を観ても、だよなあ、
ここまではどんな舞台であれ俺の舞台はひどくなかったよなと正直思う。

もう誰もが「地獄」を潜り抜けて人前に姿を晒すことなど
やっていないのである。
かくて私に残された揶揄する言葉は「狂人」(^^♪

私にはどうでもいいが、
でもどうでもいい映画や舞台には金も時間も使いたくないぜ
というのがささやかな本音だよね(^^♪


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■96分 松竹 ドラマ
監督 原恵一
脚本 原恵一
プロデューサー 石塚慶生 新垣弘隆
撮影 池内義浩
美術 西村貴志
音楽 富貴晴美
音楽プロデューサー 小野寺重之
出演
ナレーション  宮崎あおい
木下惠介  加瀬亮
木下たま  田中裕子
便利屋  濱田岳
木下敏三  ユースケ・サンタマリア
木下周吉  斉木しげる
庄平  光石研
こまん  濱田マリ
木下作代  山下リオ
木下芳子  藤村聖子
やゑ子  松岡茉優
義子  相楽樹
城戸四郎  大杉漣
学校の先生  宮崎あおい

政府から戦意高揚の国策映画づくりを映画界に要求されていた時代。木下惠介(加瀬亮)が昭和19年に監督した「陸軍」は、その役割を果たしていないとして当局から睨まれ、次回作の製作が中止になってしまう。夢を失った木下は松竹に辞表を提出、病気で倒れた母、たま(田中裕子)が療養している浜松市の気賀に向かった。失意の中、惠介はたまに「これからは木下惠介から本名の木下正吉に戻る」と告げる。しかし、戦局はいよいよ悪化の一途をたどり、気賀も安心の場所ではなくなってくる。惠介は山間の気田に疎開することを決め、その夏、一台のリヤカーに寝たままの母を、もう一台には身の回り品を乗せ、兄・敏三(ユースケ・サンタマリア)と、“便利屋さん”(濱田岳)と惠介の3人で、夜中の12時に気賀を出発し山越えをする。激しい雨の中、17時間歩き続け、ようやく見つけた宿で母の顔の泥をぬぐう惠介。疎開先に落ち着いて数日後、たまは不自由な体で惠介に手紙を書く。そこにはたどたどしい字で「また、木下惠介の映画が観たい」と書かれていた…。

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