処女の泉_2 (1960)  スウェーデン

[1079]神の沈黙と人間の信仰を問うベルイマンの記念碑的作品

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復讐を終えた夫テーレは神に祈る。
「神よ、許したえ」と。

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妻メレータはまだ幼い少年を胸にかき抱く。
許しを乞うかのように。

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小屋を出た彼らはすぐにカリンの亡き骸を探しに向かう。

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途中、メレータは夫に告白し、インゲリ同様、わが罪を悔いる。
「あの子をひとり占めしたかった。
あなたに甘えるのを見て嫉妬したわ。
だから罰が下ったのよ。私のせいよ」と。

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夫テーレは返す。
「罪のありかは神だけがご存じだ」と。

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一行は現場に到着する。
むごたらしく地に横たわるカリンを見てインゲリはわが罪を悔い、
目を背ける。

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メレータとテーレはわが子カリンを胸にかき抱く。

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テーレは烈しく神の「沈黙」を問う。
「神よ、なぜです。
見ておられたはずだ。罪なこ子の死と、私の復讐を。
だが黙っておられた。なぜなのです。私にはわからない」と。

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神の無慈悲に絶望しながらもテーレは誓う。
「だが私は許しを乞います。
でないと自分の行いに耐えられない。生きてゆけない。
ここに誓います。わが子の亡き骸の上に
神を称える教会を建てます。罪を償うために。
必ず建てます。モルタルと石の教会を。私のこの手で…」と。

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テーレとメレータはカリンをわが家へ連れ帰ろうと抱き起こす。

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と、その時突然、カリンが横たわっていた地から泉が湧きだす。

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一行は驚く。神の寵を目の当りにしたかのように。

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インゲリはその水を手に掬い、顔に注ぐ。
罪深きわが身を聖水で清めるかのように。

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母親メレータもその泉の水を娘カリンの顔に…。

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初めに言ったように、この物語は
エステルイェートランド地方に伝わるバラッド(歌)が原案である。
そのバラッドの中に、ラストシーンのような
「神の沈黙」への問いがあるのかどうかは知らない。

処女の泉と呼ばれる泉と、そのそばに教会があり、
その由来を語っているだけで、
神の沈黙にたいする問いかけはベルイマンが加えたような気もする。
その問いはいかにもベルイマン的主題だからだ。

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伝承されたきたバラッドは、
地域の土着信仰者たちがその信仰を捨て、
キリスト教へ帰依する姿を歌ったものではないかと私は疑っている訳だ(^^♪
人物で言えば、最後、湧きだす泉を見て土着信仰を捨て、
キリスト教徒に帰依するインゲリを歌ったものではないか、と。

実際、そうとでも考えないと
この物語でインゲリに課せられている役割はあまりにも大きすぎる。

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しかし神はなぜいつも「沈黙」するのか。
この作品に関する限りベルイマンの答えはかなり明快な感じがする。

テーレは問う。
神よ、あなたはなぜいつも沈黙するのか、と。
罪深き人間の愚かな行為を止めようともしない。
人間の問いに答えようともしない。
いつもただ沈黙を押し通すだけ。それはなぜなのか、と。

そしてそう問うたあとに告白する。
それでも私はあなたに許しを乞う。
でないと自分の行いに耐えられない。生きてゆけない。
わが子の亡き骸の上に神を称える教会を建てる。
自分の罪を償うために、と。

もし神が沈黙を破って人間の罪深き行いを止めたり、
あるいは人間の問いにそれはこうだとペラペラと答えたりしたら、
テーレはこうした問いを神に発し、
それでも私はあなたに許しを乞うと自らの罪を認め、
この手で教会を建てるとより深いキリスト教徒になっただろうか。
と、考えればよい(^^♪

テーレの神への問い、
そして自分の心への問いにすでに神は現れている訳だが、
もし神が沈黙を破ったらこうした神の表れ方はしないだろう。
人間は神と対話し、自己と対話しないだろう。精進しないだろう(^^♪
…というのがベルイマンの答えなのだと私は思う。

ともあれ見事な物語構成、映像の美しさ、演技の確かさ。
どれをとってもギリシア悲劇を目の当たりにしているかのような
極上の作品である。

え、まだ観てないの?
大変だ。はやく観なくちゃあ(笑)。


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■89分 スウェーデン ドラマ
監督 イングマール・ベルイマン
脚本 ウラ・イザクソン
撮影 スヴェン・ニクヴィスト
美術 P・A・ルンドグレン
音楽 エリク・ノルドグレン
編集 Oscar Rosander
出演
Father Tore  マックス・フォン・シドー
His Wife  ビルギッタ・ヴァルベルイ
Ingeri  グンネル・リンドブロム
Karin  ビルギッタ・ペテルソン
Thin Shepherd man Axel Duberg
Dumb Shepherd man  トル・イセダル
Begger  アラン・エドヴァル
Youag Shepherd man Ove Poratb
Ferry-boat man Axal Slangus
Maid Frida Gudrun Brost
Young farmer Simon  オスカー・ジャング
Tenant farmer 1  Tor Borong
Tenant farmer 2  レイフ・フォステンベルイ

16世紀のスウェーデン、片田舎の豪農の一人娘がある日曜日、遠方の教会にロウソクを捧げにいく。お供の養女は、今は邪教となったバイキングの古い信仰に傾倒しており、美しく世間知らずの娘に嫉妬して途中で同行を渋る。先に出発した娘は森で三人組の少年乞食に会い、弁当を振舞うが、その優しさが仇となって殺されてしまう。その後彼らは、豪農の家に一夜の宿を求めるが、娘から奪った衣服に気づいた豪農に報復される。
翌朝、娘の殺害現場に出向いた彼は、亡骸を見て泣き崩れる。そして、自分のしたむごい仕打ちを悔やみ、償いとしてこの地に教会を建設すると神に誓う。すると娘の死体の下から、こんこんと泉が溢れ出す…。
この上なく美しいバラッドの世界。復讐という概念を乗り越えてこそのキリスト教信仰を、ベルイマンは静謐な映像で問いただすのだ。

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