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zoom RSS 忍ぶ川_1 (1972) 東宝

<<   作成日時 : 2015/04/26 00:15   >>

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[1092]男と女の心は美しく懐かしい風景の中を歩くことで結ばれた

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東宝が俳優座の協力を得て創った作品。
熊井啓監督が惚れこんだ小説の映画化というだけあって、
とにかく映像が素晴らしい。
嬉しいよねえ(^^♪

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学生の哲郎(加藤剛)はある夜、寮生たちと
料亭「忍ぶ川」の看板の志乃(栗原小巻)を見に飲みに行き、
一目で惹かれる(^^♪

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ある時、深川の話になり、
志乃の生まれた街だということで二人して訪れることに。
いいよねえ、チンチン電車♪

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72年公開だから71、2年頃に撮影したんだと思うんだけど、
でもこの頃、深川に都電走ってたかなあ。
もう荒川線しか走ってなかったような気がするんだけど、
下町生まれのひと誰か教えてくれえ〜(^^♪

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哲郎の兄が木場で働いていたということで二人はまず木場へ。
うわっ、木場だよ、木場!と私はひとり騒ぐ(^^♪

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冒頭から私は大サービスである(^^♪
日本の家屋はやっぱり木にすべきだと思う。
木の香りに満ちた首都・東京。
そうなったら破局した日本は立ち直るかも知れないと
つい思わぬ妄想が私の中で立ちあがってしまった(^^♪

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哲郎の次兄(井川比佐志)はここで働き、哲郎の学資を
援助してくれたのだった。

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次兄はここで死んだと哲郎は語る。
井川比佐志。懐かしさのあまり私は抱きつきたくなる(^^♪

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志乃は手を合わせその次兄の冥福を祈る。
二人は志乃の生まれた洲崎パラダイスへ向かう。

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洲崎橋。

「洲崎」は現在「東陽一丁目」になっている。
私は日本全国、旧町名に戻すべきだと考えている。
洲崎と東陽一丁目、どっちが文化度、情緒度が高いか
誰にでもわかるはずだ(^^♪
私がもし総理大臣になったらそういう法律を作る。約束しよう(笑)。

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洲崎には吉原と並ぶ都内有数の遊廓があり、
戦後は「洲崎パラダイス」の名で遊客に親しまれていた。

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志乃の生まれた家の跡地にはすでに新しいビルが建っていた。

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実家はもともと射的屋で、
父親は落ちぶれた女郎の面倒をみたりしていたので、
「射的屋の先生」と呼ばれ町のひとたちに親しまれていた。
父親、誰だかわかるよね。信欣三さんだよ(^^♪

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志乃が12歳の時、戦争で一家は栃木へ移住。
志乃は病気がちの父と、弟や妹たちをおいてひとり東京へ
働きにきているのだと語った。
この橋は言問橋かな?

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二人はそのまま志乃が父親によく連れられて行ったという
浅草へ(^^♪

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浅草。映画も私も大出血サービスだよなあ。
パチンコ屋だってこんなにサービスしないぜ(^^♪

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志乃の生い立ちを聞いた哲郎はその夜、志乃に手紙を書く。

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次兄が死んだと嘘を言ってすみません。
本当のことを言います。

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私は六人兄弟の末っ子です。兄が二人、姉が三人。
上の姉二人はし自殺し、長兄は失踪。
次兄はしっかりもので私を大学へ入れてくれましたが、
3年前、木材会社を設立すると親、親戚に金を借りると
そのまま逐電。父はそのショックで脳溢血で倒れました。

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最初に次姉が自殺した日は、私の6才の誕生日の日で
以来私は誕生日を祝ったことがないのです、と。

哲郎も家族も、「呪われた血」だと内心怯えていたのである。

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志乃から返事が来る。
次の誕生日は私にお祝いさせて下さい、と。

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哲郎と志乃の気持ちは深く触れ合った。

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そして7月末、哲郎は友人から志乃には婚約者がいると
聞かされ、「忍ぶ川」に飛び込み、問いただした。

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志乃は白状する(^^♪
実は金を持った課長さんに結婚を申し込まれている、
父の面倒をもみるという条件で。
でも会っていても私は全然幸せではない、と。
哲郎は断固として言う、その話は断ってくれ、と(^^♪

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志乃は栃木へ帰り父に相談する。
われらが父も断固として言う。
条件付の結婚なんてもってのほかだ、好きな男と結婚しろ、と(^^♪
志乃は課長の話を断る。

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そして秋のおわり、志乃の父の容態が急変する。
志乃は哲郎に、ひと目、父にあってほしいと言付を残し、
栃木の父のもとへ。

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翌日、哲郎も追って志乃の実家へ。
実家は神社の一室を借りたものだった。

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志乃の父親は「いたらぬものですが、
志乃をよろしくお願い致します」と言い、息を引き取った。

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志乃は兄弟たちと父を埋葬。

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残された弟は住み込み職人として働くことに、
妹たちは遠縁の家へ引き取られていくことになった。


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■1972年 東宝 120分
監督 熊井啓
脚本 長谷部慶治 、 熊井啓
原作 三浦哲郎
製作 佐藤正之 、 椎野英之
撮影 黒田清巳
美術 木村威夫
音楽 松村禎三
編集 丹治光代
出演
志乃 栗原小巻
哲郎 加藤剛
哲郎の父 永田靖
哲郎の母 瀧花久子
文哉 可知靖之
次兄 井川比佐志
亜矢 山口果林
美那 片山まゆみ
香代 岩崎加根子
志乃の父 信欣三
志乃の母 阿部百合子
要 鹿野浩四郎
小夜子 大西加代子
おかみ 木村俊恵
木村幸房 滝田裕介

哲郎と志乃は料亭“忍ぶ川”で知りあった。志乃は“忍ぶ川”の看板娘だった。哲郎は初めての出合いから、彼女にひかれて、“忍ぶ川”に通った。ある夜、話が深川のことに及んだ時、志乃は、私の生まれた土地で、もう8年も行っていないと言う。哲郎は志乃を誘い、薮入りの日に深川を案内することになった。志乃は洲崎パラダイスにある射的屋の娘で、父はくるわでは“当り矢のせんせ”と呼ばれていた。志乃が12歳の時、戦争で一家は栃木へ移住、弟や妹たちをおいて、志乃は東京に働きに出ていたのである。深川から帰った夜、哲郎は志乃に手紙を書いた。〈今日、深川で言いそびれた私の兄弟のことを、ここにしるします。私は六人兄弟の末っ子です〉兄が二人、姉が三人いて、上の姉二人が自殺、長兄が失踪、次兄はしっかりものだったが、私を大学へ入れてくれたのも、深川にいたのもこの兄なのだが、3年前に自分で木材会社を設立するという名目で逐電した。そのショックで父は脳溢血で倒れた。一番最初に次姉が自殺した日が、よりによって私の6才の誕生日のときでそれ以来私は誕生日を祝ったことがない。あくる日、志乃から返事がもどって来た。〈来月の誕生日には私にお祝いさせて下さい。〉7月末、志乃に婚約者がいることを知らされた。志乃に問いただすと、婚約はしたけれど、気はすすまず、栃木の父も反対しているという。哲郎は志乃に、その人のことは破談にしてくれ、そして、お父さんにあんたの好みにあいそうな結婚の相手ができたと、いってやってくれと言うのだった。秋のおわり、志乃の父の容態が急変した。志乃は、ひと目、父にあってくれとことづけして栃木の父のもとへ−−。哲郎は、志乃のあとを追って行った。「いたらぬものですが、志乃のことはなにぶんよろしゅうお願い申します」といい残し志乃の父は死んだ。その年の大晦日、哲郎は志乃をつれ、夜行列車で上野を発ち、ふるさとへ−−。駅には哲郎の母が出迎え、家の前には体が悪いのに雪かきをして、父も待っていた。目の不自由な姉香代も志乃を気に入ってくれた。あくる二日、哲郎の家族だけで哲郎と志乃の結婚式があげられた。初夜。馬橇の鈴のさえた音に、二人は裸のまま、一枚の丹前にくるまり部屋をぬけでて、雨戸をほそ目にあけ、馬橇の通りすぎるのをいつまでも見ていた……。翌朝、新婚旅行に近くの温泉へ出かけることになった。汽車の中から志乃は「見える、見える、あたしのうち!」と子供のようにはしゃぐのだった。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
懐かしい木場の風景に涙してしまいました(T ^ T)

ところで文中に都電が深川周辺にいつ頃まで走っていたかという質問がありましたが、1962年生まれの私の記憶では、この頃がギリギリ都電が走っていた時期だと思います。

私が中学に入学して通学するようになった時は、現在の清澄白河駅周辺から門前仲町まではバスになっていましたので、1974年頃にはありませんでした。

参考にしてくださると幸いです。
こーぢ
2016/02/09 16:43
そうか。まだ走ってたんですね。私は1970年に上京して都内で暮らし始めたんですが、少し東京に慣れて下町まで足を運び始めたのは70年代中ごろでした。知ってれば深川の都電に乗れたのにと思うと、涙です(^^♪ ありがとうございました。
てつ
2016/02/12 11:36

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