墨東綺譚_3 (1992) 日本

[1093]荷風文学を見事に映像化した新藤兼人監督にただ感謝あるのみ(^^♪

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永井はひとり偏奇館に暮らし、日記を書き続けた。
「昭和20年(1945年)1月18日、晴れ、無事。
木炭の配給なきため近隣いずくも取り壊し家屋の古板を
広い来たりて飯を炊き終えり」
そうして心で呟いた。「お雪、如何せしや」

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「3月9日。残る蚊に額さされしわが血汐」

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血汐と記すと、荷風の脳裏にお雪の姿が思い浮かんだ。
「いま一度」そう思って外出着に着替えようとした時、
空襲警報が鳴り響いた。

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玉ノ井のお雪もサイレンの響きに驚き飛び起きた。

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慌ててまさの家へ駆け込み、手を引き、
玉ノ井の路地を町の人たちとともに逃げ惑った。

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3月10日、未明4時、
いったん家を出るが永井は引き返し、
偏奇館が焼け落ちるのを自分の目でしかと確かめた。

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気づくと東京一帯は焦土と化し、
お雪の家も、色里・玉ノ井も、すべてが焼き失せていた…。

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「赤いリンゴにくちびる寄せて
だまって見ている青い空」
永井はリンゴの歌が流れる敗戦後の街中を、
昔のようにこうもり傘を手に歩いた。

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そばを女二人が笑いながら行き過ぎた。

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女たちはふと立ち止まり、すれ違った男の背を振り返った。
女が言った、「永井さんじゃないかしら」
もうひとりの女が言った、「違うだろう」
「だってあのこうもり傘」「ヨボヨボじゃないか」

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女たちは、お雪とまさだった。

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二人は進駐軍を相手に商売を続けていた。
お雪は焼き芋を包んでいた新聞に目が行った。

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そこには文化勲章を受章した永井の写真と名があった。
1952年(昭和27年)11月のことだ。
お雪が永井の写真を指して
「これ、あの人に似てない」と言うと、まさがまた言った。
「違うだろう。あの男、エロ写真屋だろう」
「そうね」とお雪は言い、新聞を捨て、焼き芋を食べ始めた。
二人にとって永井は自分たちと同じ位置にいる男だった(^^♪

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「昭和34年3月1日、日曜日、正午、浅草。
病魔、歩行困難となれり」(断腸亭日乗)

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「4月2日、晴れ、千葉県市川市郵便局にて
文化賞45万円受け取れり」

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「4月19日、正午。
京成電車八幡駅近くの大黒屋にて昼食。かつ丼」

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「4月29日、祭日、曇り」
永井は日の丸の国旗を玄関先に掲揚した。

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永井荷風の中に、敗戦を契機に
神から人間の位置へと降りた昭和天皇に対する敬愛の念が
あったのかどうか、あるいはただ庶民がそうするから
そうしただけなのかどうか、私は知らない。

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翌昭和34年4月30日、永井は…、荷風は死んだ。
無縁仏になった吉原の遊女たちと同じように、
誰に看取られることもなく、ただひとり、市川の借家にて死んだ。
享年79歳。死因は胃潰瘍だった…。

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津川雅彦の永井荷風には正直、
歳月が流れたいまも違和感を拭いきれないのは確かだ。
私は荷風ファンで顔写真もよく見てるし、
津川雅彦は誰がどう見たって荷風というより津川雅彦本人
というしかない存在だからである(^^♪

本人のキャラが強すぎるからだが、
戦後のシーンは結構うまく化けているのだから、
前半からそれをやってくれれば良かったのにと私は思う(^^♪
まあ本人にも俺のキャラじゃないよなあという自覚が
最初からあっただろうが(笑)。

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しかし墨田ユキが素晴らしい。本当に素晴らしい。
津川雅彦の永井荷風に対する違和感も帳消しにして
お釣りがくるほど素晴らしい(^^♪

もともとAV女優で、
オーディションを受けて新藤兼人の目に留まったようなのだが、
演技の素人ぽさ、色事の素人ぽさが
まさに隅田川に咲いた一輪の白い野バラのようだ(^^♪
たぶん物事に慣れることのできない、稀有な資質と
才能を持った女優なのだろう。
この1本で鮮烈に私の記憶の中に残っている。

新藤兼人にも改めて脱帽する。
漱石の「こころ」は時代と添い寝をして大失敗だったが、
その教訓を得て荷風同様、
1992年という時代から戦前・戦後へと退行し、
荷風文学を見事に映像化してみせている。

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墨田ユキという新人の周りに、
乙羽信子、杉村春子、佐藤慶、井川比佐志 、
河原崎長一郎、 戸浦六宏、浜村純といった
大ベテランたちを配しえたのも成功の大きなチカラだと思う。
新藤兼人のほかに誰がこの素晴らしき俳優たちを使えたかと
私はもう嬉しくて嬉しくてしょうがないわなあ(^^♪

現在から昭和の激動期へと、それも荷風へと退行し、
AV女優だった新人の墨田ユキと、ある意味
映画界の現在から排せられたベテランたちを配することで
時代をもっとも鋭く批評する映画となった新藤監督の
まさに大傑作である。

監督に私はただ頭を垂れ、感謝するのみだよ(^^♪

あ、上の叔父さん誰だかわかるよね💛

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■116分 日本 ドラマ
監督 新藤兼人
脚本 新藤兼人
原作 永井荷風
企画 多賀祥介
プロデューサー 新藤次郎 、 赤司学文
撮影 三宅義行
美術 重田重盛
音楽 林光
出演
永井荷風 津川雅彦
お雪 墨田ユキ
お久 宮崎美子
お歌 瀬尾智美
黒沢きみ 八神康子
荷風の母 杉村春子
まさ 乙羽信子
鳥居坂署の刑事 佐藤慶
菊地寛 井川比佐志
竹さん 河原崎長一郎
取り巻き 戸浦六宏
中年の男 上田耕一
たかりの壮漢 河原崎次郎
素見客 樋浦勉
まさの息子・悟 大森嘉之
鮫やのおじさん 浜村純
永井素川 原田大二郎
艶歌師 角川博

1879年、良家の長男として生まれ育った荷風(津川雅彦)は父の意向に反し、早くから文学の道を志した。荷風文学の真髄は女性を描くことで、特に社会の底辺に生きる女性達に目が向けられた。そのため紅燈に親しむことも多く、荷風は文人たちから遊蕩児とみなされた。文壇という特殊世界に入って文士と交わることを嫌い、究極において紳士である荷風は、常に女性から手痛い被害を被る。それは女性に真の愛を求める荷風の人生への探究でもあった。やがて玉ノ井のお雪(墨田ユキ)と出会った荷風は、社会底辺の世界に生きながらも清らかな心をもった彼女に、運命的なものを感じる。しかし、57歳の荷風にとって、年のひらきのあるお雪と結婚するには、互いの境遇が違い過ぎた。それでもお雪の純情さに惹かれた荷風は、彼女と結婚の約束をする。だが、昭和20年3月10日。東京大空襲の戦火に巻き込まれて、2人は別れ別れになってしまう。戦後、昭和27年のある日、お雪は新聞で荷風が文化勲章受章者の中にいるのを見て驚くが、あの人がまさかこんな偉い人ではないだろうと、人違いだときめてしまう。そして2人は二度と出会うことはなかった。それでも孤独の中に信ずる道を歩き続けた荷風は、昭和34年4月30日、市川在の茅屋で誰に看取られることなく80歳の生涯を終えるのだった。

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