ギー藤田監督「代引き」

[1084] この映画の凄さは一言でいえば徹底した「緩さ」の中にある

画像



ギー藤田監督の14分という短編映画である。
「THE LOST RUMBLER」から一転、劇映画なのだが、
これがまたひじょうに面白くて私の超お気に入りである。

セキヤという男がいる。

画像

この男である。
彼は六帖一間でほかの男三人と雑居暮らしをしている。

画像
画像

三人はいわばニートで、アパートを借りる金もないので
これ幸いとセキヤの部屋に寝泊まりしてるのだろう(^^♪

画像

ある日なのかその日なのかよくわからないが、
大家さんが家賃を取りにアパートへやってくる。
セキヤは六ケ月分の家賃を滞納しているのだ。

画像

当然払える金などないからセキヤは玄関に出ず、
部屋の隅っこで布団を被り小さくなるのだが、
この大家さんがなんとまあ滅茶苦茶秀逸である。

画像

ドアをノックしながらこう声をかけるのだ。
「セキヤさん、頑張ってください。応援してますよ。
いらっしゃるんでしょう? 頑張ってください。応援してますから」

私は大爆笑である。
頑張って仕事を見つけて働くことを応援してるのか、
六ケ月分の家賃を自分に払ってくれることを応援してるのか、
はたまた働かずにニートし続けることを応援してるのか、
さっぱりわからないからだ(笑)。

画像

居留守をすると今度は、
セキヤがテレビショッピングで買ったというエクサボディの
代引き商品を届けに配達員が玄関先に現れる。

なんでエクサボディなのよ。無用じゃねえか。
第一、こら、部屋にテレビなんかねえじゃねえかと思うが、
とりあえずそれは不問に伏そう(笑)。

画像

代引き金は19,800円である。
自分の金をかき集めて払おうとするが、20円足りない。
そこでセキヤは配達員に尋ねる、「ちょうどじゃないとダメですよね」(^^♪

画像

配達員がバカ正直に答える、「だめです」
「20円足りないんですが負けてもらえませんか」
「代引きですから」
私はまたも大爆笑である(^^♪

画像

腹を空かして寝ていたチビが起きてきて事情を知ると、
寝てる巨大男と沈黙男のポケットから金をかき集め、
合計18円をセキヤに渡す(^^♪

画像

セキヤは配達員に言う、「2円足りないんですが大丈夫ですか」
「代引きですから。申し訳ありませんね」(爆笑)
セキヤは仕方なくまた夕方に来てくれと配達員を返す。

画像

目覚めた巨大男は事の次第を知ると、
テーブル上にあるセキヤの1万円を鷲掴みにし、
「よし、俺がコレを夕方までに増やしてきてやる」とアパートを出る。

しかしおまえら、金がないと言いながら
そのテーブル上の飲み食いの跡は何なんだあ~!(^^♪

画像

巨大男と、巨大男にくっついて行くチビ男。
平成清水港のフリークス、無用の大政小政
といった感じでこれまた驚くほど秀逸なんだよなあ。
嬉しいねえ(^^♪

ちなみに巨大男は元プロレスラーの安田忠夫、
おチビは自称・声優アイコ(神いっき)。
あるサイトを覗くと神いっきは生物学的性別は女性で、
性の自己意識が男性という性同一性障害なのだそうだ。

画像

巨大男が向かった先は言うまでもなくパチンコ(^^♪
大当たりであっという間に箱が山みたく積まれる。

画像

チビは快哉を上げてセキヤと無口男に報告し、
早速通りへ飛び出し前祝い。
三人でたらふく3ケ月分の飲み食いをする(^^♪

画像

そしてあまりの満腹感で幸せ、広場でゴロ寝。
ちなみにこの撮影は一日で、場所は高円寺なんだと(^^♪

画像

だが人生、一寸先は闇、何が起こるかわからない。
あれだけあったパチンコ玉は露と消え、

画像

店を出た巨大男は傷心のあまり、
路地公園の巨木に己の頭をぶつけ、自己を苛む(^^♪

画像

ニート三人はその姿を帰途中に目撃し、チビが怒り狂う。
「なぜあんなにあったのに負けたんだよ!」
巨大男も怒り狂う、「うるせえな!負けたらしょうがないだろうが!」

画像

高円寺のニート族四人、
すでに人生が終わったかのように、トボトボトボ(爆笑)。

画像

アパート前まで戻ると配達員がセキヤの姿を発見、声をかける。
「もう少ししたらお届けに上がりますね」
セキヤが困って「三日後にしてもらえないでしょうか」と言うと、
巨大男が突然怒ったように「その必要はねえよ」と
セキヤの顔を札束で叩く。

画像

チビ男が「?」となり聞く、「負けたんじゃなかったの?」
巨大男が怒声を上げる、「俺を誰だと思ってるんだよ、こら!」

私は思わず笑う、元プロレスラーの安田だろ?
復帰して金稼いで来たのかよ(^^♪

画像

後日、例の大家さんが通りでセキヤに遭遇し声をかける。
「セキヤさん、いい所で会いました。何度もお邪魔したんですよ。
六ケ月分いっぺんに払うのは大変でしょうから、
毎月、月末に少しずつでいいですからお願いしますよ」
セキヤは笑って誤魔化す、「ええ」

「じゃ、今月の月末は幾らくらい入れられます?」
「う~ん、2万円くらいだったら…」
「じゃ今月2万、来月もまた少しずつでいいからお願いします。
約束しましたよ。それじゃ」
と大家はニコニコ顔で消える(^^♪

画像

何なんじゃあ!
毎月2万だと未払い額は増える一方じゃねえか。
こら、大家、おめえ、ほんとにセキヤから家賃取り立てるつもりが
あるのか。もしかしたらおめえもこの連中同様ニートじゃねえのか?
徹底した非生産主義者じゃねえのかあ!?
と、私は可笑しすぎてまた爆笑する(^^♪

物語は異常…、違った、以上である(笑)。


この映画の凄さは一言でいえば「緩さ」である。
「THE LOST RUMBLER」に比して徹頭徹尾緩いのだ。
映像も、物語も、そして人物も。

そしてギー監督が志向していると思われるこの「緩さ」は、
実を言うと「THE LOST RUMBLER」にも表れている。
後半のカラー部分に。

前半シロクロ部分が映像美の「緊張」の極地にあるとすれば、
後半カラー部分はそれと対極にある「緩さ」を描こうとした
のではないかと疑ったほどだ。

が、その時私は敢えて触れないことにした。
「THE LOST RUMBLER」を映像を軸にした作品として
私なりに論を組み立ててみたかったからである。
そのことはこの「代引き」で触れればいいと思ったからだ。

この映画の「緩さ」は一体何を意味するのか。
ヒントは実はギー監督自身のコメントの中にある。

画像

この映画の冒頭に、
セキヤがコーヒー片手に壁に何かを認めるシーンがある。
映画の中では認められたものが何なのかわからないのだが、
そのシーンについてギー監督はこう言っている。

「惜しむらくは裸男が壁に何か書いてるシーンがありますが、
準備不足で超薄墨(墨汁がなくてコーヒー)で文字が読めない。
実は『虚妄介錯』という作品の裏テーマを書いていたのです」

虚妄介錯という言葉を聞いて私がすぐに思いだしたのは
三島由紀夫である。三島由紀夫の自決事件。
彼の自決について虚妄解釈という言葉がよく飛び交ったからだ。

三島は自分が老いることを受け入れることが出来ずに
自決の道を選んだのではないかという見方が結構あったのだが、
「THE LOST RUMBLER」の前半・モノクロ映像は、
そうした三島の自決の「緊張」を描いたのではないかと
実は私は疑っている。

もう少し言うと、ギー監督自身に三島同様の志向があって
それを映像化したのではないかという疑いだ。

ギー監督の三島にたいする直接的なコメントを読んだ記憶はないが、
マルコムXにたいしてこう言っている。
自分はマルコムXを目指したがマルコムXにはなれなかった、と。

マルコムXは銃弾に斃れた訳だが、
そのラディカルな生き様は三島と通じるものがある。

画像

私の推測の域を出ないのだが、ギー監督は
三島やマルコムXのような過激な生を生きたかったが、できなかった。
結果、彼らの対極にある生を、「緩やかな生」を生きる道を選んだ。
二人とは対極に「120歳まで生きる」という転換を計ったのではないか
と思う。

画像

そのため「THE LOST RUMBLER」の前半・モノクロ部分に対し、
後半・カラー部分を対峙させたのではないか。
前半の三島、マルコムXの生の「緊張」にたいして、
後半、意図的に「緩さ」を反措定したのではないかと。

画像

そしてそれをより先鋭化したものとして
この「緩さ」に満ち満ちた「代引き」を撮ってみせたのではないか、
という気がしてしようがないのである。

激しく生きて老いる前に自らの命を絶った三島由紀夫。
同様に激しく生きて老いる前に命を絶たれたマルコムX。

それに対してどこまでも「緩く」生きようとするこの四人の男たち。
社会的に無用な者として、非生産主義者として、
ただ日々をどこまでも無為に暮らし、無用、無為に暮らすことで
「120歳まで生きよう」と決意した四人の男たち。
虚妄介錯の緊張感ある生と対極にある、
果てしなく緩い生を選んだ者たち。

それを描くことでいわばギー監督は、
自分の胸のうちを描こうとしたのではないかと私は思っている。

ただしと断っておきたいが、
「120歳まで生きる」と緩やかな生を措定するのは、
ギー監督自身の中にいまなお三島やマルコムXの
急進的な生にたいする想いが燻り続けているからだ
と考えたほうがいい。

つまそう言ってよければギー監督は、
そうした「緊張としての生」と、「弛緩としての生」の狭間にいるのだ。
相反する生の資質を二つながらに生きているのだ。

画像

1日で撮ったというだけに物語的に完璧という訳ではないが、
この「緩い映画」は間違いなく絶賛に値する。
生の緩さをこれほどまでに思想的に、先鋭的に描いた作品を
映画史上、私は知らないからである。

ニート族四人、大家さん、配達員の六人の演技も本当に素晴らしい。
今時の日本の俳優としては間違いなく超一級品である(^^♪

ギー監督に会った時、
私は演技のことはわからないので芝居などやったことのないひとを
選んだと言っていたように思うが、

演技などやったことがないものだから、
書かれた物語、あるいは監督に伝えられた物語を、
自分が普段生きているのと同じように
その物語を生きてみせているだけである。

もう少し言うと、登場人物を演じてる訳ではなく、
生身の普段の自分がその物語を生きているだけなのである。

本人たちはそんなことを意識したことはないかも知れないが、
実はそれこそスタニスラフスキーが提唱した近代演技であり、
日本映画の最盛期に優れた俳優たちがやってきた演技なのだ。
そしていまなお欧米を中心に優れた俳優たちがやっている演技なのだ。

監督は、私には演技なんてわからないと言ったが、
それはただの謙遜で、はっきりとわかっていることは
この俳優たちにたいする演出をみればわかる(^^♪

画像

これは映画の冒頭で、沈黙男が見ている写真集の一頁である。
ギー監督によれば、
「ネパールにあるエベレストビューホテルから見たヒマラヤ山脈」で、
監督もそのホテルから眺めた山脈なのだという。

もしかしたらその時に撮られた写真かも知れないが、
ギー監督は120歳になったら自分はこの地で死ぬのだと語っている。
すでに触れる余裕はないが、その言葉を聞くと、
ギー監督の目指す「緩やかさ」は私たち日本人がすでに失った
仏教的な無為の日々の暮らしを思い起こさせるものがあって
私は無性に懐かしく、そして嬉しくなる。

そして思う、
現在それこそもっともラディカルな生き方ではないのかと。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック