黒い雨 (1989) 日本

[1114]ヒロシマと闘う事でしかヒロシマは描けない

画像


井伏鱒二の「黒い雨」を今村昌平が映画化したもの。
久しぶりに観たのだが、
その間作品に手が加わり傑作になった!
という訳にはなかなかいかない(笑)。
そこがちと完成してしまった映画の淋しい所と言える。

ちなみに演劇は「未完の芸術」と言われたものだが、
今時の演劇人はそんな言葉聞いた事もないかもなあ(^^♪

画像

昭和20年8月6日、
閑間重松(北村和夫)は広島市内・横川の電車内で、

画像

妻・閑間シゲ子(市原悦子)は千田町の自宅で被爆した。

画像

閑間(しずま)の姪・矢須子(田中好子)は、
爆心地より遠く離れた場所からキノコ雲を目撃すると、

画像

重松夫婦の安否を確かめるべく
船で広島市へ向かうのだが、途中、瀬戸内海上で
黒い雨を浴びる。

画像

千田町の自宅で合流した三人は、
一瞬にして瓦礫と死体の街と化した広島を逃れ、
重松の母キン(原ひさ子)の住む広島県東部の神石郡小畠村
(現・福山市小畠村)へと避難した。

画像

英語字幕になっているのは
私がわざわざアメリカからDVDを撮り寄せたからだ。
というのは真っ赤な嘘、YouTubeの動画だからだよん(^^♪
外国の人がUPしたらしく映像がバッチリ。
超お得なので未見の方にはお薦め、英会話の勉強もできる♪

画像

重松家…、村の大地主なのである。

画像

ちなみにロケ地は岡山県吉永町。

これも先に言っておくと、
井伏鱒二の「黒い雨」は1965年「新潮」に連載され、
翌66年新潮社から刊行されたのだが、物語は
被爆者・重松静馬の「重松日記」と、被爆軍医・岩竹博の
「岩竹手記」を基にしたいわば実話である。

画像

5年後…、重松夫婦、姪・丸矢須子、重松の母親。
先祖代々の土地を切り売りしながら生活をしているのだが、
老いた母親はすでにボケ始めている。

画像

村には幼馴染でやはり被爆した庄吉(小沢昭一)と
好太郎(三木のり平)がおり、
重松は毎日三人で鯉釣りをしながら過ごしていた。
後遺症で重労働をこなすことができないし、
鯉の生血は原爆病に効くと噂されていたからである。

画像

重松は後に鯉釣りから鯉の養殖に転じる。
被爆後遺症を理解する事ができない村人たちから
怠け者扱いされてしまうからだったが、
そうした被爆者差別の様子はほとんど描かれない。
それが間違いなくこの映画が傑作になりえなかった
大きな理由のひとつだろう。

画像

村には他に戦争の傷跡を引きずる者たちがいた。
一人は雑貨屋・岡崎屋タツ(山田昌)の息子、
悠一(石田圭祐)だ。
かれは普段は黙々と石像を掘っている大人しい青年だったが、

画像

バスのエンジン音を聞くと米軍が責めてきたと発狂し、
車に突撃、その度に村人たちを騒ぎに巻き込むのだった(^^♪

画像

闇屋に精を出す池本屋のおばはん(沢たまき)、
その愛人の被爆者・片山(小林昭二)、
そして福山のキャバレー勤めから逃げてきた
おばはんの娘・文子(立石麻由美)。

と言っても生活が描かれる事はなく、
名を連ねているだけといった感じ(^^♪

画像

重松の悩みは自分の体の事より矢須子の事だった。
すでに25歳。早く結婚させたいと思い、
友人の好太郎を通して矢須子に持ち込まる縁談を何とか
纏めたいと思うのだが、「ピカに遭った娘」という噂から
常に破談になってしまうのだった。

画像

この男、矢須子に好きです、父に会ってください、
ブチュとキスまでした癖にその後縁談を取り消した。
女性はよく憶えておくように。特徴は百田尚樹似の顔のテカリ(^^♪

「黒い雨」は連載当初、「姪の結婚」という題名だった。
物語の大筋も「ピカに遭った娘」という風評が飛びかい、
矢須子の縁談がなかなか纏まらないというものだが、
実際にその風評が飛ぶシーンはない。
重松の鯉釣りに関する話同様、
被爆者にたいする差別シーンがまるで描かれないから、
物語がどうにもこうにも「腑抜け」になってしまうのだ。

画像

そこで重松は、自分と矢須子の日記を清書し、
8月6日、自分と妻は市内でビカを浴びたが、
矢須子は、黒い雨は浴びたものの
直接ピカには遭っていないことを証明しようとした。

画像
画像

この写真は重松が日記を読んでいるうちに思い出した
被爆当時の様子である。

画像

いずれもセット撮影でなかなか力が入っているのだが、
5年後、神石郡小畠村のシーンは、家屋を初め
撮影当時1980年代後半の風景で、戦後の面影はなく
ギャップが甚だし過ぎる。

画像

製作費が足りずセット撮影できなかったのかも知れないが、
家屋などを1950年前後に再現できれば、あるいは
俳優も少しは当時の人々の心を再現できたかも知れない。
それだけの力を持った名優たちが出演しているのだから。
残念(^^♪

画像

矢須子はそのうち自分から縁談を断る。
このままこの家で重松夫婦と暮らしたいと思い始めたのだ。

画像

やがて村は次々と不幸に襲われ始める。
池本屋の愛人・片山に被爆症状が現れ、死亡。

画像

そして重松の幼馴染の庄吉、好太郎と
相次いで死んでしまうのだ。

画像

重松の妻・シゲ子はそのショックと被爆後遺症で
精神に異常を来たす。

画像

この頃、矢須子の慰みと言えば、
岡崎屋の息子で石像を掘っている悠一だけ。
戦争のこと、被爆のことなどを話しているうちに
二人に仄かな愛の感情が生まれ、

それに気づいた悠一の母親・タツはある夜、
重松に矢須子を悠一の嫁に頂けないかと申し出た。

画像

重松は身分が違い過ぎるので驚いたが、
矢須子も重松に自分の気持ちを伝え、
重松夫婦の心は悠一へと傾く。

画像

が、実は黒い雨は容赦なく矢須子の体を蝕み始めていた。
一時入院、やがて退院したものの、

画像

髪の毛はごっそりと抜け落ちた。

画像

重松の妻・シゲ子はそれにショックを受け倒れ、
そのまま死亡する。

画像
画像

ある日、矢須子が
少し気分が良いからと重松と鯉釣りに行くと、
大きな沼の主が空に元気よく何度も撥ねた。
矢須子は大喜びしたが、
それが最後の命であるかのように倒れた。

画像

悠一が駆けつけ、矢須子を
やって来た赤十字軍の車に運び、病院へ向かった。

画像

折しも朝鮮戦争のさ中で、米軍が
状況によっては核爆弾を使うと発表した日だった。
悠一は「大丈夫じゃ、大丈夫じゃ」と繰り返しながら
矢須子をひたすら励まし続けた。

画像

重松はその車を遠くに見送りながら祈った。
「今もし向こうの山に虹が出たら奇跡が起きる。
色鮮やかな五彩の虹が出たら矢須子の病気は治る」と。
だが虹は出なかった…、というのが物語の大筋である。

原作の「黒い雨」は出版された時すぐに読んだが、
正直、詳細は憶えていない。
この映画同様、深く胸打たれた記憶もない。
アラン・レネの「二十四時間の情事」同様、
日本の戦争責任に対する視点がスッポリ抜け落ちているからだろう。

その視点が抜け落ちて原爆が描かれてしまうと、
原爆の惨たらしさ、被害者の哀れさ・悲しさ、
あるいは被害感情が一方的に浮上してきて、
私にはどうしても異和が生じる。

その意味では「長崎の鐘」の方が格段に優れている。
主人公・永井は出兵して戦争の悲惨さ、不条理に苛まれ、
その体験から被爆が語られ、平和が希求されているからだ。

日本人の戦争責任に対する欠落はそのまま、
被爆者差別への言及を遠ざける事態をも産みだす結果になっている
と思う。

被爆者を差別する、暗い、嫌なシーンが直接描かれないから、
被害者の苦しみ、哀しさ、哀れさが…、
言いかえると綺麗事だけが浮上してしまうことになるのだ。

もし仮に被爆者を差別する人々のシーンが直接描かれ、
その故ない差別に被爆者たちが苦しむシーンがあったら、
観る側は他人事ではなく、鋭くこの映画に心を動かされたはずだ。

実際、私の5年間に及ぶヒロシマ体験では、
ヒロシマはこんな生易しいものではない。
これも「二十四時間の情事」評ですでに書いた事だが、
広島は被差別部落、被爆者部落、在日朝鮮人部落、
そして被爆しなかった人たちの差別、被差別と、
「よそ者」に対する沈黙、あるいは排斥感情などが非常に複雑に
絡んだ街だったのである。

断っておくがヒロシマを非難したい訳では決してない。
ヒロシマは日本の縮図とも言える街だったと言いたいだけで、
戦争責任の問題を含め、
もしそうした縮図がこの作品で描かれていたら、
この映画は素晴らしい映画になったのにと言いたいだけだ。

ロケ地を広島ではなく岡山に選んだ事と、
被爆者を差別する人々を登場させなかった事はたぶん
何処かで絡んでいるような気が私にはするのだが、
ヒロシマと闘わずしてヒロシマを描いてもしようがないだろう
というのが私の正直な気持ちだ。

画像

ところでこの作品が作られたのは1989年な訳だが、
農村の家屋や風景、あるいは衣装等を観てて感じるのは、
スタッフがもう1950年当時を再現する力を完全に失ってるなという事だ。

今村昌平の農村の人々の演出も酷い。
例によって土着的な、元気な農民として描いているのである。
おいおい、フィクションの物語ならともかく、
こうした実話の世界にそんな農民などいるかよ、と
昭和20年代・30年代を農村で生きてきた私が保障する(^^♪

ここに登場する農民はやたら重心が高いが、
当時の農民、あるいは日本人は全然重心低く生きてたぜい(^^♪

その意味では田中好子の好演が目立つ。
他の人物に比べて重心を低く置いているからだ。
でもなあ、演出のせいかどうか知らないが、
矢須子という人物があまりに綺麗過ぎてもう一つ胸を抉られない。

もう一点、今村演出について言っておきたい。
1980年代と言えばバブル期で、
老いも若きも、そして家族も浮かれてやたらと社会に自分たちを
開いていた。
なのに今村昌平も被爆者たちの暮らしを、
あるいは心を社会に対して開くかのように描いている。

この映画が社会、あるいは観客に対して力を失っているのは
そうした描き方をしているからでもある。

表現は時に戦略的である必要がある。
観客が社会に対して開いてる時は真逆に閉じるべきだ。
この時代、多くの若者たちが引き篭もってみせたように。
そうした方がまた内に籠るしかない被爆者たちの心を
表現できたはずである。

と、色々文句を付けたのも、
実はこの映画に対する私なりの思い入れが強いからだ
と思ってほしい。

これもまた今だからこそもう一度観ておきたい作品だ。
YouTubeの動画、映像が良いので是非観ような(^^♪


画像



■123分 日本  ドラマ/戦争
監督: 今村昌平
プロデューサー: 飯野久
原作: 井伏鱒二 『黒い雨』
脚本: 今村昌平 石堂淑朗
撮影: 川又昂
美術: 稲垣尚夫
編集: 岡安肇
音楽: 武満徹
助監督: 月野木隆
出演
田中好子 丸矢須子
北村和夫 閑間重松
市原悦子 閑間シゲ子
原ひさ子 閑間キン
沢たまき 池本屋のおばはん
立石麻由美 池本屋文子
小林昭二 片山
山田昌 岡崎屋タツ
石田圭祐 岡崎屋悠一
小沢昭一 庄吉
楠トシエ カネ
三木のり平 好太郎
七尾伶子 るい
河原さぶ 養殖業者・金丸
石丸謙二郎 青乃
大滝秀治 藤田医師
白川和子 白旗の婆さん
飯沼慧 高丸
深水三章 能島
殿山泰司 老僧
常田富士男 ヤケドの四十男
常田富士男 老遍路
三谷昇 郵便局長

井伏鱒二の同名小説を「楢山節考」の今村昌平監督が映画化。原爆による“黒い雨”を浴びたたために人生を狂わされた一人の若い女性とそれを温かく見守る叔父夫婦のふれあい、そして被爆後遺症に苦しむ人々の姿を静かに淡々と描いていく。1945年8月6日、広島に原爆が投下される。その時、郊外の疎開先にいた矢須子は直後に降ってきた真っ黒な雨を浴びてしまう。5年後、叔父夫婦に引き取られた矢須子のもとへは縁談の話が持ち込まれるが、“ピカに遭った女”という噂からいつも破談になってしまう。叔父は矢須子が直接ピカに遭っていないことを証明しようと必死になるのだが…。

この記事へのコメント

黒い雨
2016年09月11日 00:51
検索上位だったので拝見しましたが
写真が多いのは分かりやすいですが絵文字が不快でした。
てつ
2016年09月11日 01:09
絵文字など使ってませんが。写真の英語字幕のことですか? それでしたら外国の方が字幕を付けてYouTubeに投稿したものだからそれはしょうがないでしょう。

この記事へのトラックバック