キャタピラー_1 (2010) 日本

[1168]若松孝二が若松映画を捨ててまで撮り急いだ理由は何か

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若松孝二は
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の後、
この「キャタピラー」を初め四本の映画を遺して逝った。

残されたその四本の映画について書いたものかどうか
私は迷っていた。
すでに若松映画とは言い難い映画だったからだ。

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いつだったかその事をポツリと佐野史郎に零した。
と、佐野が若松さんと九州へ映画の舞台挨拶に行った時、
渡辺武信(詩人・建築家)も会場で同様の事を言っていた
と話していた事があった。

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晩年、若松さんはなぜ
若松映画とは言い難い映画を撮り続けたのか、
ぼんやりと推測している事がないではなかった。

その頃、新宿二丁目の「ナジャ」へ行くと、
クロちゃん(ママ)と安保由夫に
若松さんの体調があまり芳しくないとよく聞かされたので、
もう俳優を絞りあげる体力も残っていないのかも知れない
と推測していたのだ。

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映画は、日中戦争へ出兵した農村の青年、
黒川久蔵(大西信満)が四年後、村へ帰ってきた所から始まる。

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その久蔵の四肢は失われ、顔には無残な火傷、
話すこともできない、耳もほとんど聴こえないという
まさにキャタピラー(芋虫)そのものだった。

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新聞はそんな久蔵をお国の為に戦った
「生ける軍神」と書き立て、村人らも崇め称えた。

久蔵の両親はすっかり変わり果てた息子が
この世の者とは思えず、
世話を妻シゲ子(寺島しのぶ)一人に押しつけた。
シゲ子は初め久蔵を殺し後を追おうと考えるが、
「軍神」の妻として献身的に尽そうと思い留まった。
あくまで表向きなのだが。

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予想されたように久蔵との暮らしは地獄だった。
四肢がない上、彼の食欲と性欲は常人を超えたもの
だったからだ。

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彼は御真影と、自分を称える記事を仰ぎ見ながら
昼夜問わずシゲ子に体を要求し、貪り食らった。

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当然体力を使うので飯を要求し、それをまた貪り食らった。
日々がただその繰り返し。

だが久蔵にとって
それは単に肉欲に憑りつかれた行動ではなかった。
不幸にも二人の間には子供がなかった。
なので久蔵は「産めよ増やせよ」とお国の為に
必死に芋虫の我が体に鞭打っていたのだ。
「生きた軍神」の名に恥じまいとして。

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シゲ子にも久蔵の欲望が愛情から出た欲望ではなく、
何処までも自分=国家の為の欲望である事はわかっていた。
出兵する前、久蔵は表面は好青年として通っていたが、
家庭内では欲深い暴力的な男だったからだ。

その為彼女は無理心中ではなく、
久蔵の体が動かない事を良い事に復讐を企んだのだ。
夫=軍神に献身するフリをして。

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夫の奴隷と化したシゲ子はやがて夫をリヤカーに乗せ、
家の外へと連れ歩くようになった。
思った通り村人は夫を軍神と拝し、
軍神に仕えるシゲ子を褒めそやしたが、

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昼日中、一日中リヤカーにほったらかしにされる久蔵にすれば、
それは地獄のような苦痛だった。だけではない。
芋虫と化した自分を村人に嘲笑われているかのような
屈辱を味わわなければならなかった。

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久蔵もようやくシゲ子の策略に気づきシゲ子を憎むが、
シゲ子はそれを見てほくそ笑んだ。

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そのうち戦局は本土決戦の様相を呈してきた。

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歩調を合わせるかのように、
久蔵とシズ子の「戦争」も形勢が逆転し始めた。
シズ子は食欲を失くし始めた久蔵の前で銀シャリを喰らい、
彼を嘲笑った。

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食欲を取り戻したシズ子は性欲をも取り戻し、
彼に跨り、もはや不能に近い彼を責めたてた。

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久蔵は容赦ないシズ子に怯えた。
シズ子が、出兵中に中国の少女たちを輪姦し、
殺戮した自分の姿と折り重なって見えたからである。
彼はいまその少女たちの復讐に遭ってるかのように思えた。

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だが二人のそうした夫婦生活は、
擦れ違いながらも次第に変化をもたらした。
シズ子は何事かに怯え錯乱する久蔵が次第に
哀れに思えてきたのだ。

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久蔵もまた錯乱と引き換えに、
「戦争」の孕む狂気に巻き込まれていた自分から
次第に目覚め始めた。

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そんなある夜、錯乱して畳の上をのたうつ久蔵を見、
シズ子は狂ったように笑い始めた。そうして
「芋虫ゴロゴロ、軍神様ゴロゴロ」などと歌いながら、
棚に飾ってあった「軍神」久蔵の新聞記事を引き裂いた。

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そして終戦。

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狂ったフリをする事で戦争の狂気に巻き込まれる事から
逃れてきた村人クマ(篠原勝之)は、
「戦争が終わった。万歳」と叫びながら村を走り回った。

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野良仕事をしていたシズ子はその知らせを聞き、
晴れ晴れとした笑顔を見せた。
夫・久蔵との戦いにも漸く終戦が訪れたと思ったのかな?(^^♪

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その頃久蔵は、
自分の始末をつけるかのように家を這い出て、
庭の池に身を投げ入れた…。


この作品はドルトン・トランボの「ジョニーは戦場へ行った」と、
江戸川乱歩の短編「芋虫」に着想を得たものと言われているが、
残念ながら見ていてもちっとも面白くない。
モチーフは若松さんらしく一貫しているのだが、
それまでの若松映画が持っていた面白さがどこにもないのだ。

理由ははっきりしている。
主人公を芋虫にする事で何とかしようとしているのだろうが、
展開される物語はすでに既知の物語でしかないからだ。
つまりは流布されてきたマス・イメージ。
映像もまた緊張が失われたマス・イメージ。

その為これでもかこれでもかと、
俳優が若松さんの大嫌いな大芝居をやってしまっている。
つまりはまったく嘘臭くて敵わないのだ。

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戦争が終わったと聞いて喜ぶシズ子の
この表情一つとってもわかる。
え?と思うよね。昨日までの久蔵との葛藤、
戦争がもたらした筈の傷跡などもうどこにもないのだ。
なんだ、その程度の出来事だったのか。
実際、あの戦争で傷を負った人でそんな人は幾ら何でも
いなかったんじゃないの、と苦笑せざるを得ない(^^♪


※「キャタピラー_1」
※「キャタピラー_2」


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■84分 日本 ドラマ/戦争
監督 若松孝二
製作 若松孝二
プロデューサー 尾崎宗子
脚本 黒沢久子 出口出
撮影 辻智彦 戸田義久
音楽プロデューサー 高護
音楽 サリー久保田 岡田ユミ
主題歌 元ちとせ「死んだ女の子」
衣裳 宮本まさ江
出演
黒川シゲ子 寺島しのぶ
黒川久蔵 大西信満
黒川健蔵 吉澤健
黒川忠 粕谷佳五
黒川千代 増田恵美
村長 河原さぶ
村長夫人 石川真希
クマ 篠原勝之

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」の若松孝二監督が、戦争に翻弄された1組の夫婦の姿を通して戦争がもたらす愚かさと悲劇を語る。主演は本作の演技でみごと2010年ベルリン国際映画祭最優秀女優賞に輝いた寺島しのぶ。
赤紙が届き、盛大な見送りとともに戦場へと出征していったシゲ子の夫、久蔵。だが、ほどなくして久蔵は生きてシゲ子のもとへと戻ってきた。ところが、その姿は四肢をなくし、顔が焼けただれたあまりにも無惨なものだった。村民からは武勲を讃えられ“生ける軍神”と祀り上げられるも、旺盛な食欲と性欲をひたすら世話するだけの介護の日々に戸惑いを隠せないシゲ子。やがて、勇ましい報道とは裏腹に敗色が濃厚となる中、戦場での記憶に苛まれ混乱していく久蔵の姿に虚しさが募るシゲ子だったが…。

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