キャタピラー_2 (2010) 日本

[1168]若松孝二が若松映画を捨ててまで撮り急いだ理由は何か

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1970年代の初め頃だったと思うが、
私の敬愛する作家・古井由吉は言った。
素人でもいかにも小説らしい小説を書く時代になったので、
作家の私はいかに小説らしくないもの(非小説)を書くかに
奮闘努力をしなければならなくなった、と(^^♪

わが愛する若松孝二は
当時すでにその古井由吉の言葉の先端を走っていた。

下手な物語を書いて映画にするとマス・イメージ化を免れない。
物語化を極少に抑え、この世界を風景(映像)として撮る
という方法を採っていたのだ。

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少し言いかえると、物語に頼った瞬間、
この世界には必ずその物語から零れ落ちてしまうものがある。
若松孝二はその事をよく知っていて、
出来る限りそれを避けようとしながら映画を撮っていたのだ。

俳優がお芝居する事を徹底的に嫌ったのも
そのせいだった筈だ。
俳優のやるお芝居は嘘臭くて敵わん。
今更やってくれなくてももうそんな事は誰でも知ってる。
気持ちも心情も心も要らん、ただそこにいてくれ、即物として。
その即物を俺は風景の中に置いて、俺の見る風景を
映画にしてやるんだ…。

言いかえるとそれはすべて
自分は絶対に体制に取り込まれないぞという
我等が若松孝二の心意気を表わしていた訳だが(^^♪

若松映画は私にはそう観えたし、実際
マス・イメージ化しようのないその映像はいつも衝撃的だった。
またそれ故に私は若松映画をこよなく愛したのだった。

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だが、この映画を初めとする晩年の四本は
そうした若松映画と真逆になってしまっているのである。

物語がマス・イメージに絡め取られているので、
結局これでもかこれでもかと大仰にすることで
物語を何とか成立させようと躍起になっているし、
俳優もまたそれに合わせて
これでもかこれでもかとやたら大仰なお芝居をやって
物語を成立させようとばかりやってる始末(^^♪

結果、やればやるほど嘘臭くなる。
観ている側の想像力が関与する余地はなくなり、
思考も停止してしまう事になる。若松さん、
幾ら何でもこれは拙いよとつい言いたくなってしまいそうで
私は書くのを迷っていた訳だ。

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もう少し言おう。
私が台本(戯曲)を書く。言葉を書く。ある意味徹底して書く。
だが私の書きたい事はその言葉の中にある訳ではない。
どう足掻いても言葉にする事が出来ないもの、
その言葉の向こうにあるものを表わすために書くのだ。
それを表現するにはとりあえず言葉を書くしかない。
そのために徹底して言葉に拘り、言葉を書く訳だ。

ゴッホは99枚のひまわりを描いた。
それは描いたひまわりが
どうしても自分の描きたいひまわりではなかったからだ。
描いても描いても自分の描きたいひまわりが
描けなかったからだ。

じゃあ、ゴッホは
自分の描きたいひまわりをついに描けなかったのか。
そんな事はない。ゴッホは描いたのだ。
99枚の向こうに「描かれなかったひまわり」として。
描かれなかった100枚目のひまわりとして。

その100枚目はどこにあるのか。
ゴッホの中に、そして私の中に、観る側の中にある。
99枚の描かれたひまわりを通して。

それが表現だ。
少なくとも真に優れた表現とはそういうものだと私は思う。
描く側と観る側の「関係」の中にこそあるのだと。
むろん私の愛する若松映画もそうだった。

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だがこの若松映画にはもうそれがないのだ。
見たものが全てで、ここには描かれたものの向こうに
描く事のできなかったものがないのだ。
失われているのだ。結果、観る側の
想像力は刺激されないし、思考も停止してしまう訳だ。

どうしてこんな事になったのか。
ライターは余計な事ばかり書く。
あれも要らんこれも要らん、全部カット。
俳優もクソ芝居ばかりしやがって、クソ芝居するな。
とやってきた筈の若松孝二に一体何が起きたのか?

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その謎が少し解けた気がした。
この七月初旬、この映画に出演したクマさん(篠原勝之)が
短編小説集「骨風」(文藝春秋)を上梓。自伝的な
その小説群の中にある「花喰い」という一編を読んだ時に。

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クマさんがこの「キャタピラー」に出演した時の事を描いていて、
「花喰い」という題名は恐らくそのままクマさんが
この映画で演じた「花喰いの男」(上写真)に由来している。

ある日、クマさんは電話で若松さんに誘われ、
高円寺のやきとり屋で二人して飲む。
その時クマさんは若松さんに唐突に言われた。
「脳梗塞をやって躰の縦半分から神経が消えちまった」と。
クマさんが驚くと若松さんはまだ誰にも言うなと続けた。
「見事に縦半分の神経がなくなった、オヂンチンも」

冒頭に近いこの一節に触れた途端
私は絶句し、しばらく茫然とした。
何の事はない。この映画を撮る前にすでに若松さん自身が
キャタピラー(芋虫)同然だったのだ。

若松さんの体調の悪さを想像はしていたが、
それは私の想像を遙かに超えるものだったのだ。
タクシー事故に遇って亡くなった事情もある意味
すぐに了解できた。

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一ケ月後、クマさんにまた若松さんから電話がある。
新潟で撮影をしている、出番があるのですぐに来いと言う。
二日後、クマさんは新幹線でロケ先の越後湯沢へ向かい、
到着するとそのまま撮影本番。役は上に紹介した「花喰いの男」。
現場には「息も出来ないほどの激しい緊張感が」渦巻いていたという。

そして公開時、クマさんは若松さんに声をかけられ、
キャンペーンの為の舞台挨拶へ行く事になる。
なんと初老の男、二人旅。
しかも旅先はクマさんの故郷の北海道、室蘭と旭川だった。

クマさんは訳あって50年ぶりに生地・室蘭の土を踏む。
その訳は名品「骨風」を是非読んで欲しいので言わないが、
二人は舞台挨拶を終え関係者が手配した宿へ投宿した。
と、手配者の手違いで…、いや、私は神の恩恵でと言いたい。
若松さんとクマさんは一つ部屋で寝る事になるのだが、
クマさんはその夜、若松さんが誰にも見せる事を拒んでいた
<芋虫>の苦悶を目撃することになる。

以下、「花喰い」から引用するが、
由緒正しき縦書きの日本語文章を読んで欲しいので
敢えて写真にしたい(^^♪ クリックすると拡大して見れます。

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一言だけ言う。
この場面に至った時、私は
「ここにあった、若松作品の『キャタピラー』が」と
思わず涙を零してしまった。

若松さんがなぜ映画のキャンペーンには
相応しくない筈のクマさんを同行相手に選んだのかも
よく分かる気がした。

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翌朝、若松さんとクマさんは旭川へと向かう。
室蘭を出た列車はしばらく海岸線を走り、
苫小牧を過ぎた辺りから原野地帯へ入る。
若松さんとクマさんは通路を挟み、二人とも窓際に座っている。

北海道の風景は内地とガラリと変わる。
木々が細いので原野の荒々しさが競り出して来る。
若松さんはその風景をどんな気持ちで眺めていたのかと
私の想像は活字と活字の間を巡る。

札幌駅で乗り換える。クマさんは
若松さんをベンチに待たせて弁当とお茶を買いに走る。
列車が走り始めると弁当を手に若松さんの席へ行く。
「ホッキとイクラの弁当があるけど」
「イクラにしょうかな」
「うん、そっちの方が喉越しはいいし、本場だからうまいかも
しれないね」

短い話の間にクマさんは若松さん顔色を確かめる。
何十年と付き合っている初老の男たちに
真昼間から酒もなしに話す事などないと言いながら、
クマさんがそう話しかけないのは当然
若松さんの喉の負担を考えての事だ。
異様な図体のくせにクマさんの他人に対する気使いは天才的だ。
むろんそれは少年期の異様とも言える体験から生まれたものだ。

列車が山岳地帯を北へと走る。
クマさんは自分の席へ戻り、山南の景色を見ながら
少年時代に悪ガキどもがからかって遊んだ
「スッカンコ」の幻を追う。
クマさんが演じた「花喰い男」のモデルになった近所の男だ。

若松さんは北の山並みを見ながら何を考えているのか。
次に撮る映画の事か、戦中・戦後の自分の幼年期の頃の事か、
あるいは自分の体の事か、あるいは初めて留置場へ投げ込まれて
刑事に絞られたことか。

寂びれた駅で列車が停まりドアが開く。
乗り込んでくる客はない。列車がまた走り始める。
クマさんは思う。
「列車は、いつの間にか貸し切り状態で、もう二人旅というより、
一つの箱の中に老人二人が記憶とともに閉じ込められたようだった」と。

だが活字を追う私はそんなクマさんに嫉妬する。
それはクマさん、描かれなかった若松さんの「キャタピラー」を
天がクマさんに書かせようとして二人を閉じ込めたんだよ、と。

「次はイワミザワ」車内アナウンスが流れる。
「そろそろ弁当にしますか」クマさんが声をかける。
「そうだな。旭川までどのくらいだ」
「一時間ぐらいかな」

若松さんはお茶を一口飲むと、
丁寧に解いた弁当の紐を左手の指に巻きつけ、
箸を手にまるで米粒とイクラのハーモニーを楽しむかのように
口に入れ、顎と頬の筋肉を動かす。そして
お茶で喉の奥に流し込み、また米粒とイクラの粒を口中に。
何となしにその若松さんの箸さばきとコメカミに目をやりながら、
クマさんもペースを合わせるかのように
ホッキ貝の弁当を食い始める。思ったほど美味くない。

終点の旭川へ着く。
クマさんは若松さんのリュックを背負い、
ステッキを手にしている若松さんに切符を渡す。

「イクラ弁当、美味かったよ」ポツリと若松さんが呟く。
「ホッキはちょっ失敗だったナ」クマさんが返す。
若松さんがふっと笑う。

列車を降りるとクマさんは
ホーム端にあるゴミ箱へ二つの弁当箱を捨てに行く。
ゴミ箱は乱雑に捨てられた弁当箱で溢れ返っている。
その一つ一つには食った者たちの様々な思いが
詰まっているのだが、それを顧みる者はいない。

弁当箱をその山に乗せて振り返ると
改札口の向こうで若松さんが振り返っていた。
芋虫の癖に今日は結構足が速い。
「今、行くから!」
クマさんが小走りで追いつき、二人は旭川の街へ出た。

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これがクマさんの短編「花喰い」の大筋で、
この作品こそ私は若松映画「キャタピラー」だと思う。

その事はクマさんと若松さんが交わす短い会話の間に、
あるいは無言の間に、言葉には出来ない
様々な思いと心が生まれ、時に二人の間に
飛び交っている事からも容易にわかる。

本当の事は言葉に出来ない。
言葉にした瞬間それは嘘になる。
マス・イメージと化してたちまちのうちに雲散霧消する。

だから若松孝二はライターは余計な事を書くな。
そのセリフはカットだ、全部カット。喋るな。
そこにいろ、ただじっとしとけ。おれはセリフを撮りたいんじゃない。
人間を撮りたいんじゃない。写真を、風景を撮りたいんだ。
言葉にできないものを風景として。
と若松映画を撮ってきたのだ。

その若松映画がこの「花喰い」の中にある。
厳然としてある。

そして存命中、
若松さんがその事を片時も忘れていなかった事は、
クマさんに言った「大丈夫だ。毎晩こうなんだよ。
だから相部屋はダメだと言っておいたんだ」という一言でわかる。

にも拘わらず出来上がった映画はこの「キャタピラー」だった。
なぜか。クマさんは
撮影現場は息も出来ない程の緊張感に包まれていた
と言っているが、若松さんはとっくに体力の限界を超えていて、
すでにかつての若松映画を撮るどころではなかったのだ
と思う。

私は若松現場を直接には知らないが、
佐野史郎らの話を聞く限り、壮絶な体力を要するはずだ
と容易に想像できる。
なぜなら私自身が若松監督とほぼ同じ演出をしてきたからだ。
お芝居を宗教にように信じ込んでいる俳優たちの
演技をぶち壊して、何もしない素の状態から劇を組み立てていく
という。

それがどれ程の体力と神経を要するか私にはわかる。
映画の現場は芝居の現場より苛烈なので、
半分芋虫と化した若松さんには
最早その体力なと残っていなかったのだと想像する。

でも撮りたい。撮っておかなければ。
俺のモチーフだけでも。
という気持ちだけで現場に立っていたのだと思う。

私はただ「花喰い」を涙して机に置いた。


※「キャタピラー_1」
※「キャタピラー_2」


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■84分 日本 ドラマ/戦争
監督 若松孝二
製作 若松孝二
プロデューサー 尾崎宗子
脚本 黒沢久子 出口出
撮影 辻智彦 戸田義久
音楽プロデューサー 高護
音楽 サリー久保田 岡田ユミ
主題歌 元ちとせ「死んだ女の子」
衣裳 宮本まさ江
出演
黒川シゲ子 寺島しのぶ
黒川久蔵 大西信満
黒川健蔵 吉澤健
黒川忠 粕谷佳五
黒川千代 増田恵美
村長 河原さぶ
村長夫人 石川真希
クマ 篠原勝之

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」の若松孝二監督が、戦争に翻弄された1組の夫婦の姿を通して戦争がもたらす愚かさと悲劇を語る。主演は本作の演技でみごと2010年ベルリン国際映画祭最優秀女優賞に輝いた寺島しのぶ。
赤紙が届き、盛大な見送りとともに戦場へと出征していったシゲ子の夫、久蔵。だが、ほどなくして久蔵は生きてシゲ子のもとへと戻ってきた。ところが、その姿は四肢をなくし、顔が焼けただれたあまりにも無惨なものだった。村民からは武勲を讃えられ“生ける軍神”と祀り上げられるも、旺盛な食欲と性欲をひたすら世話するだけの介護の日々に戸惑いを隠せないシゲ子。やがて、勇ましい報道とは裏腹に敗色が濃厚となる中、戦場での記憶に苛まれ混乱していく久蔵の姿に虚しさが募るシゲ子だったが…。

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