私は貝になりたい (1959) 日本

[1170]黒澤明はなぜ「これじゃ何か大事なものが足りなくて貝にはなれない」と言ったのか

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黒沢明と組んだシナリオライター、橋本忍の初監督作品。
もともとラジオ東京テレビ(現TBS)が1958年に製作した
テレビドラマで、大ヒットし、翌59年に映画化されたのである。

私が初めて観たのはリバイバル上映。
広島にいた頃だったのか、
東京へ出てきたからだったのか、記憶にない。
憶えているのは、なんでこれが大ヒットしたんだろうと
頭をひねった事くらいかな(^^♪

なので当然1994年に所ジョージでリメイクされたドラマも、
2008年に中居正広でリメイクされた映画も観ていない。
あ、ごめん。映画は観てみようかと
DVDで観はじめた事があるのだが、
開始5分で観ていられず止めたんだった(^^♪

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でもこのご時世だし、もう一度踏ん張って観ようと思い、観た。
自分で自分を誉めてあげたい(笑)。
結果、やっぱり面白くなかったが、ほかの人はどう観たんだろう
と考え直し、簡単に紹介だけでもしておく事にした。

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昭和19年、高知県幡多郡清水。

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清水豊松(フランキー堺)はその田舎町で床屋をやっている。
左は妻・房江…、新珠三千代。
子供は一人息子の健一。演じてるのは菅野彰雄くんだが、
実は彼、後の若人あきらなんだって(^^♪

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豊松はある日、友人・酒井正吉(藤木悠)の出兵を見送る。
戦争へ行く者、見送る者のこの空を突き抜けるような笑顔を見よ。
橋本さん、幾らなんでもこんな映画観た事ないけど、
と私はすでにここで違和感抱くよね(^^♪

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戦局はやがて本土決戦の様相を呈してくるのだが、
そんなある夜、ついに豊松にも赤紙が来る。
赤紙配達員(町役場職員)を演じているのは加東大介。

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豊松の壮行会。
左、織田政雄演じる郵便局長。右、多々良純演じる町内会長。

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豊松はB29の爆撃空襲に晒される中、日高中隊に配属される。

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ある日、撃墜されたB29の搭乗員が
大北山山中にパラシュート降下したという報が入ると、
矢野軍司令官(右・藤田進)は、
「搭乗員を逮捕、適当に処分せよ」と命令を下した。

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日高中隊がすぐに大北山山中を捜索すると、
発見された米兵はすでに一名が死亡、二名も虫の息だった。

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日高大尉(南原宏治)は足立小隊長(藤原釜足)に処分を命令。
更にその命令は木村軍曹(稲葉義男)率いる
立石上等兵(小池朝雄)に伝えられ、その立石は
豊松と滝田の二名を選び、米兵処分(殺害)を命じる。

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だが豊松と滝田はビビッて米兵を刺せない。
二人は日高大尉の「貴様等、上官の命令を何と心得る。
上官の命令は天皇陛下の命令だぞ」という喝を喰らって突進、
ようやく米兵捕虜を突き刺すのだが…。

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終戦…、豊松は生きて戻れた事を喜んでいたが、
ある日突然、進駐軍と日本警察に逮捕され、
「BC級戦犯」として横浜軍事法廷で裁判される事になる。
むろん大北山米軍捕虜事件に関してだ。

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当時二等兵に過ぎなかった豊松は懸命に訴える。
「上官の命令は天皇陛下の命令です。
絶対服従しないと銃殺される」と。

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だが裁判の結果は、
「捕虜を殺した」として絞首刑の宣告を受ける。
ジュネーヴ条約の中の「捕虜の待遇」に関し違反したという訳だ。
日本は同条約には批准していないのだが。
ま、勝てば官軍って裁きだよね。

ちなみに矢野軍司令官も絞首刑。
豊松に命令を下した足立少尉は終身刑。
木村軍曹、立石上等兵に対しては
それぞれ重労働20年、同15年の刑が言い渡される。
あ、日高大尉は敗戦時に自決した。

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豊松は巣鴨プリズンに収容される。
引用した写真は1945年時のもの。
この巣鴨刑務所が71年に小菅に移されると、
その跡地がサンシャインシティに化けたんだぞ~(^^♪

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大西三郎(中丸忠雄)という囚人と同房になる。
翌朝、あちこちの房からお経が聞こえてくる。
死刑囚は木曜日の朝に呼ばれ、
金曜日の深夜、処刑が執行されるからだが、
その朝、大西三郎にもお迎えが来た。
彼は「一晩だけでしたが何かのご縁でしょう」と房を出た。

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豊松は家族には安心させるために適当な事を書いて
手紙を送っていたが、ある日、妻・房江は、
終戦連絡局から事実を知らされて上京、面会する。

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豊松は同拘置所にいる矢野元軍司令官を憎み、
矢野が面会を申し込んで来ても拒否していたが、
ある日、仕方なく会う。
矢野は謝る。
「わしの不注意から君たちを巻き込んで本当に済まない。
わしも嘆願書を出した。罪は司令官である自分ひとりにある。
他の事件関係者の罪はあまりにも過酷すぎる。
司令官一人を絞首刑にすべきで、再審により他の者はむしろ
無罪にすべきが正当であると嘆願した」と。

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重松の矢野に対する憎しみは消え、
こうやって特別許可を貰って矢野の散髪をば(^^♪
日本にもまた警察予備隊が生まれる事を受けて矢野が言う。
「なあ、清水君、わしは新しい憲法で一番いいのは
もう二度と軍備をしないというところだと思っていたのだがね」と。
本音を漏らすと、この我らが藤田進のこの科白を紹介したくて
この映画をUPしとこうと思った次第(^^♪

まったく私もそう思う。
きゃつらは現実に合わないなどと抜かしやがるが、
戦後、私等の父・母・先輩たちはこの9条を、
現実に合う合わないではなく、自分たちの、
日本国の「理念」として守った来たんだよ。理念を持たずして
現実が、人間が前へ進めるもんか、阿呆だらどもが!
あ、ごめん、興奮しちゃって(^^♪

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が、後日、その矢野も処刑されて露と消える。
左はお坊主さんとしてちょこっとだけ登場する我が笠智衆(^^♪

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矢野の刑の執行以来、お迎えがピタリと止まる。
囚人たちはもう刑の執行はないのではないかと噂しあう。
処刑された筈の人間が別の場所で生きているという話も出てきて、
豊松は多いに希望を持ち、生来のノー天気さが戻って来る(^^♪

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房江が何度目かの面会に訪れる。
故郷の町会議員らが集めてくれた豊松の助命嘆願書を持って。
豊松は喜ぶ。
「ありがたいな、故郷の人は。じきに講和条約の締結がある。
そうなりゃ戦犯も何もない。みんな釈放や。この嘆願書が
あれば鬼に金棒や」と。
房江も笑顔を取り戻し、新しい理髪台のカタログを見せる。

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ある木曜日の朝、豊松の独房の前に憲兵が現れた。
豊松は釈放されるのだと喜び、

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房の連中に別れを告げる。
彼らも豊松の釈放を疑わず「おめでとう」と祝福する。

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だが部屋へ連れて行かれて聞いた言葉は、
明日、零時30分、巣鴨プリズンにおいて絞首刑を執行する
というものだった。

出ないと金返せ~
という映画になってしまうよね、そのままでは(^^♪
しかしまあ、何とあざとい物語作りをするのかと
正直私は呆れる。

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豊松を看取る坊さんが聞く。
あなたは生まれ変わるとしたら何になりたいか、と。

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豊松はその返事を遺書の中に認め、刑場へと向かう。

「せめて生まれ変わることができるのなら…、
いいえ、お父さんは生まれ変わっても、
もう人間になんかなりたくありません。
人間なんていやだ、牛か馬のほうがいい。
いや、牛や馬ならまた人間に酷い目にあわされる。
どうしても生まれ変わらなければならないのなら、
いっそ深い海の底の貝にでも…、そうだ、貝がいい。
貝だったら深い海の底の岩にへばりついているから
何の心配もありません。
兵隊にとられることもない、戦争もない。
房江や健一のことを心配することもない。
どうしても生まれ変わらなければならないなら、
私は貝になりたい」と。

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豊松は13階段を上る。

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その頃、故郷の土佐では妻・房江や息子・健一、
そして町の人たちはにこやかに豊松の帰りを待っていた…、
というお話。

ウィキペディアに拠ると、
黒澤明は出来上がったシナリを読み、「橋本よ、これじゃ
何か大事なものが足りなくて貝にはなれないんじゃないかな」
と言ったそうである。
に対して橋本忍も「私もその通りだと思ったので一生懸命考えた。
が、どうしても思いつかなかった」と振り返っという話が残っている
らしい。
(朝日新聞“今なお足りない「何か」” 2014年7月2日)

私ならズバリこう言ったと思う。
ここに描かれている日本兵たちは自分が銃を取り、
韓国や中国を初めアジアの人たちの殺戮した事を忘れている。
あるいはその事がこの映画では描かれず、
戦犯として裁かれた事、自分たちも軍や戦争の被害者だった事
しか描かれていない。

「二十四時間の情事」で既に執拗に言った事だが、
被害者意識、被害者感情のみで描かれているからだ、と。

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たとえ加害者意識、被害者意識の問題を抜きにしても、
戦地へ赴いたものは未体験の実存の恐怖に晒され、
悲鳴を上げていたはずである。
その事は椎名麟三、武田泰淳、大岡昇平、島尾敏雄ら
戦後文学派と呼ばれた人たちの作品を読めばすぐにわかる。
あるいは鮎川信夫、黒田三郎ら荒地派グループの詩を読めば。

彼等の作品に表れているような深い戦争体験を背景にしないと、
「私は貝になりたい」と言われても、
言葉がいかにも安っぽく聞こえてしまうのである。

彼等は作家だから、詩人だから特別だと思ってはいけない。
同様の体験は別に表現者でなくても沢山の兵士たちが
体験していたに決まっているからだ。

ちなみに「骨風」を書いたクマさん(篠原勝之)の父親は、
戦争帰りで、いつも不機嫌で酷いDVを振るっているが、
私はそれは戦争の後遺症だと思っている。

そう思うのは満州、中国へ出兵した私の父親が似ていたからだ。
クマさんの父親ほど酷くはなかったが、いつも不機嫌で
何が気に喰わないのか知らないが
卓袱台をひっくり返してばかりいたし、時には殴る事もあった。

だがその不機嫌さについて、
暴力について何かを語る事など全くなかった。
だから私ら家族にとっては父が実に不可解な存在に思えた。
父は生きながらにしてまさに「貝」に見えたものだ。

戦後30年近くが経ったある日、
その父に初めて1枚の写真を見せられて、
ああ、戦争体験の後遺症だったのかと私は了解した訳だが。
ちなみにその写真には、父親ら日本兵に殺戮された何百という
中国人たちが広場に横たわっている写真だった。

この映画にはそうした兵士たちの心はまったく描かれていない。
黒沢が「橋本よ、これじゃ何か大事なものが足りなだろう」
と言わずにおれないのが私には分かるような気がする。

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物語が甘いから俳優も甘くなるのか、
監督としての橋本忍が甘いから俳優が甘くなるのか知らないが、
フランキー堺を筆頭に俳優陣にも正直私はがっかり。
らしさを保ってるのは織田政雄くらいかな(^^♪

どうしてこうもつまらない映画になったのか。
理由はたぶん元々テレビドラマとして作られたからだろう。

時は1959年、日本が高度経済成長の波に乗り始め、
テレビが家庭に回り始めた頃である。
日本が他国を侵略、殺戮した事は忘れて、
描くなら何の罪もない庶民が酷い被害を蒙ったという
場面だけにしたかったのだろう(笑)。
つまり戦後を忘れて高度経済成長をつっ走りたかった訳だ。

主人公・豊松を高知の田舎町の、
善良で気弱な男に設定したのも、
全編を明るい、ちょっとコメディぽい感じにしたのも
そのせいだろう。

補足しておくと、
「わたしは貝になりたい」と一連の科白は、
元陸軍中尉・加藤哲太郎の手記「狂える戦犯死刑囚」の
遺言部分をもとにしている事が発覚。
加藤氏が原作権を認めるよう求めたが、橋本は拒否。
結局、配給元の東宝が氏を原作者としてクレジットする事にし、
橋本もそれを受諾したという経緯を持った作品である。


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■89分 日本 ドラマ/戦争
監督: 橋本忍
製作: 藤本真澄 三輪礼二
原作: 橋本忍 加藤哲太郎
脚本: 橋本忍
撮影: 中井朝一
美術: 村木与四郎
音楽: 佐藤勝
出演
フランキー堺
新珠三千代
水野久美
笠智衆
中丸忠雄
藤田進
加東大介
南原伸二

第二次世界大戦中の昭和19年。高知県幡多郡清水在住の清水豊松(しみず とよまつ)は、気の弱い平凡な理髪師。戦争が激化する中、豊松にも赤紙が届き、応召することになる。
内地のある部隊に所属した豊松は、厳しい訓練の日々を送る。ある日、撃墜されたアメリカ軍B-29の搭乗員が裏山に降下。司令官の「搭乗員を確保、適当(2008年の映画版では「適切」)な処分をせよ」という命令が豊松の中隊に下り、山中探索の結果、虫の息であった搭乗員を発見。そこで豊松は、隊長から搭乗員を銃剣で刺殺するよう命じられた。しかし生来の気の弱さから、実際には怪我をさせただけに終わる。
終戦後、豊松は除隊し、無事に帰郷する。しかしある日、特殊警察がやってきて捕虜を殺害したBC級戦犯として彼を逮捕し、豊松は理不尽な裁判で死刑を宣告される。彼は処刑の日を待ちながら「もう人間には二度と生まれてきたくない。生まれ変わるなら、深い海の底の貝になりたい」と遺書を残すのだった。

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