炎の人ゴッホ_1 (1956) アメリカ

[1179]ゴッホ伝記として必見の映画、そして必読のレビュー(笑)

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1878年、我らがゴッホは様々な職を経験した後、
伝道こそ自分の生涯の仕事だ!と思い、
ベルギーのブリュッセルにある伝道師学校へ行き、
司祭としてボルナージュ地方の炭鉱町へと赴く。

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廊下に座っているのがゴッホ。
登場した瞬間、うわっ、ホンモノだ!と一瞬思うよね。
当時24、5歳だから、歳の割りには偉く老けまくっているが(笑)。

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演じているのは我らがカーク・ダグラス。
この映画の企画が持ち上がった時、
是非自分にやらせてくれ~!と熱望したんだって(^^♪

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で、教会で一生懸命説教するのだが、
炭鉱で働く人たちに聖書の言葉が届いた気がしない。

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彼等の置かれている生活、現実を知らないからだと
「炎の人」ゴッホは聖衣を抜ぎ捨て人々の中へと入って行く。

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女や子供たちと石炭屑を拾う。

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事故で死傷者が出ると真っ先に駆けつけ救護活動をする。
だが君のやっている事は聖職者の名を汚すとして破門された
挙句、病気に…。

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と、そこへ画商としてパリで成功した弟テオが迎えに現れ、
故郷(オランダ南部エッテン)へ連れて帰る。
ご存じの通り、我らがゴッホは頭固いから、
弟テオは何事も説得するのに苦労するんだよね(^^♪
その兄思いの苦労人テオを演じてるのはジェームズ・ドナルド。

エッテン(1881年)

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そして自己流ながら画家こそ私の仕事だ!と思い
田園風景や近くの農夫たちを素材に本格的に
絵を描き始める(^^♪

註)本当は司祭を止めた後、北フランスを放浪し、
その時画家になる決心をしたと言われている。

彼が初期最も影響を受けたのはミレー。

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ミレー「種まく人」1850年。

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ゴッホ「種まく人」1889年。

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またゴッホはエッテン時代以前にも、
仕事をする傍ら手慰みに絵を描いていたんだよね。
その一つ、「農場の家と納屋」1864年2月、素描。
これ、何と11歳に時に描いたのよ。信じられる?(^^♪

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夏、すでに夫を亡くした従妹のケイが一人息子を連れて
遊びにやって来る。我らが「炎の人」は、
君こそわが命、結婚してくれ!と7歳年上のケイに求婚するのだが、
「とんでもない、だめ、絶対に。それだけは嫌!」
と拒絶され、打ちのめされてしまう(^^♪

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この愛は真実だ!結ばれるべきだ!と、
ゴッホはアムステルダムに逃げ帰ったケイの後を追う。
家まで押しかけて来たゴッホに驚きケイは素早くトンズラする。

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彼はケイに会せてくれと自分の掌を蝋燭の炎で焼く(^^♪
娘はホントに君が嫌いなの、と両親が懸命に説得する。
以後、彼は「炎の人」と呼ばれるようになったのだ。
あ、信じちゃだめだよ、私の言う事(笑)。

ハーグ(1882年-1883年)

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傷心のゴッホは酒場で貧しい中年の洗濯女
クラシーナ(パメラ・ブラウン)に出会い一緒に暮らし始める。
通称をシーン。売春もしていた為やがて子が生まれる。

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ゴッホは、ハーグで当時オランダ写実主義・ハーグ派の
担い手だったモーヴを訪ねる。
モーヴはゴッホに才能を見、油絵と水彩画を指導。
アトリエを借りる為の資金を貸し出すなど
親身になって面倒を見てくれるのだが、
次第によそよそしくなりやがて縁が切れる。

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ゴッホはシーンをモデルに描き始めるのだが、
弟テオから送って来るお金は殆ど画材費に消え、
食事もままならない。
結果、シーンが不満を洩らすようになり
結局、共同生活1年余りで二人は別れてしまう。

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シーンを描いた「悲しみ」1882年4月、黒チョークによる素描。
どうだ。何かちょっと良いだろう。欲しいよなあ(^^♪

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この時代に描いた
「屋根、ハーグのアトリエからの眺め」1882年、ハーグ、水彩。

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母から父が死んだ事を知らされ、
見送りにきたシーンに別れ告げ故郷へ帰る。

ニューネン(1883年末-1885年)

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父の葬儀を済ませると、
弟テオに一緒にパリへ来ないかと誘われるが、
家族のいるこの地に留まって描きたいものがあると言い、
農夫や織工たちの働く姿を描き始める。
ちなみに「ニューネン」は父親が晩年仕事の為に移住した
地である。

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この映画は各国の美術館の協力の下に、
こうやってゴッホの絵をスクリーンに沢山映し出している。
ゴッホ・フアンの私には超嬉しい映画なのだ(^^♪

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この時代に描かれた代表作の一つ、
「ジャガイモを食べる人々」1885年4月、ニューネン、油彩。
風景やセットもハリウッド映画にしては珍しく頑張ってる。
偉い、拍手。ホラ、あんたも拍手するのよ(^^♪

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ある日、妹のウイレムに言われる。
村の人たちが兄さんの事を色々と言ってるの。
私たちも避けられている、と。
ゴッホは察し、ここでの仕事は終わった、パリへ行くと告げる。
天才が受け入れられないのは何処でも同じだべ(^^♪

パリ(1886年-1888年初頭)

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花の都、芸術の都へ上ったゴッホは、
ルノワールやセザンヌら印象派の絵画展を見て衝撃を受け、
何故教えてくれなかったんだ!と弟テオを非難する。
テオは手紙でちゃんと知らせたんだけどさ(^^♪
あ、モンマルトルに住む弟テオと同居生活だよん。

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テオは早速、兄ゴッホをカミーユ・ピサロに紹介する。

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ピサロ「オペラ座通り テアトル・フランセ広場」1898年。

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そして新印象派として台頭していたジョルジュ・スーラにも。

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スーラ「グランド・ジャット島の日曜日の午後」1884-86年。

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ゴッホは印象派の影響を受け、
それまでと違って明るい色彩の印象派風の絵を
猛烈に描き始めるのだが、兄弟の間には例によって
激しい喧嘩が絶えない。
もっともこの映画はそこはかなり抑えて描いているのだが。

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ある日、画商の所へ自分の絵を持ち込む。
と、そこにたまたまカリブ海から帰国したばかりの
ポール・ゴーギャンがいて、他人の絵に対しては辛辣な筈なのに、
ゴッホの絵を見て偉く誉めまくった。
そのゴーギャンを演じてるのは自らも絵を描いた
我がアンソニー・クインなのだあ~(^^♪

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近代嫌いのゴーギャンは、
太陽の下で原始の力を取り戻せ、
俺はパリは嫌いだ、ブルターニュへ行くと勇ましい。
そう、アンソニー・クイン似なんだよな(笑)。
かくてゴッホもテオのアパートを去り、
太陽を求めて南フランスのアルルへ行く事になる。
1888年2月20日、ゴッホ34歳の時の事である(^^♪

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ゴーギャン「タヒチの女(浜辺にて)」1891年。

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ゴッホ「ジャポネズリー 梅の開花(広重を模して)」
1887年9月-10月、パリ、油彩。

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ゴッホ「タンギー爺さん」1887年、パリ、油彩。

アルル(1888年-1889年5月)

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アルルに到着、オテル=レストラン・カレルに宿を取った。
お~、我が天地アルルよ!とゴッホは雄叫びを上げた。

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我が愛するジャポネそのものではないか!と(^^♪

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彼はまさに燃え盛る炎の人となって
描きに描き捲った。

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「この地方は大気の透明さと明るい色の効果のため
日本みたいに美しい。
水が美しいエメラルドと豊かな青の色の広がりを生み出し、
まるで日本版画に見る風景のようだ」
(テオへの「手紙」より)


※「炎の人ゴッホ_2」に続く


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■122分 アメリカ 伝記/ドラマ
監督: ヴィンセント・ミネリ
製作: ジョン・ハウスマン
原作: アーヴィング・ストーン
脚本: ノーマン・コーウィン
撮影: フレデリック・A・ヤング ラッセル・ハーラン
音楽: ミクロス・ローザ
出演
カーク・ダグラス
ジェームズ・ドナルド
アンソニー・クイン
パメラ・ブラウン
ジル・ベネット
エヴェレット・スローン
ニオール・マッギニス

色彩の探究者V・ミネリが、印象派の代表的画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの悲運の生涯を、I・ストーンの原作から映画化した、美しい映像がとにかく印象的な作品。主演はたっての願いでこの役を得たK・ダグラスで、さすがに力演を見せる。
伝道の道を志したゴッホだったが、貧しい炭坑で坑夫と共に生活した廉で破門、故郷に帰り、弟テオの保護を受け絵に専従する。30をすぎてパリに出てゴーギャン(A・クイン好演、オスカー助演賞)と出合い、アルルで共同生活を送るが、豪放磊落な彼とは次第に折り合いを悪くし、遂に発狂し精神病院入り。それも快方に向かうが、大作『鴉のいる麦畑』を描いた後、短銃で自殺する。ハリウッド映画としては誠実な(しかし、その域には留まる)作品だ。

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