炎の人ゴッホ_2 (1956) アメリカ

[1179]ゴッホ伝記として必見の映画、そして必読のレビュー(笑)

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同年(1888年)5月、
高い宿賃を要求されて主人と喧嘩、
親切な郵便屋さんのお世話で外壁が黄色に塗られた
あの2階建ての建物、「黄色い家」へと引っ越す(^^♪

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「アルルの寝室」1888年10月、アルル、油彩。

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全てを黄色に変えてしまうアルルの太陽の下で、

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「アルルの跳ね橋」1888年3月、アルル。
「この自然は私を駆りたて私の頭を空っぽにする」
「私はただ機関車のように描き続ける」
「色彩への目覚めを感じる。雄大さと力強さも」
(テオへの「手紙」より)

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「黄色い家」1888年9月、アルル、油彩。

ポン=タヴァンにいるゴーギャンがお金に困っている事を知り、
アルルへ来いとゴッホは手紙を書いた。

一方で弟テオには画家の協同組合を提案。
ドガ、モネ、ルノワール、シスレー、ピサロという5人の
「グラン・ブールヴァール」の画家、
ギヨマン、スーラ、ゴーギャンといった
「プティ・ブールヴァール」の画家、
そしてテオやテルステーフなどの画商が協力し、
絵の代金を分配しあって相互扶助を図ろうというものだった。

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夏が過ぎるとアルルには強い北風が吹き荒れ、
室内で描く事が多くなるが、それでも夜、
たまにこうやって外で描く事もあった。
何しろ帽子まで「炎の人」やもんな(^^♪

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「ローヌ川の星月夜」1888年9月、アルル、油彩。
「透視で見るように絵の方がやってくる」(同「手紙」)
完璧に憑かれてるよね。凄い!と同時にヤバイって感じ。

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そんなある日、弟テオから手紙が来る、
ヨハンナ・ボンゲル(通称ヨー)という女性と結婚する、と。
ゴッホはショックを受ける。弟テオとは一方的ながら、
精神的に殆ど共生関係にあったからだろうなあ(^^♪

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1888年10月23日、テオから金銭的支援を受けて
ゴーギャンがアルルへやって来た。
孤独に弱い彼は抱きついて歓迎する(^^♪
彼の為に部屋を準備し、自分の描いた「ひまわり」を
何枚も飾っていた。

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「ひまわり」1888年8月、アルル、油彩。

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だが絵画の事になると、
二人はその夜から事ある毎に衝突を繰り返す(^^♪

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ゴーギャンはベルナールに不満を漏らしている。
「ヴァンサン(ゴッホ)と私は概して意見が合うことがほとんどない、
ことに絵ではそうだ。(略)彼は私の絵がとても好きなのだが、
私が描いていると、いつも、
ここも、あそこも、と間違いを見つけ出す。(略)
色彩の見地から言うと、彼はモンティセリの絵のような
厚塗りのめくらめっぽうをよしとするが、
私の方はこねくり回す手法が我慢ならない」等々。

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ゴッホ「赤い葡萄畑」1888年11月、アルル。

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ゴーギャン「ひまわりを描くゴッホの肖像」1888年11月、アルル。

ゴーギャンは想像で描く人。
線で仕切り、原始の方向へと絵をより単純に戻したい人。
ゴッホは自然の風景の中に神と人間の関係を読み込みたい人。
とてもじゃないが世界を「仕切る」事など出来ない人。
方向は真逆。しかもどっちも頑固で「炎の人」な訳だからさ。
困ったもんだべ(^^♪

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ついにある日、ゴーギャンは
ゴッホに言うてはならぬ事を言うてしもうた。
「女々しい感傷は他のものにぶつけろ。
ミレーの労働が高貴だ?感傷でものを言うな。
労働の何を知ってるんだ。労働した事があるか。
俺は熱帯の日に焼かれ溝堀りをした。
手を凍らせ埠頭で荷役をした。
何が高貴だ。俺は絵を続ける為に労働をした。
金をくれる弟などいない!」

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ゴッホは発作を起こし、
カミソリを手についに自分の耳たぶを切り落とす。
同年12月23日の夜の事だった。
実際にゴーギャンがそう言ったのかどうか私は知らないが、
もう何も聞きたくないという衝動に駆られた事は事実だろう。

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町へ飛びだしたゴーギャンは翌朝部屋へ戻り事件を知る。
そして映画では省略されているが、
パリからテオを呼び出して会った後、アルルを後にする。
因みにゴッホには、耳を切り落とした事の記憶はなかった
と言われている。

これも因みに滝沢修の舞台は観ていないのだが、
学生時分、森幹太の演じるゴッホ(三好十郎「炎の人」)を観て
私は甚く感動した。この耳を切るシーンはこの映画と違い、
暗い中で静謐に演じられたので今尚
鮮烈にこの脳裏に焼き付いている(^^♪

アルル市立病院

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ゴッホはアルル市立病院に収容された。
弟テオがパリへ行こうと言うと彼は返す。
「僕は危険だ、他人にも僕にも。病院に入るしかない」と。

1月7日に退院して「黄色い家」に戻り、
しばらく絵を描いたりしていたが、2月から3月にかけて
精神に異常をきたし、再度入院。

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「包帯をしてパイプをくわえた自画像」1889年1月、アルル。
退院後、担当医らのために描かれた2枚の自画像のうちの1枚。
この時35歳。

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「アルルの病院の中庭」1889年4月、アルル。

サン=レミ(1889年5月-1890年5月)

そして1889年5月8日、アルルの北東20キロ余りの所にある
サン=レミの精神病院に入院。

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院長テオフィル・ペロンは、その翌日、
「これまでの経過全体の帰結として、ヴァン・ゴーグ氏は
相当長い間隔を置いたてんかん発作を起こしやすい、
と私は推定する」と記録している。

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一方でゴッホは許可を得て部屋で、そして後には
庭などで絵を描く。

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「麦刈る男」1889年9月、サン=レミ、油彩。

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「プラタナス並木通りの道路工事」1889年12月、サン=レミ、油彩。

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「星月夜」1889年6月、サン=レミ、油彩。
これは現在私の書斎にある。
オッと、慌てるねい、複製やないけい(^^♪

ペロン院長の記録(1890年5月)。
「発作の間、患者は恐ろしい恐怖感にさいなまれ、
絵具を飲み込もうとしたり、看護人がランプに注入中の灯油を
飲もうとしたりなど、数回にわたって服毒を試みた。
発作のない期間は、患者は全く静穏かつ意識清明であり、
熱心に画業に没頭していた」

1年後の5月、
ゴッホは退院し、パリの北西30キロ余りの所にある
オーヴェル=シュル=オワーズという農村で静養する事にする。
この頃、ゴッホの絵は、パリでゴーギャンやモネ等を初めとする
画家たちから非常に高く評価されるようになっていた。

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オーヴェル=シュル=オワーズに向かう途中、
パリの弟テオを訪ねる。
中央はテオの妻ヨハンナ・ボンゲル(通称ヨー)で、
二人には既に子供が生まれ、
兄ゴッホと同じ名前が付けられていた(^^♪

オーヴェル=シュル=オワーズ(1890年5月-7月)

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1890年5月20日、
オーヴェル=シュル=オワーズに到着、
村役場広場のラヴー旅館に滞在する事にした。

ゴッホはすぐに医師ポール・ガシェを訪ね、
その印象を妹に書き送っている。
「非常に神経質で、とても変わった人」
「体格の面でも、精神的な面でも、僕にとても似ているので、
まるで新しい兄弟みたいな感じがして、
まさに友人を見出した思いだ」(^^♪

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「医師ガシェの肖像」1890年6月、オーヴェル。
ガシェ、当時61歳はマネ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、
ギヨマンらと親交を持つ美術愛好家でもあった(^^♪
あ、この絵は滅茶苦茶高いのだぞお~(笑)。

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「オーヴェルの教会」1890年6月、オーヴェル、油彩。

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これも映画では描かれていないが、
6月8日、日曜日、パリからテオとヨーが
息子を連れてオーヴェルを訪れ、兄ゴッホ、医師ガシェ一家と
昼食をとったり散歩をしたりしたという(^^♪
ゴッホは2日後、「日曜日はとても楽しい思い出を残してくれた」
「また近いうちに戻ってこなくてはいけない。」と
弟テオ宛ての手紙に書いている。

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だがゴッホの神経は
既に町の喧騒に耐える力も失っていた。

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鴉たちの鳴き声に脅かされ、
その姿をキャンパスに塗り込めながら彼は悲鳴を上げる。
「不可能だ。もうだめだ」

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「カラスのいる麦畑」1890年7月、オーヴェル、油彩。

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筆を放り投げ、急いでメモ書きを遺す。
「もう絶望だ。何も見えない。出口が見えない」

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彼はポケットから銃を取りだした…。

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7月27日、日曜日、夕方。
オーヴェルのラヴー旅館に怪我をしたゴッホが辿りついた。
ガシェ医師らが診ると、傷は銃創で、
弾丸は心臓を外れて左の下肋部に達していた。
翌28日の朝、弟テオはガシェ医師の手紙を受け取り、
パリから急ぎ駈けつけた。

「テオ、家に帰りたい」
兄は弟に一言そう言い残し、逝った。
時は1890年7月29日、午前1時半の事だった。
ゴッホ、この時、37歳の若さだった。

ゴッホの死因は自殺と考えられているが、
銃を撃った場所、経緯などは明らかになっていない。
また「耳切り事件」や、度重なる発作の原因については、
てんかん説、統合失調症説が有力ではあるが、
医学的・精神医学的見解は諸説様々にあって定まってはいない。


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テオドルス・ファン・ゴッホ、通称テオ。
兄の死をきっかけに徐々に衰弱し、オランダに帰国。
翌1891年、兄の後を追うようにユトレヒトの精神病院で死去した。
享年34歳。

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テオの妻ヨー。
テオの死後、画家ヨハン・コーヘン・ホッスハルクと再婚。
ゴッホの回顧展開催、書簡集の出版などゴッホの知名度向上に
尽くした。
またテオの遺骨を兄ゴッホの墓の隣に改葬し、
二人の墓石を並べている。

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もう字数無理、許してたもれ(^^♪


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■122分 アメリカ 伝記/ドラマ
監督: ヴィンセント・ミネリ
製作: ジョン・ハウスマン
原作: アーヴィング・ストーン
脚本: ノーマン・コーウィン
撮影: フレデリック・A・ヤング ラッセル・ハーラン
音楽: ミクロス・ローザ
出演
カーク・ダグラス
ジェームズ・ドナルド
アンソニー・クイン
パメラ・ブラウン
ジル・ベネット
エヴェレット・スローン
ニオール・マッギニス

色彩の探究者V・ミネリが、印象派の代表的画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの悲運の生涯を、I・ストーンの原作から映画化した、美しい映像がとにかく印象的な作品。主演はたっての願いでこの役を得たK・ダグラスで、さすがに力演を見せる。
伝道の道を志したゴッホだったが、貧しい炭坑で坑夫と共に生活した廉で破門、故郷に帰り、弟テオの保護を受け絵に専従する。30をすぎてパリに出てゴーギャン(A・クイン好演、オスカー助演賞)と出合い、アルルで共同生活を送るが、豪放磊落な彼とは次第に折り合いを悪くし、遂に発狂し精神病院入り。それも快方に向かうが、大作『鴉のいる麦畑』を描いた後、短銃で自殺する。ハリウッド映画としては誠実な(しかし、その域には留まる)作品だ。

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